–––––「水野、ずっと本読んでて面白くねぇんだよ。」
   「少しくらい一緒に遊べば?」



   『こんな小説なんかこうしてやる』



そう言われて、僕の本は地面に投げつけられて。何度も踏まれて。声すらもあげられないほど僕は怖かった。終わった頃には、ぐしょぐしょになった本だけが、ただポツンと置かれていた。


第一章「彩のない世界」
友達でもなんでもないクラスの男の子たちからそう言われて、僕の大好きな本が、読めなくなってしまった。
「はぁ」
声すらも出ない。怒りも、悲しみも何もない。ただ無念さだけが僕に残っている。こんな経験、初めてだった。感情が追いつかない。
僕は、ただ本を読むことが好きな高校生。昔から、物語だったり、話を聞いたり、読んだり…。というのが好きで、授業の合間、昼休憩、そして放課後。どの時間も余すことなく本を読むことに徹底していた。そのせいか、なかなか友達と呼べるという人はいない。というか初めから僕は作る気はなかったんだろうか。入学して初日。高校という新しい生活に胸を躍らせながら通学していたような気がする。でも今は違う。僕の勝手な予想では、いつの間にか友達ができて、いつの間にか仲良くなって。そして親友と呼べるような関係が築けると思っていた。でも違った。初めは周りに同調するように力を注いでいたけど、ふとそうすることが疲れてしまった。本当の自分を押し殺してまで、することではない…そう思った。だから、自分の意見をズバズバ言ってしまった。今考えると『空気を読まない人』だと思われていただろう。そうしてクラスから孤立してしまった。誰にも話しかけられない。ただそれだけのことがこんなに辛いなんて今になって分かった。一年たった今でも僕は一人だ。そんな自分を忘れるために僕はずっと、いつでも本を読んでいたかった。僕は本が好きなんだろうか。ただ、自分の感情を押し殺すための一つの道具に過ぎないのではないか…


–––––そんなことを考えながら僕は帰路についた。帰りのバスは家までが長い。その間は、僕の趣味に没頭するとしよう。

カタカタと、心地の良いキーボードの音が続く。
「うーん。この先どうしようかな…」
僕の趣味は、小説を書くこととだ。小説を趣味程度に書いているだけで、仕事でもなく、そもそも完成したこともない。ただ、小説家ごっこがしたいだけ。
小説を読むことが好きで、それから段々と『物語を描く』ということにも興味を持ち始めて、今に至る。
狭くてなかなか、作業に向かない場所で、そういった場面でもないということは分かっている。でも、ただ、現実から離れる分にはこのくらい容易いことだ。
でも、いつかこのことがクラスの男子にバレたら、また馬鹿にされて、もっと孤立することだろう。
そんな背水の陣の中でもしている。
案外、小説を書くことは楽しい。日記帳のようなものだろうか、僕が感じていることをただ綴って、“こうなってほしい”という机上の空想な願いをただ綴る。それだけだ。
自分の作るものは到底、製作会社などに提出できるものではない。ただ、想いを適当に綴っているだけだから。そして、「少しの希望を信じて、小説家になろう」なんて思わないだろう。仮に周りから見られても。そして自分も。ただ、時間を潰して、孤独を噛み潰すために、文字を打っている。
「はぁ。僕、ほんと何やってるんだろ。」


––––––––––忘れたい。

自分が孤独であることを。自分がしていることが意味のないことであることを。
分かっている。高校生が小説家ごっこというカッコつけた行動していることなんて。だからこそ、知られたくない。ほんとの有名な小説家はどんな気持ちで書いているんだろう。小説家ってどんな感じなんだろう。小説って書くの難しいのかな。それだけの好奇心から始めただけだ。




–––––「ただいま。」

家に着いた僕は、ポツリとそう呟いた。部活をしてない僕は、この家に誰よりも早く着く。真っ暗な部屋にこの言葉が静かに響いた。制服をハンガーに掛け直し、僕はベットへと一目散に飛び込んだ。

