第三章「ゆめ」

 「来週のこの授業は、『将来の夢』について、発表してもらいます。
 それまでに、自分の夢を考えて、作文を作ってきてください。」

 –––––夢–––––

 夢。–––––夢ってなんだろう。
 夢。–––––ぼくは何になりたいんだろう。
 夢。–––––ぼくは、本にかかわる仕事をしたいな。

 小学校4年生の頃だっただろうか。
 授業で夢について発表する授業があった。当時の僕は夢なんて考えたこともなかった。
 先生が言うには、「見つけるのが難しい人は、まずは自分の好きなものから考えてみろー」と言っていた。
 僕が好きなことは、本を読むことだ。初めは、文字を読むことすら苦手で、なるべく外にいたかったんだ。
 夏休み。そこには大きな期待と裏にある宿題との格闘するイベント。宿題の一つとして、読書感想文がそこには大きく立ちはだかっていた。毎年どんな本を書けばいいかわからなかった。そしてずっと苦手なものの一つだった。
 4年生の夏休み。「晴。これよんでみろ。」そう父から、ぽんっと少し厚い本を渡された。
 「えーっ。こんな大きい本読めないよ」
 「まぁまぁ、いいからいいから。」
 父からもらった本は、動物をテーマにした内容で、なんとも可愛らしい表紙で、あまり好みではなかった。
 渋々本を開きよんでいると、案外面白いことに気づいた。可愛らしい表紙とは裏腹に、中身は動物たちの冒険で、僕の野生心をくすぐるような内容に、いつの間にか食い入るように読んでいた。

 それからと言うもの、本の魅力にどっぷりハマってしまった。



 「––––––––だから。僕は本に携わることをしたいというのが夢です。」
 パチパチと拍手が響き席へと戻る。
 ずっと隠していたのだけれど、結局『夢』なんて思いつかなかったから、本に関する職業を夢とするしかなかった。

 この頃は夢なんて考える暇がないほど日常が楽しかった。
 この頃は趣味という言葉を知らなかった。

 この頃は…。この頃は。苦痛なんて知りもしなかったんだ。



 読書の熱は、二学期が終わっても、小学校、中学校が終わっても熱は冷めることなんてなかった。読書は単なる娯楽で、読書がなくても他のことで補えて。
 だから、次第に僕の心は本では動かなくなっていた。
 あんなに面白いと感じていた、父さんから勧められた本は、とうに埃がかぶって本棚に乱雑に片づけられていた。


 ああ。夢ってなんだろう。
 夢。ゆめ。ユメ。こんなに複雑で、でも簡単に言い表せて。考えれば考えるほど沼に陥っていくのがわかる。



 ––––––––すーっと画面が閉じた。
 僕はいつの間にか寝てしまっていた。どれくらい寝ただろうか。あたりはすっかり真っ暗で、シーンとしていた。電気をつけるのが億劫で時間は確認しないことにした。
 …不意に夢の内容を思い出す。小学校の記憶。とても久しいものだけど、懐かしいというより、戻りたい気持ちでいっぱいだった。小学校・中学校はとても濃い時間だった。思い出がギュッと詰まっている。でも、その箱を開けてしまうと、戻れなくなってしまう感覚に襲われる。僕は今を生きている。だから、過去を気にすることなんて必要ない。もっともなことに、思い出すと悲しくなってしまう。理想と現実が見合わない。
 そんなことを考えているとつぅーっと夢の内容は泡のように無くなった。


 「あれは本当に夢だったのかな……」



 雨降と出会って夏休みを越えようとしていた。
 ほぼ毎日のように話すようにはなったものの、まだどことなく壁があり、少しぎこちない会話になっている。
 今日は一段と気分が落ち込んでいる。昨日思い出したくもないことを思い出したからだろうか。気分が落ち込んでいる時こそ、「何か他のことで満たされたい」と思うのは僕だけだろうか。


 ……だめだ。うまく小説を描くことができない。せめて完成をさせてからこの趣味を終わらせないと、キリが悪いように思う。だから必死に書いている。
 バス。今日もおそらく雨降は隣に座るだろう。
 だから今日も、またキーボードをカタカタと言わせて、終わりの見えない続きを作っている。
 さてそろそろ荷物をしまおう。そろそろ雨降が乗ってくる頃だろう。
 そんなことを思っていると、バスは東区にとまり、雨降が乗車にして隣に座った。
 足早にこっちにきたのでなんだろうと思っていると、雨降が興奮気味に、
 「先輩の小説、今度の文化祭で出してみませんか⁉︎」
 「…へ?」きょとんとしてしまった。
 うちの文化祭に提出…?
 「せっかく頑張って書いてるんですから、出してみませんか?
 時間はいっぱいある…とは言えないすっけど…」
 最後の方はもじもじとしながら雨降は告げた。
 「は、はぁ。でも、個人で出せるもんなの?」
 「先輩知らないんですかー?うちの学校、写真部とかの部の展示以外にも個人で出していいらしいですよー。というか、もういっそのこと『作家部』とかで部にしたらどうですか?」
 「い、いやぁそこまではいいかな。僕の唯一の趣味なだけだし。」
 「あれ?先輩、ゲームも趣味なんじゃ無かったでしたっけ…?」
 …そう言えばそんなことも言っていたような気がする。
 「あぁ…あれは、嘘だよ。そもそも僕ゲームとかそんな上手くないし…」
 「えー!じゃあなんであんなこと言ったんですか?」
 「それは、『小説かいてる』なんていったらどんな目で見られるかわかんないじゃん」
 「そうなんすか?自分はそうは思わないっすけどね」
 そうなのか…?


 「ところで小説どんな感じなんですか?」

 「っっ…」
 見ないで欲しい。そもそも時間と孤独を潰すためとしてしているだけで、元はというと趣味ですら思ってるいないのかもしれない。
 でも、なぜか『見られる』というのはとてつもない抵抗感に襲われる。

 ––––––––雨降は体をこちらへ向ける。

 やめてくれ。そもそも、そちらが勝手に言い出してきたことじゃないか

 ––––––––雨降は体をこちらへ押し寄せる。

 やめてくれ。そもそも、こんなの僕の独りごとなのだから

 ––––––––––––––––雨降は大きく画面を覗き込もうとする。

 やめろ。雨降。お前に俺の気持ちがわかるわけないだろ。


 バスは、まもなく学校に着こうとしていた。
 「先輩、どうなんです」
 「やめろ…」
 「え…?」雨降は驚いた様子だった
 「やめろ。勝手に見んなよ
 そもそもお前が勝手に言い出したんだろっ!文化祭とか早とちりしてんじゃねぇよ!お前に僕の気持ちが分かるかよっ!お前に、おまえに…お前に!僕の気持ちが…わかんのかよ…?」
 バス中に僕のガラガラとした声が響き渡った。
 バスはちょうど学校に到着した。
 雨降と乗っていた人を振り払って足早に降りた。
 雨降の顔はあまりに見ていない。

 酷く驚いているのだろうか。それとも怒っているだろうか。
 ただ少し出る前になにか言っていたような気がする。でも、いまは関係ない。
 ただ今は前を、向くだけだけしか出来ない。