好戦的な笑みを浮かべる笹沼に、啓介も挑むように口端を上げる。
 いつの間にか華々しいBGMは消えていて、会場には落ち着きのあるサウンドエフェクトが流れ始めていた。それとは対照的に、バックステージは相変わらず慌ただしく人が行き交っている。
 笹沼は「さてと」と、一段高い声を出して切り替えた。

「今ので最後の発表だから、これから会場にいた観客の投票が始まるの。その後、集計作業と審査員の協議だから、結果発表は明日になっちゃうんだ。明日も来れる?」
「んー。明日はムリかな」
「そっか。学校のホームページに結果が載るから、気が向いたら見てみてよ。ちゃんとお礼したかったけど、また今度会えた時にね」
「いいよ、お礼なんて」
 
 貴重な経験をさせて貰えて、礼がしたいのはこちらの方だと啓介は肩をすくめる。
 本来ならば会場にすら入れなかった自分が、スタッフオンリーの場にまで足を踏み入れることが許されたのだ。そんな機会はそうそうない。

 自分の先を行く人たちも、震えながら戦っていると知ることが出来た。
 そんな臆病で慎重で大胆で負けず嫌いな人たちが、拳の代わりに己の才能を駆使してステージ上で殴り合う世界。
 それでもまだここは、入り口なのだと言う。

 ゾクゾクした。自分はギャンブラーなのかもしれないと思った。
 賭けるのは自分の人生だ。もし負けたら、墓の中で大笑いしよう。

「お疲れ様! 初めてとは思えないステージだったよ。『あの子誰?』って、いろんな人に聞かれちゃった」

 背中を叩かれ、啓介が振り返る。そこには里穂が立っていて、啓介の私服を抱えていた。

「更衣室で着替え終わったら私に声かけてくれる? ここでウィッグ外して、髪の毛セットし直してあげる。カラコンはそのまま付けて帰っていいよ」
「わかった。ありがとう」

 啓介は服を受け取り、笹沼に視線を戻した。笹沼が、目を合わせてゆっくり頷く。

「私はこのまま片付けと、倒れちゃった子のフォローに行ってくる。今日はありがとう。また大学に遊びにおいで」

 じゃあねと手をひらひら振って、笹沼は立ち去った。その凛とした姿を見送りながら、当面はあの背中に追いつくことを目標にしようと啓介は密かに決意する。

 里穂に更衣室の場所を教えてもらい、機嫌よくブーツのかかとを鳴らしながら歩く。「桜華大をちょっと見るだけ」のつもりが、思いがけず大収穫となった。相変わらず問題は山積みだが、自分の心が決まったのは大きな進歩だ。
 そんな事を考えていたら、前から緑川が歩いてくるのが見えた。緑川の方も啓介に気付いて駆け寄ってくる。
 
「あっ、キミ! 良かった、まだ帰ってなくて。キミに会いたいって方がいらしてね」

 言いながら緑川が、自身の背後にいる人物を振り返った。緑川と同年代くらいの品のある男性が、こちらを見て会釈する。仕立ての良さそうなスーツの胸元から、優雅な仕草で名刺を取り出した。

「はじめまして。ステージを拝見したよ。とても素敵だったものだから、是非お目にかかりたいと思ってね。聞けば、どこの事務所にも属してないと言うじゃないか。原石を見つけたのに、黙ってこのまま帰れないだろう。きみ、雑誌のモデルに興味はないかい?」

 そう言って、紳士が啓介に名刺を手渡す。そこには『リューレント編集長 海藤 雄二』と書かれていた。

「リューレントって、あのモード誌のリューレント?」
「見てくれたことがあるのかな」
「もちろん」

 欧州の名門ブランドを中心とした、各シーズンのコレクションや最新のトレンドアイテムを発信する、セレブ御用達のファッション誌だ。どのページも写真集と見紛うほど美しく、ストーリーを感じさせる構成からは各ブランドの矜持が伺える。

 誌面を飾る商品は啓介にとって高嶺の花ばかりだったが、多彩で美麗な記事を眺めるだけで気分が高揚した。
 そんな憧れの雑誌と自分がモデルになると言うことが結びつかず、啓介は首を傾げて海藤を見る。

「なんで僕なんですか。ただの高校生なのに」
「むしろ、君はよく今まで誰にも声を掛けられずにいたね。道を歩いていてスカウトされたことはなかったのかい」
「あぁ……。キャッチとかナンパとか鬱陶しいんで、声かけられても全部無視してました」

 けろっとした顔で言い放つ啓介に、海藤は少し驚いたように眉を上げた。