はっきり言って僕の世界は彩がない。毎日学校に行って、授業を受けて、そして帰る。これだけだ。その間、誰とも喋らないし、喋りに行きもしない。一年前の僕の期待を大きく裏切るような毎日を送っている。

「友達……かぁ」
僕はどこで間違っていたんだろう。どこを治せば理想の形になれたのかな。
もう変えられない事実を考えていると、悲しい気持ちが押し寄せて、ツーっと涙をこぼしていた。なぜだろう。自分で決めた道なのに。
また、感情をナイーブになりながら僕はさっさと寝ることにした。


–––––朝–––––
『小鳥がチュンチュンと鳴いて朝が来た。
今日もいつもと同じ日。』
そんなことを考えながら、僕は朝の身支度を済ませていた。
「行ってきまーす。」玄関先の母に伝えた。ただ、にこやかな笑顔で僕を送り出してくれた。


–––––教室–––––
『今日も朝からガヤガヤしてうるさい。僕はそっとカバンからイヤホンと家から見つけた本を取り出し、なるべくシャットアウトした。
今日もいつもと同じ一日の始まり』
「おはようございます。」
時刻は8時30分。朝のホームルームが始まった。
「今日は『図書委員』とクラス委員が…だから…放課後のうちに…ようになぁ」
ぼーっとして先生の話を聞いていた。先生の話をしっかり聞いてる人なんてほとんどいないだろう。そんな気がするといつも思っている。


–––––放課後–––––
僕は漢字(かんじ)図書委員会の集まりに半ば強制的にきていた。「せめて、委員会だけは自分の趣味に合わせよう。」そう思って1年生の時に入ってからもう2年目に差し掛かっていた。今日はただ単に顔合わせと今後の流れについて。先生と三年生の委員長が淡々と進めていく。
自己紹介は、名前・学年・好きなこと。ベーシックな自己紹介だった。
「…一年の雨降《あまや》…」自分の番が来るまではぼーっと聞いていてただ右から左に通しているだけだった。「……です。」次は僕の番だ。「2年の水野 晴(みずの はる)です。好きなことは、好きなことは…」思い浮かばない。というか、『小説を書くことです』と言ったらおそらくこの委員会からも冷ややかな目で見られることだろう。
「好きなことは、げ、ゲームすることです…?」僕の発表は終わった。たかが自己紹介だが、やっぱり人前というのは怖い。他の人の目を気にしてしまう悪い癖が出てしまう。僕の心臓の鼓動が止むころには、もう自己紹介は終わっていた。

「はぁ。疲れた。」やっと図書委員の活動が終わり、時刻は6時30分を指していた。いつもより1時間帰るのが遅くなってしまった。バス停は夕方の強い日差しが当たっていて、とても暑かった。
そうこうしていると、「プシュー」とバスが停車し、扉の音が鳴る。いつも通り奥の席に向かい、席につく。1時間違えど、家の方面に座る人は少なく、ガラんとしている。
そして僕は周りをキョロキョロと見渡して、カバンの中から、キーボードのついているiPadを取り出した。またいつもの如くただ綴るだけの僕の趣味が始まった。
調子良く進めていた。その時だった。



–––––「水野せーんぱいっ。なーにしてるんですかぁ?」



第二章「おかしな世界」

そう。話しかけた声が僕の後ろの席の男の子が身を乗り出してきてまで、喋った。水野というのは、おそらく僕のことだろうか。

–––––いや僕のことに違いない。

……まずい。非常にまずいことになった。全く知らない同じ学校の人。そして確実に見られたこと。何より、なんで話しかけられたかすら分からない。
こわばった空気の中、その話しかけられた男の子に聞いてみた。
「だ、誰?君。」
沈黙が続いた。無神経な目が僕の胸にグサっと刺さった。僕の鼓動は、最高潮に高鳴っていた。
「せ、先輩?忘れたんですか?僕のこと…」
本当に知らない。でもそう言われれば、どこかでみたことがあるような。無いような。
「ご、ごめん。忘れちゃった。僕たちどこで出会ったっけ…?」
あははと言いながらうまくやり過ごしたかったけど、今の僕の顔は、そんな爽やかな顔でもなく、ただずっと怪訝な顔だろう。
相手の男の子は、もっと気難しそうな顔をしていた。ショックだったんだろうか。

