「キミが考えている以上に、今、キミは人生の岐路に立たされているのよ。相談ならいくらでも乗るから、よく考えて決めてちょうだい。特待は諦めて、静かな大学生活を送るのも悪くない選択肢だと思う。特待を取りたいなら、プロフィールを伏せるのは高校生までにして、大学からは堂々と素顔を晒すのも良いかもしれないわね。メイクをして通学するより、多少は周囲の敵対心も抑えられるかもしれない」

 特待の話を聞かなければ、迷わず「静かな大学生活」を選んでいたに違いない。服飾デザイナーを目指すための苦労は覚悟の上だが、そこにモデルになったが故の雑音まで加わるのは想定外だ。

「まずは、来週の撮影を終えてみないことには何とも言えないわよね。また今度ゆっくり話しましょう。今日は色々ありがとう。交通費の領収書は全て取っておいてね。次に会った時に清算するから。じゃあ、気を付けて帰るのよ」
「ありがとう、ございました……」

 半ば放心状態で告げる。どうにか更衣室までたどり着き、シャツを脱ぎながらも頭の中は今日起きた出来事でいっぱいだった。パンクしそうだと思った瞬間、電話の着信音が鳴る。発信元の「直人」と言う文字を見て、強張っていた体から一気に力が抜けるのを感じた。

『啓介、お疲れー。まだ東京? 戻ったら飯食いに行こうよ』
「……なおとぉ」
『は? なに、お前まさか泣いてんの?』
「泣いてないけど泣きそう。僕、三時間後くらいにそっちに着くから、駅まで迎えに来て。お願い」

 啓介の涙声を聞いた直人が、オロオロ慌てているのが電話越しにも解った。

『え、何、どういうこと。三時間後?』
「絶対だよ。来なかったら呪うからね」
『何があったんだよ。お前、ヤバいことにでも巻き込まれた?』
「ヤバくはないけど……んー。とにかくまた後で。じゃあね」
『あ、待てってば! おい、啓介!』

『何があったんだよ』の説明が面倒で、啓介はそこで通話を終了させた。取り敢えず必要なことは伝えたので、それでヨシとする。恐らく三時間後に怒られるだろうが、その時はその時だ。

 着替え終えた啓介は、改めて笹沼の制作した服を手に取り、丁寧に広げてみた。綺麗な縫い目で、職業用ミシンを使用していることがうかがえる。
 大学の課題などを効率的にこなすことを考えたら、職業用ミシンの購入は必須だなと啓介は考えた。そうなると、ロックミシンも欲しくなる。 
 
 衣装に使っている生地やボタンなどの装飾品は、コンテスト用のためかそれなりに良いものだった。ざっと見積もっただけで、一着作るのに三万円以上はかかっていそうだ。
 その他に課題の制作費やデザイン画に使う画材など、学費以外にかかる費用は一体いくらになるのだろう。
 啓介は、はぁっと大きく息を吐いた。頭の中で電卓をたたくと、憂鬱になってくる。

「空から一億円くらい降ってこないかなぁ」

 脱いだ衣装をひとまとめに抱えて戻ると、里穂は「遅いよ」と腰に手を当て口を尖らせた。啓介は特に悪びれる風もなく、借りていた衣装を里穂に手渡す。

「ごめんね。だって、この裏側どうなってるのかなぁとか、タックの付け方とか気になっちゃってさ。すっごい見ちゃった」
「あー、それは解る。他の人の作ったモノって気になるよね」

 里穂は啓介を椅子に座らせると、手際よくウィッグを外し舞台用のメイクを落とした。髪をセットし直した後、スッピンの啓介の顔を見てニンマリ笑う。

「ねぇねぇ。ちょっとこの色のアイシャドーとリップ試したいんだ。顔貸してくんない?」
「え。自分の顔で試せばいいじゃない?」
「だって、せっかくこんなに映えそうな顔がここにあるのに」
「やだよ。僕、もう帰りたい」

 疲れ切った表情で訴えれば、しょうがないなぁと諦めてくれた。

「じゃあ、来た時と同じ感じでいい?」
「うん。あ、待って。来た時より薄めがいい」

 直人が『戻ったら飯食おう』と言っていたことを思い出す。あまり濃いメイクでは嫌がられそうだ。
 啓介のリクエストに「はいはい」と答えた里穂は、化粧下地を丁寧に塗り始めた。