「本当はこの場で脱いでほしいけど、抵抗あるわよね。向こうにある控室で、このシャツとスカートに着替えてきてくれないかしら。なるべく早く、出来れば五分以内で。無理を言っているのは百も承知だけど、とにかく準備をしながら説明させて」

 緑川が差し出した衣装に視線を落とす。
 白いブラウスと不規則にプリーツの入った黒いロングスカートは特殊なデザインで、一目で既製品ではないと解った。恐らくこの中の誰かの作品なのだろう。
 啓介は真剣な表情の緑川と目を合わせ、次にその背後にいる笹沼と、もう一人の女性に視線を向けた。彼女たちも祈るような目でこちらを見ている。

「さあ、早く」
「ううん」

 首を振った啓介に、緑川が「お願い」と懇願する。啓介は再び首を横に振り、勢いよく自分の着ていたカットソーを脱ぎ捨てた。

「違う、嫌だって言ってんじゃない。説明されなくても、なんとなく状況はわかるよ。一秒でも惜しいんでしょ? だったらここで着替える」

 緑川の手にあった白いブラウスを奪い取り、袖を通して黙々とボタンを留めた。

「ありがとう」

 笹沼は一瞬だけ泣きそうに顔を歪めたが、自分の頬をピシャリと叩いて切り替えた。着替え終えた啓介の衣装をチェックしながら、取っ手のついた大きなケースから針と糸を取り出す。

「里穂、立ったままでメイクできる? スカートのプリーツ調整したいから、座られると困る」
「踏み台に乗るから大丈夫。ねぇキミ、今からウィッグ付けるから、ネット被せて髪の毛潰すよ。せっかく綺麗にセットしてあるのにゴメンね。後でちゃんと元に戻してあげるから」
「いいよ別に。ところで、これってお姉さんたちのコレクションなの?」

 啓介は身を委ねながら、里穂と呼ばれたヘアメイクらしき女性に尋ねた。

「これはねぇ、桜華大名物の学生コンテスト。学園内コンペで勝ち残った七人が、順位を競うショーなの。今回のテーマは『制服』でね、それぞれ五着ずつ制作して審査して貰うんだ。今キミの足元でスカート直してる彼女が、勝ち残った七人のうちの一人よ。私はヘアメイクで手伝ってるの」
「なるほどねぇ」

 先ほど「ハンバーガーショップの制服みたいだ」と思ったのは、あながち間違いではなかったらしい。納得しながら、次に浮かんだ疑問を啓介は口にする。
 
「この衣装を着る予定のコはどうしたの?」
「衣装に着替える寸前に、貧血で倒れちゃってさ。今日のために無理なダイエットしてたみたい。その上、極度の緊張で……練習はしてたんだけど、何しろモデルもここの学生だから素人同然だしね。そんなワケで、緑川先生に急遽代わりを探してもらったの」

 作業の手を止めないまま、今度は笹沼が答えた。

「いい子を捕まえられて良かったわ。じゃあ、私は客席に戻るわね。慌てないでと言っても無理だろうけど、落ち着いて。笹沼さんなら大丈夫よ」

 緑川は笹沼の肩を励ますように叩き、足早にバックステージからフロアへ戻っていく。その姿を見送りながら、啓介は気まずそうに頬を掻いた。

「あのさ。今更なんだけど、僕ここの生徒じゃないよ。部外者が出ちゃっていいの?」
「あぁ、うん。それは全然問題ない。みんな外部の人に交渉する時間もコネも無いから、友達や後輩に頼んでるだけ。だから本音を言うと、結果オーライかな。プロのモデルさんに出て貰えるんだから。まぁ、一時はどうなるかと思ったし、倒れちゃった子には申し訳ないから大きな声じゃ言えないけどね」

 笹沼の言葉を聞いて、啓介は「ん?」と首を傾げる。

「僕、プロじゃないんだけど。てゆーか、そもそもモデルなんて初めて」
「えっ、嘘でしょ⁉ さっきの脱ぎっぷり、ステージ慣れしてるんだと思ってた! ウォーキング練習なんてしてる時間ないよ、どうしよう」

 笹沼が悲鳴のような声を上げ、作業の手を思わず止めた。
 ふいに流れていたランウェイミュージックの曲調が変わり、笹沼と里穂が同時に顔を見合わせる。

「ヤバイ、前のチーム始まっちゃった。笹沼、もう他に方法ないもん。後はこの子を信じて運を天に任せよう」