「–––––先輩本当に忘れたんですか…?」
やめてくれ。そんな目で言われても思い出せないんだから。
男の子は、落ち込んだ様子だった。
一つ「はぁ」と、ため息を吐いてから、話し始めた。

「まぁ覚えてないならしょうがないですね。人数も多かったですし。」
「俺の名前は雨降 知佐人(あまや ちさと)って言います!今日の放課後の図書委員で水野先輩と出会ったんですが…」
うーん。全部流しながら聞いていたから全くもって覚えていない。
「その感じだと、覚えてなそうっすね。まぁしょうがないっす!」
「ところで……さっきから何してたんすか?ずっとiPadと睨めっこしては、キーボードで何かカチャカチャしてましたけど。」

–––––その瞬間、僕の心臓は大きく跳ね上がった。
あぁ。やっぱりみられていたか…。少し。ほんの少し。見られていない事を。そんな話あがらないことを期待していた自分がいた。でもそれも、すぐに潰れた。


–––––最悪だ–––––

どうしよう。誤魔化す?それとも正直に、「小説を書いてるんだ。」と伝えるべきか?無視–––––は流石にできないな。
会話という、土俵に立ったからには、全力で相手にぶつからないといけない。
バクバクと心臓の鼓動がまた上がる。

「え、えーと。」
「……?」と雨降が不思議そうにこちらの目を覗き込む。


勇気を決めるしか無いか…

「ぼ、僕さ、本が好きでさ。だから、…小説書いてみたくてさ。小説家の気持ち?みたいなのを味わってみたくて。だ、だからiPadで書いてたんだ…。」
もう。周りの雑踏音は聞こえなくなっていた。聞こえないほど心臓の音が大きかったんだ。

「………」
10秒ほどだろうか、シーンとしていてただ、乾いた空気が漂うだけだった。

「それって…」
僕はぎゅっと目を瞑った。

「それってすごい事じゃ無いですか!」
「え?」想像していた答えと違って思わず、そう言ってしまった。
「だって小説書いてるんですよね!なんかかっこいいじゃないですかっ!」
雨降はまた、身を大きく乗り出していった。
「い、嫌、小説家なんて違うよ。そもそもまだ一回も書き終わったことなんてないし、ただ単に文字を打ってるだけだよ。日記みたいな…」

そう僕は、言った。そもそも僕に小説家なんて言葉当てはまるわけがない。
「で、でも!僕にはそんなことできないっていうか、そんなこと考えたことがないんすよ!だからすげーっすよ。」
雨降は焦ったように言った。気を遣われているのだろうか。

「あ、ありがとう…?」
この言葉で合ってるのか?

数秒間沈黙が続いた。それはとても重く、苦い空気だった。

「…その、嫌な気持ちになりませんでした…?」この空気を切り刻んでつぶやいたのは、雨降の方だった。
「無責任–––というか、もしかしたら聞いちゃいけないことだったかなって…」
「いやいや、大丈夫だよ。」そう、覆い被さるように言った。
本当は、聞かれたくなかったかもしれない。でも、もし「迷惑」などと言ってしまったら、とても悲しい顔をすることだろう。そっちの方が辛いし苦しい。
そもそもこんな場所でしていた僕の方が悪いんだしな。

またしても長い沈黙が続く。はっきり言ってこの空気は気まずい。でも、何かアクションをしないと、解決なんてしない。だから。
「ねぇ」
「っ?」少し面食らったような表情だった。
「どこから早見高校通ってるの?」純粋に、会話のネタを持ち合わせていない。でも、“会話”というものを成立させるためには、大して興味のないことでも、聞かなければならない。

