これがプロの現場かと、スタジオ全体が放つオーラに息を呑んだ。立ち止まってゆっくり見学したいところだったが、緑川は足を止めないので仕方なくそのままついて行く。
 どうやら向かっているのは控室のようだった。
 壁際にはハンガーラックが並んでいて、誰もが知る高級ブランドの服がいくつも吊るされている。改めて「凄い場所に来てしまった」と慄いていると、メイクルームから超一級品のブランド服を着た若い女性が現れた。

 抜身の刀のような冷えた空気を身に纏い、挨拶するのも躊躇うほど近寄りがたい雰囲気だ。そんな氷のような彼女だったが、緑川の存在に気付くと途端に血の通った人間らしい笑みを浮かべた。

「緑川先生! どうしたの、こんなところで」
「あら。久しぶりね、南野さん。元気だった? ニューヨークのコレクション見たわよ、とても素敵だった」
「見てくれたの? ありがとう」

 南野という名前とその顔は、啓介もよく知っていた。日本で数少ない、海外の有名コレクションにも参加するランウェイモデルだ。テレビのコマーシャルや雑誌の表紙などに度々登場し、ファッションアイコンとして活躍している。

 南野は嬉しそうに顔をほころばせ、緑川と握手を交わした。それから啓介にチラリと目を向けて「その子は?」と尋ねる。

「リューレントの姉妹誌の専属モデルよ。今日が初めての撮影なの」
「ああ、『Braver(ブレイバー)』って雑誌だっけ。でも、なんで先生がマネージャーみたいなことしてるの」
「ちょっと縁があってね。そうそう、再来年にはあなたの後輩になっているかもしれないわ」
「へぇ、じゃあ今はまだ高校生なんだ。なるほど、桜華大が囲ったってわけか」

 南野は面白そうに口の端を上げ、啓介の目の前に立った。もともと背が高いのにヒールを履いているせいで、啓介を見下ろすような格好になる。
 啓介は南野の着ている服を、興味深そうにジッと見た。フリンジ付きのレザースカートに濃い茶色のニットケープを合わせたコーディネートは、すっかり冬仕様だ。おそらく上下で百万円は軽く超えるだろう。こんな機会でもなかったら、一生お目にかかれない代物だ。

「可愛い顔してる。まだ身長は伸びてるの? あと十センチ高くなれば、こっち側にこれるね」
「こっち側?」

 言っている意味が解らず、啓介は首を傾げた。南野は得意気に胸を反らし「ショーモデルよ」と笑う。

「スチールモデルもまぁ、楽しいけどさ。やっぱり海外のランウェイ歩いてなんぼでしょ。もっと背が伸びて、百九十センチくらいになれたら良いね」

 啓介の頭をポンポンと軽く撫で、南野はスタジオの中央へ向かって歩き出す。その後ろ姿には「さすが」としか言いようのない、風格のようなものがあった。気さくな笑顔を見せたかと思えば、切れ味の良い刃物のような鋭さも感じさせる。

「何あれ、『こっち側』だって。天狗になってんじゃないの。ただ背が高いだけの癖にさ」

 南野の行く先を見ていた啓介の背後から、苦々しい声がした。振り返ると、一流ブランドの服に身を包んだ若い女性がすぐ後ろに立っている。彼女はヒールを履いていても啓介より少し低いくらいの背丈で、腕組みをしたまま口をへの字に曲げていた。
 啓介は思わず「エレナだ」と声を出しそうになったが、寸でのところで堪える。彼女もまた、若い世代に影響力のある人気モデルだった。

「今でもキミは充分背丈あるんだから、身長なんて気にしなくていいよ。ショーに出るから偉いって訳でもないし」
「……どうも」

 啓介は別に気分を害したわけではなかったのだが、自分の代わりに憤慨しているエレナに、とりあえず礼を述べた。どうやら啓介に放った南野の言葉は、彼女の方に深く突き刺さったらしい。女性にしては高身長だと思うのだが、海外のショーに出演するには少し背が足りないのかもしれない。
 南野が氷の刃なら、エレナは火を噴くリボルバーだなと啓介はこっそり思う。

「梅田君、こっちよ」

 少し離れた場所から手招きされ、啓介はエレナに会釈すると緑川に駆け寄った。