「超肌キレイ。なんかこれだけで充分って感じなんだけど。ファンデもコンシーラーも出番は無いな。とりあえず、アイライナーを目尻にだけ入れておくね。リップはどうしようかなぁ」

 里穂がメイク道具一式に目線を落としたので、啓介もつられてそちらを見た。何種類もあるファンデーションや絵の具のパレットのようなアイシャドウ、筆も太さの違うものが一通り揃っている。

「メイク道具って、やっぱり高いヤツの方が良い?」
「そりゃそうよ。でも最近はプチプラでも良いのがあるし、舞台用のメイクなら私は安いので揃えちゃってる。発色さえ良ければ、百円ショップのでも割と問題ナシ。だって、他にもいっぱいお金かかるしさぁ。どうせなら布代に回したいよね」

 確かに、と頷きながら、啓介は質問を続けた。

「バイトはしてる?」
「してる。ドラッグストアで。試供品とか貰えるの、すっごい有難いんだよね。本当はガッツリ稼ぎたいけど、そうすると課題やってる時間ないし、もう万年金欠よ」

 実感のこもった里穂の言葉に、啓介までげんなりしてしまう。
 
「バイトのせいで課題が出来ないなんて、本末転倒もいいところでしょ? まぁ、仕送りが充分な額だったり実家から通えるなら、そんなにガツガツ働かなくて良いんだろうけどね」
「うわ。超シビア」

 泣きそうな顔をした啓介は、アイラインを引いてる真っ最中だった里穂に「動かないで」と叱られ、シュンとした。

 どうせ何かしらバイトをしなくてはいけないのなら、モデルの仕事はこの上なく条件に適している。それどころか、おまけに授業料免除まで付いてくる可能性があるのだから、断ったら罰が当たりそうだ。

 もしこれが誰か他の人の話なら、迷っていると聞いただけで「馬鹿じゃないの」と思うだろう。選択肢は一つしかないように見える。

 けれど、いざ自分のこととなると話しは別だった。代償は決して小さくない。
 特待生としての役割を果たすべく、モデルとして立派に活躍し、その上で学生としても何かしらの実績を残すなど、本当に出来るだろうか。さらに素顔を隠す為に撮影用に近いメイクをしたままキャンパスで過ごすだなんて、目立ってしょうがない気がする。

 周囲にどんな風に見られるか、考えただけで今からプレッシャーで吐きそうだった。
 そんな不安が啓介の顔に出ていたのかもしれない。里穂が考え込むような仕草をしながら、ポツポツ話し始めた。
 
「いっぱい悩んで志望校決めなね。この学校もさ、一年生の時は二人で一つの作業台使って、教室もぎゅうぎゅうだったの。なのに四年生の頃には人数が減って、今では悠々と作業台を一人で占領できちゃうんだ。……つまり、半分くらい辞めちゃうんだよ。ここを去って軌道修正した人たちも別の分野で頑張ってるから、遠回りにも意味があると思うけどね。ホント進路って難しいよね」

 里穂は睫毛に透明なマスカラを塗って仕上げ、よしよしと頷く。

「ハイ完成。お疲れ様、今日はありがとうね」
「こちらこそ。いっぱい聞いちゃってごめんね。でも、凄く参考になった」

 アドバイスを噛みしめながら、啓介は椅子から立ち上がった。里穂が手渡してくれたコンパクトミラーを覗き込み、鏡の中の自分に「出来るだろうか」と問いかける。

 いい加減、ぐるぐる同じ思考を繰り返すのにも疲れて来た。
 もう、メリーゴーランドからは飛び降りよう。
 ふとステージ上の高揚感を思い出す。あの時の覚悟を、モデルの方にも適用してやろうじゃないか。
 出来るか出来ないかではなく、やるかやらないかの二択だ。

「とりあえず、頑張ってみる。頑張ってもどうにもならない世界なんだろうけど。先ずはやってみないと、なんにも始まらないもんね」
「あはは、そうだね。でもさ、『やってみたいな』ってところから、実際に『やってみよう』って行動に移せる人、案外少ないんだよ。だから、頑張ってみようって思うのは、実は凄いことだよ」

 啓介は自分の足元を見た。何もないただの床に、白線が引かれているような気がする。
 ここが出発点なんだと心に刻んだ。
 啓介は大きく一歩踏み出し、見えないスタートラインを勢いよく飛び越えた。