「俺は、東区からっすね。先輩はどこからなんすか?」
東区というと、早見高から、大体バスで10分ほど分くらいと言ったところだろうか、そこそこ遠い。
「ぼ、僕は、北区の中町ってところから乗ってる。でも、東区に近いから、このバスが最寄りなんだ。」
「中町って、高校から大体30分くらいかかるところじゃないっすか⁉︎大変っすね⁉︎」
目が飛び出るほどに雨降は驚いていた。
「そ、そんな驚くことかなぁ…?」僕は苦笑いをしながら言った。
「自分のクラスだと一番高校まで、遠いの俺くらいっすもん。みんな、チャリ通で羨ましいっすわ。」
「そ、そうなんだ。」

『次、止まります』
ピンポーンと音が鳴りながら自動アナウンスの無声音が鳴った。
「あ、自分次っすね。いっぱい先輩と話せて楽しかったっす!」
雨降は爽やかな笑みを浮かべて、颯爽とバスから飛び出ていった。


疲れた。色々疲れた。
目まぐるしく色々なことが起きた。平凡とは真逆の日だった。
雨降は、陰湿な僕とは対照的でとても明るかった。僕と違ってフレッシュさだったり、若々しさがひしひしと伝わる。特段苦手なタイプといったわけではないが、僕と大違いすぎて困惑する。咄嗟に声が出ない僕はやっぱり「ああいう場面は苦手」なんだろう。

ガチャリと玄関の扉を開け、今日も暗闇の部屋に入りベットに倒れ込んだ。
「ただいま…」
はぁ。今日も早く寝ることとしよう。色々疲れすぎた。




それからというもの、

「水野せーんぱいっ!おはようございます!」
「あ、ああ。おはよう。えーっと雨降君」
「……おぉ。初めて水野先輩から呼ばれた。」
なんだそれ。と思いながらバスは順調に早見高に向かっていた。
一つ雨降を見て意外に思った。学校の始業は8時30分。今の時刻は7時20分。遅くても学校には7時35分くらいにつくだろう。バスは別にもう2本ほど出発している。外見だけで決めつけるのはよくないが、雨降は始業ギリギリのバスでくるだろうと思っていた。
だから朝は、はち会わないだろうと思っていたが、いるとは思わなかった。少し動揺していた。


–––––学校
それは、僕にとっては地獄のような空間で、最悪な場所だ。
今日は一段と違った。

「おい。水野。早く進めよ。」ただ下駄箱で少しモタモタしただけで。
「水野、なんでバトン落とすんだよっ!」体育の時間でバトンを落としてしまった。

「水野、いい点取れたからって、澄ました顔すんじゃねぇよ。ウザいんだよ。」
別に澄ました顔したわけでも、見せつけたわけでもないのに。

教室は理不尽なことだらけだ。世間的にはこれを「イジリ」というのだろうか。それとも「イジメ」というのだろうか。その線引きが16年生きていてもよくわからない。周りは、これを「イジリ」と思った視線でこちらを見ているのだろうか。
それとも「イジメ」だと思ってこちらを覗き込んでいるのだろうか。

これほど学校の居心地が悪かったことはない。自分色を出して生活しても、かえって目立って厄介なことになる。自分色を隠しても厄介なことになる。
生活するってこれほどまでに難しいものだったのだろうか。

そんなことを考えていると授業は終わり、独りでバスの停留所に向かっていった。
バスを待って、スマートフォンを眺めていると雨降がいることに気づいた。バスターミナルはそれほど大きくないものの、2路線が1つの停留所に来るため、西区側の生徒と東区の生徒が混在するので、人の密度がすごい。
それもあってか雨降は僕の存在に気がついていないようだった。

こういう時、声をかけるべきなのか悩んでしまう。2日だけの中なのに話しかけて良いのだろうか。もしかすると、相手からは困惑してしまうんじゃないだろうか。
でも、気づいているのに気づかないフリをするのもどうかと思ってしまう。もしかすると雨降は勇気を振り絞って僕に話しかけてくれたのにも関わらず、僕だけがただ待つスタンスでいる。というのも失礼なのかもしれない。
これくらいの関係性って難しい。 

