高架下で青春の一ページのような喧嘩をしてから約一カ月。啓介は相も変わらず平凡で退屈な毎日を送っていた。

 正確には一度、(くぬぎ)高校の生徒にいつもの河川敷で待ち伏せされ、否応なしに大乱闘に巻き込まれたのだが、特に面白くもなかったのでそれはノーカンだ。

「いや、直人のおとーさんはちょっと面白かったかな」

 教室の窓側の一番後ろという特等席で、啓介はこっそり思い出し笑いをする。

 前回、三人では啓介に全く歯が立たなかった椚高の生徒らが、今度は節操なく頭数を増やし、高架下で待ち構えていた。直人が一緒の時で良かったと思いつつ、啓介はシャツを汚さないようにしなきゃと呑気に考える。
 いつも通り一人ずつ沈めていけばいいと殴り合いを始めたのだが、流石に数が多くて()された。一撃で仕留められず、手数が増えて体力を消耗させられる。

 ニヤニヤしながら奴らが「さっさと剥いてヤッちまおうぜ」と言っているのを聞き、その意味を理解した瞬間、血の気が引いた。ただ単純に殴り倒されて終わりということではなく、袋叩きにあった後、さらに地獄が待っているらしい。
 途中から啓介は、シャツの汚れを気にする余裕を失った。

 息を切らして四方から伸びる腕をかわしながら、あまり力の入らなくなった拳を何とか振り下ろす。
 しぶとく反撃を続ける啓介と地面に転がる仲間たちを見て、苛立ったようにリーダーと思しき男が「クソッ」と叫んだ。早々に決着を付けようとしたのかもしれない。河原から木材のようなものを拾いあげる姿が目の端に映り、啓介は流石に戦慄した。
 その棒切れを持ったまま直人に近づく様子を目の当たりにし、啓介は顔面を殴打されるのも構わず「避けろ!」と叫ぶ。

「何やってるんだ!」
 
 渾身の啓介の叫びすらも掻き消すような、野太い男の怒鳴り声が辺りに響いた。
 空気をビリビリ震わせる迫力に、そこに居た者たちは思わず一斉に動きを止める。声のした方に視線を向けると、土手の上から仁王立ちでこちらを見下ろす男の姿があった。
 逆光に浮かび上がるシルエットを見ただけでも、格闘技の経験者だろうと思わせるような体躯だ。誰もが「何者?」と警戒する中、直人だけが嫌そうに「マジかよ。親父」とこぼした。 

「その制服、椚高だな。今のアタマはどいつだ。たった二人を相手にこんな大人数を用意したなんて、情けねぇ」

 言いながらこちらに向かってくる直人の父親に、生徒達は身構える。

「誰だてめえ」

 木材を手にしたまま、リーダー格の生徒が睨み返した。しかし直人の父親は、今にも殴り掛かってきそうな生徒を前にしても、少しも怯まない。

「お前ら椚に通ってんなら、一度くらい『陣野』って名前を聞いたことがあるんじゃねえか?」
「陣野って……まさか、あの」

 明らかに顔色が変わった椚高の生徒を見て、直人の父親がニヤリと笑う。

「そうだ。俺があの(・・)陣野だ。あんまりみっともねぇことして椚の看板汚すなら、俺がお前らブッ潰すぞ」

 低い声で凄まれて、椚高の生徒が震えあがった。陣野という人物は、彼らにとって特別な存在のようだった。そしてそれも納得してしまう程の気迫が、直人の父親から溢れている。

 啓介は呆気にとられながらも、これで助かったと安堵する。ホッとしたせいか、殴られた頬が今更になって痛んできた。