「それ、今月号の『ハミエル』の切り抜きじゃない? えっ、凄い。僕、自分以外でハミエル読んでるヒト初めて見た! その雑誌、超マイナーだけど良いよね」

 ハミエルは一般的なファッション誌と違い、ゴスロリ専門誌だった。薔薇や十字架のモチーフに黒を基調とした洋服たち。そこに赤や白の差し色が入る。凝りに凝ったマニアック過ぎる雑誌で需要が低いせいか、啓介は今まで一度も店頭で売られているのを見たことはなかった。それでも、内容の良さと付属されているブラウスや小物の型紙が目当てで、毎月わざわざネットで購入している。
 今までハミエルについて誰かと話す機会など皆無だったので、啓介は嬉しくなって興奮気味に話しかけた。

 急に声を掛けられた少年が、驚いたようにノートから目線を上げる。彼は髪をセットされている最中で頭を動かすことができず、首を捻らないまま鏡に映る啓介をじっと見た。数秒のあいだ無言が続き、鏡越しに見つめ合った状態で互いに固まる。つい勢いで声をかけてしまったが、何かマズかったかなと焦り始めた頃、少年が唐突に口を開いた。

「……こっちのページは、甘ロリの『パステル』」

 少年がページを捲って鏡にノートを写す。それはハミエルよりも更にマイナーな雑誌で、ノートにはレースを贅沢に使ったピンクや水色の甘めなロリータ服が並んでいた。

「パステルも読んでるんだ、僕もその雑誌たまに見る。ねぇ、そのノート、気に入った写真切り取って貼ってるの? 自分だけのカタログみたいで面白いね」

 啓介は身を乗り出して鏡を凝視する。無地のノートに小物や服の写真が貼られていて、所々文字も書きこまれていた。

「私、ファッション誌の編集になりたいから、誌面作りの真似事してるんだ」

「私」という一人称が引っかかり、啓介は小さく首を傾げる。少年と思ったが女の子なのだろうかと、改めて隣を見た。
 丸みのあるショートヘアで肌は白く、ガラス玉のような瞳をしている。
 白いブラウスの襟元には大きな黒いサテンのリボン。それにジャケットを羽織り、ひざ丈のパンツを合わせている姿は、まるで上流貴族の令息のようだった。声は女の子かもしれないと思えばそう聞こえるし、変声期前の男子のようにも思える。

「キミ……」

 女の子? と聞こうとして慌ててその言葉を飲み込んだ。まさかそれを自分が言う側になるとは思わず一瞬狼狽えた後、誤魔化すように言葉をつづける。

「えっと、中学生?」

 取り繕ったが、こういうのは敏感に悟られてしまうものだ。自分がそうであるように。しかし特に気分を害した様子もなく、少年か少女かわからない子は、頭を動かさずに目だけ伏せて頷いた。

「うん、中二。お兄さんは?」
「僕は高二」

 ふーんと答え、その子は再び自作のノートをパラパラめくり始める。

永遠(とわ)、口紅塗るからちょっと顔上げてもらえる?」
「いいよ」

 髪をセットしていたヘアメイクの女性に声をかけられると、ノートを膝に置いてスッと顔を上げた。目を閉じると長い睫毛が頬に影を作る。「こういう球体関節人形が部屋にあったらお洒落だなぁ」などと、啓介は隣の鏡を見ながらぼんやり思った。それからふと、「とわ」と呼ばれていたことに気付く。

「ねぇ、『とわ』って名前?」

 口紅を塗られていて答えられない隣の子の代わりに、ヘアメイクの女性が笑いながら「そうよ」と返事をした。

「永遠って書いてとわ。綺麗な名前に決めたよね。あなたは本名のままで活動するの?」

 そう聞かれてハッとする。名前のことなど、全く考えていなかった。

「ううん、本名は伏せたい」
「そっか。じゃあ、あなたも名前考えなきゃね」
「名前かぁ……」

 しかし急に言われてすぐに思い付くものでもない。
 啓介が頭を抱えて唸っていると、松永が申し訳なさそうな顔で戻ってきた。

「梅田くん、ごめん。予備のブーツがまだあったと思ったんだけど、快くんが履くことになって。もう他にないんだって」
「あ、ごめーん。使いたかった?」

 部屋の奥から、あっけらかんとした声がした。
 メイクルームは十畳ほどの四角い部屋で、装飾を一切そぎ落とした極めて簡素なヘアサロンのようだった。壁に取り付けられた鏡は四つあり、啓介は入り口から一番近い席にいる。
 永遠とヘアメイクの影に隠れていて気付かなかったが、先ほど更衣室で出会った男性モデルが一番奥に座っていた。