そもそも、会話なんて僕にできるのだろうか。話のネタもなければ特段、面白い内容もいない。「不可能だったのかな…」そう思ってしまった。
でも最善の一手は決まっていた。「やはり、話に行かないことだろう。」
気づいていないなら気づいていていないで終わらせられる。気づいていていてもこちらが気づいていない。というのを主張すれば、結局のところ僕から話に行かなくても、「話すか話さないか」どちらでも良い僕のとってこれが最善の手だと思った。
「…ぱい。…せんぱい?」
考えていた頭を休め雑踏音を聞いているとどこか、聞いたことのある声が聞こえてきた。
「水野先輩っ。」
雨降がもう隣にいた。
「は、はい?」気の抜けた、声が出てしまった。しまった。話した後をシュミレーションしていなかった。
「あぁーよかったぁ。俺何回もよんでたんすけどなかなか気づいてもらえなくて、マジで焦ったんすからね。」半笑いでそう告げていた。
「あ、あぁそうだったんだ。ごめんね気付けなくて」
声までは気付けなかったけど本当は気づいていた。嘘をついてしまった罪悪感を静追いながらも話は続く。
「先輩って部活何かしてるんですか?」
「ううん。何もしてないよ。雨降君こそどうなの?」
「俺はぁ、ほぼ何もしてない感じっすね」
「そうなんだ。意外。」
運動系の部活をしていると勝手に解釈していた。彼のスタイルはとてもよくて、バスケ部かサッカー部だと思っていたのに意外だった。
「ちょっと先輩『意外』ってなんなんですかっ⁉︎」雨降はばつの悪そうに言った。
「ごめんごめん。でも、スポーツやってそうだったからさ。」
「そーですかぁ?自分あんまり運動得意じゃないんですよー」
「そうだったんだ。」
そんな話をしてたら、バスが来ていた。今日はやたらと人が多い。だから座れるか不安だった。はじめに雨降が先に乗った。
「っ!」
さも当然かのように、僕の席のところを死守して、僕が雨降に近づくと、小さく指を刺して、小さな声で「ここ、座ってくださいっ」っと呟いた。
「あ、ありがとう。」
今日は、バスで小説なんて書けるわけがなかった。雨降が隣にいては、書く気にはならない。そもそも、誰にもバレずに書きたかったというのもあるからだ。

雨降は凛としてただ窓の景色を見つめていた。入学式があって、まだ一ヶ月も経っていない。それなのに雨降はずっと大人に見えた。

バスは東区に入り、雨降が降車する停留所についた。
「お先に失礼します。先輩」
雨降は、はにかんだ笑顔でそう告げて、人の束をかき分けて降りていった。

 『雨降はクールだ』
そう思わざるおえない。





今日の僕は、夢のようだった。いつもよりずっと、おかしかった。
雨降のおかげで。





第三章「ゆめ」

「来週のこの授業は、『将来の夢』について、発表してもらいます。
それまでに、自分の夢を考えて、作文を作ってきてください。」

–––––夢–––––

夢。–––––夢ってなんだろう。
夢。–––––ぼくは何になりたいんだろう。
夢。–––––ぼくは、本にかかわる仕事をしたいな。

小学校4年生の頃だっただろうか。
授業で夢について発表する授業があった。当時の僕は夢なんて考えたこともなかった。
先生が言うには、「見つけるのが難しい人は、まずは自分の好きなものから考えてみろー」と言っていた。
僕が好きなことは、本を読むことだ。初めは、文字を読むことすら苦手で、なるべく外にいたかったんだ。
夏休み。そこには大きな期待と裏にある宿題との格闘するイベント。宿題の一つとして、読書感想文がそこには大きく立ちはだかっていた。毎年どんな本を書けばいいかわからなかった。そしてずっと苦手なものの一つだった。
4年生の夏休み。「晴。これよんでみろ。」そう父から、ぽんっと少し厚い本を渡された。
「えーっ。こんな大きい本読めないよ」
「まぁまぁ、いいからいいから。」
父からもらった本は、動物をテーマにした内容で、なんとも可愛らしい表紙で、あまり好みではなかった。
渋々本を開きよんでいると、案外面白いことに気づいた。可愛らしい表紙とは裏腹に、中身は動物たちの冒険で、僕の野生心をくすぐるような内容に、いつの間にか食い入るように読んでいた。

