渋々納得した千鶴は、それ以上何も言わず手元に視線を戻した。
 部屋には再びミシンの音が響く。

 千鶴が使っているのは、プロも使用する「職業用ミシン」だった。厚手の布も難なく縫えるし、何と言っても縫い目が綺麗で家庭用ミシンとは仕上がりが段違いだ。
 啓介も服作りにはかなりの興味を持っていて、千鶴のミシンを拝借することがよくあった。雑誌で気に入ったデザインの服を見つけては、自分なりに型紙におこして再現している。今度は何を作ろうかと思案しながら部屋に戻りかけた啓介を、千鶴が「ねえねえ」と呼び止めた。

「クリーニング屋の奥さんがね、バイト中の啓ちゃん見かけたらしくて、『相変わらずイケメンだね』って褒めてたよ。一緒に働いてる男の子もカッコ良かったって言ってたけど、今度うちに連れて来てよ、会ってみたい。啓ちゃんとどっちの方がイケメン?」
「はぁ? 僕に決まってんじゃん。てゆーか僕のこと『啓ちゃん』なんて呼んでるうちは、ぜってー会わせないけどね」

 どうでもいい事で引き留められて、苛立ったように啓介は頭を掻いた。

「この呼び方嫌だった?」
「嫌に決まってんだろ」
「なんだか今日の啓ちゃんは、男の子の割合多めだねぇ」

 千鶴の言葉にハッとする。「なるほど」と思いながら自室のドアノブを引いた。
 いつもマイペースでぽわんとしているが、さすが母親なだけあって啓介自身よりも啓介のことをよくわかっているようだ。

「そっか、今日は男が強めの日なんだな」

 殴り合いの喧嘩をしたせいだろうか。それとも、逆にそんな日だから喧嘩に応じてしまったのだろうか。少し考えて「どっちでもいいか」と血の付いたシャツを脱ぎ捨てた。バイトに行くまでは、まだもう少し時間がある。
 ベッドにうつ伏せで倒れ込み、深く息を吐いた。自分の手が視界に入り、意味もなくパタパタと動かしてみる。随分節くれだってゴツゴツした指先だ。

「どっからどう見たって、男の手だよね」

 この手が嫌で嫌で仕方ない日がある。
 筋張った手だけでなく、喉仏も肩幅も、低い声も何もかも。

 そんな日は女の子に生まれたかったと自分を呪う。クラスで女子と話しながら、鈴を転がすような高い笑い声と口元を覆う細い指に嫉妬した。
 それが何日も続くこともあれば、すぐにケロッとして「男のままでもいいかな」なんて思えたりすることもある。
 性別がグラグラと日ごとに揺れるのを、物心ついた頃からずっと繰り返していた。

「男の僕と女の僕が内側で同時に存在してるなんて、直人に言ってもわかってもらえないだろうなぁ」

 例えば誰かに性別を問われたら、生物学的な特徴からすれば男なので「男」と答えるだろう。だけど男だと言った瞬間、とてつもない違和感に襲われるのだ。
 男でもあるし女でもある。
 なんなら、そのどちらでもないような気さえする。

 こんな不安定な人間はこの世に他にもいるだろうかと、スマートフォンの検索画面を開き、結局やめた。打ち込むべき言葉が見つからない。キーワードを羅列すれば欲しい答えを得ることが出来るかもしれないが、それも少し怖かった。

「僕は僕だ……」

 言い聞かせるように呟いた。