それからと言うもの、本の魅力にどっぷりハマってしまった。



「––––––––だから。僕は本に携わることをしたいというのが夢です。」
パチパチと拍手が響き席へと戻る。
ずっと隠していたのだけれど、結局『夢』なんて思いつかなかったから、本に関する職業を夢とするしかなかった。

この頃は夢なんて考える暇がないほど日常が楽しかった。
この頃は趣味という言葉を知らなかった。

この頃は…。この頃は。苦痛なんて知りもしなかったんだ。



読書の熱は、二学期が終わっても、小学校、中学校が終わっても熱は冷めることなんてなかった。読書は単なる娯楽で、読書がなくても他のことで補えて。
だから、次第に僕の心は本では動かなくなっていた。
あんなに面白いと感じていた、父さんから勧められた本は、とうに埃がかぶって本棚に乱雑に片づけられていた。


ああ。夢ってなんだろう。
夢。ゆめ。ユメ。こんなに複雑で、でも簡単に言い表せて。考えれば考えるほど沼に陥っていくのがわかる。



––––––––すーっと画面が閉じた。
僕はいつの間にか寝てしまっていた。どれくらい寝ただろうか。あたりはすっかり真っ暗で、シーンとしていた。電気をつけるのが億劫で時間は確認しないことにした。
…不意に夢の内容を思い出す。小学校の記憶。とても久しいものだけど、懐かしいというより、戻りたい気持ちでいっぱいだった。小学校・中学校はとても濃い時間だった。思い出がギュッと詰まっている。でも、その箱を開けてしまうと、戻れなくなってしまう感覚に襲われる。僕は今を生きている。だから、過去を気にすることなんて必要ない。もっともなことに、思い出すと悲しくなってしまう。理想と現実が見合わない。
そんなことを考えているとつぅーっと夢の内容は泡のように無くなった。


「あれは本当に夢だったのかな……」



雨降と出会って夏休みを越えようとしていた。
ほぼ毎日のように話すようにはなったものの、まだどことなく壁があり、少しぎこちない会話になっている。
今日は一段と気分が落ち込んでいる。昨日思い出したくもないことを思い出したからだろうか。気分が落ち込んでいる時こそ、「何か他のことで満たされたい」と思うのは僕だけだろうか。


……だめだ。うまく小説を描くことができない。せめて完成をさせてからこの趣味を終わらせないと、キリが悪いように思う。だから必死に書いている。
バス。今日もおそらく雨降は隣に座るだろう。
だから今日も、またキーボードをカタカタと言わせて、終わりの見えない続きを作っている。
さてそろそろ荷物をしまおう。そろそろ雨降が乗ってくる頃だろう。
そんなことを思っていると、バスは東区にとまり、雨降が乗車にして隣に座った。
足早にこっちにきたのでなんだろうと思っていると、雨降が興奮気味に、
「先輩の小説、今度の文化祭で出してみませんか⁉︎」
「…へ?」きょとんとしてしまった。
うちの文化祭に提出…?
「せっかく頑張って書いてるんですから、出してみませんか?
時間はいっぱいある…とは言えないすっけど…」
最後の方はもじもじとしながら雨降は告げた。
「は、はぁ。でも、個人で出せるもんなの?」
「先輩知らないんですかー?うちの学校、写真部とかの部の展示以外にも個人で出していいらしいですよー。というか、もういっそのこと『作家部』とかで部にしたらどうですか?」
「い、いやぁそこまではいいかな。僕の唯一の趣味なだけだし。」
「あれ?先輩、ゲームも趣味なんじゃ無かったでしたっけ…?」
…そう言えばそんなことも言っていたような気がする。
「あぁ…あれは、嘘だよ。そもそも僕ゲームとかそんな上手くないし…」
「えー!じゃあなんであんなこと言ったんですか?」
「それは、『小説かいてる』なんていったらどんな目で見られるかわかんないじゃん」
「そうなんすか?自分はそうは思わないっすけどね」
そうなのか…?


「ところで小説どんな感じなんですか?」

「っっ…」
見ないで欲しい。そもそも時間と孤独を潰すためとしてしているだけで、元はというと趣味ですら思ってるいないのかもしれない。
でも、なぜか『見られる』というのはとてつもない抵抗感に襲われる。

––––––––雨降は体をこちらへ向ける。

やめてくれ。そもそも、そちらが勝手に言い出してきたことじゃないか

––––––––雨降は体をこちらへ押し寄せる。

やめてくれ。そもそも、こんなの僕の独りごとなのだから

––––––––––––––––雨降は大きく画面を覗き込もうとする。

やめろ。雨降。お前に俺の気持ちがわかるわけないだろ。


バスは、まもなく学校に着こうとしていた。
「先輩、どうなんです」
「やめろ…」
「え…?」雨降は驚いた様子だった
「やめろ。勝手に見んなよ
そもそもお前が勝手に言い出したんだろっ!文化祭とか早とちりしてんじゃねぇよ!お前に僕の気持ちが分かるかよっ!お前に、おまえに…お前に!僕の気持ちが…わかんのかよ…?」
バス中に僕のガラガラとした声が響き渡った。
バスはちょうど学校に到着した。
雨降と乗っていた人を振り払って足早に降りた。
雨降の顔はあまりに見ていない。

酷く驚いているのだろうか。それとも怒っているだろうか。
ただ少し出る前になにか言っていたような気がする。でも、いまは関係ない。
ただ今は前を、向くだけだけしか出来ない。


第四章「今を生きる」

学校に急足で僕は向かった。
あの時なんであんなこと言ってしまったんだろうと激しく後悔した。
ただ自分が我慢していれば、雨降にきつく言う必要も無かったのに。
今は後ろを振り返れない。もし雨降が目に写ってしまったら、自分がどんな感情になるかなんて、分かりきったことだ。
「はぁ…」
どこにもぶつけられない自分への苛立ちと後悔が一歩、また一歩踏み出すたびに押し寄せてくる。
時刻は7:30をまだ過ぎていなかった。

–––––教室–––––
今日もいつも通り、いやいつも以上にシーンとしていた。
僕は、授業の準備と期限がまだある課題を終わらせようとしている。
「はぁ…」月曜日なのに、金曜日のような感覚だ。肉体的な疲労より精神的な疲労がじわじわと来ている。


–––––授業–––––
今日の授業は、なんだか眠気が増していた。
ぼーっとしている時間が長かった気がする。それもこれも、雨降に関係してるのかな…そう思うと、また激しい後悔らがやってくる。


–––––放課後–––––
同じ時間のバスだと雨降に出会うだろうか。
一つ時間を遅らせてから家に向かった方が良いだろうか。
うん。そうしよう。今、雨降に出会うのはお互いにとって気まずくて、お互いにとって損だ。
そう思って、僕は1人西日の強い教室で小説を書き始めていた。

–––––帰路–––––
久しぶりに1人で帰る。隣の席はぽっかり空いていた。
席はただの席である。でもなぜか僕の横の席は特別感があった。
それも今となっては無駄な特別感がある席へと変わってしまった。

–––––帰宅–––––
「はぁぁ…」
やっと長い長い1日が終わった。
ただの平日にこんな感情を持ったことは未だなかっただろう。
頭の中で雨降だけしか浮かばないのと未だなかったことだろう。忘れなきゃいけない。雨降だけが頭を埋め尽くしていると、立ち直れない気がする。僕は、今を生きている。結局、この後の余生を考えて生きるなんて、人間、そう簡単ではないとひしひしと感じる。
僕はいつのまに雨降にとらわれて、もしかすると「虜」になっていたのだろう。
雨降のことを考えると気持ちが揺さぶられて、気持ちの整理がつかなくなる。
ただ一つわかったことは、僕は雨降がいわゆる「友達」というものだったのだろうか。それも、初めての。僕は気づかなかった。ずっと今まで。
だから今大きな後悔と、罪悪感を背負っている。そんなような気がする。
精神的な感情やら関係。目に見えないものは僕には気付けない。子供の頃からそういうものは天性の感覚を持っている人にしかわからないと思っていた。

ポツポツとベットの上のシーツに水滴が落ちては吸い込まれていく。
知らなかった感情に出会って、知ってしまった衝撃に出会って、心がぐちゃぐちゃになる。
その夜は簡単には寝付けずただ一つ一つ噛み締めるように僕の気持ちを理解しようとしていた。


–––––朝–––––
「行ってきまーす」と小さく玄関でつぶやいた。
昨晩、バスの時間とか改めて考えてみた。
結局答えなんて見つからなくて、またいつもの同じ時間のバスに乗った。
雨降が居る可能性は高い。仲直り…なんて簡単に出来たらいい。でも、小さな穴なら簡単に縫うことは出来る。でも僕と雨降の間できた穴は想像より大きく、難しい。
そもそも仲直りしたいのか分からない。この1日だけで僕の心は暗い霧に包み込まれて、自分でも見ることの出来ないものになってしまった。
ズーンとした空気が僕の周りにだけ漂っているだろう。
少しするとバスは東区に到着した。ここで雨降が乗ってきても目を合わせてはいけないことぐらいなら僕にだって容易に想像できる。
でも。せめて乗っているかいないかくらい確かめたい。それだけで学校までの時間、気の持ちようが変わるからだ。
プシューっとバスの扉が開いた。そこにはいつも通りの雨降がそこにいた。
でもオーラはいつもと違くて、目の輝きがないような気がした。
そして雨降は少し立ち止まって僕の横の席をチラッと見てから、また別の席を目指していた。

そうだろうとは思っていたけどやっぱり胸が痛い。自業自得を体現するかのようだった。

学校についても休み時間も放課後も一度もしゃべることのない毎日が続いた。
何日も。何日も。
そんな生活がかれこれ一週間続いて金曜日までやってきてしまった。
今日も放課後は、スマートフォンで小説を書いていた。今日の教室は金曜日もあっていつも以上に生徒が集まっていた。iPadでは目立ってしまうだろう。だから、操作性のわるスマートフォンで書いている。
「何やってんだろ。」小説なんてカッコつけてるだけだろ。そうやっぱり思ってしまう。でもなぜか諦めきれなかった。廊下に出て下駄箱に向かう途中もスマートフォンでぽちぽちと打っていると、前から島田たちがやってきた。
島田は、一年生の頃僕の本を投げつけてきたり、色々暴言を吐かれたりしてきた。
島田はそういうやつで、僕はそういう奴になりたくない。2年生になってからなるべく避けていたけど、それでも僕への風あたりが強い時はしばしばある。
正直言って島田たちは『怖い』。
そんな島田が、今目の前にいる。
「おい。水野。何してんの」
「な、何もしてな––––」そう言い切る前に島田は僕のスマートフォンを取り上げた。一瞬の出来事だったから、もちろん電源までは切っていない。

「やめろよっ––––」
「は?何これ。小説?お前が書いてんの?」
「い、いや。」
「何イキってんだよ、キモ。黒歴史確定だなっ!」そう、周りの仲間たちに大きな声で告げて、ギャハハと大きな笑い声を立てて、一斉に指差した。
1人は、今の僕を写真で撮ったり。
1人は、僕のスマートフォンを撮影したり。
もう1人は大きな声で、僕のことをみんなに聞こえるような声で騒いでいた。

「…めろよ」
「やめろよっ…」僕はもう震えた声でしか喋れなかった。
「勝手に見て、騒いでんじゃねえよっ!」苛立ちが最高潮に達してしまった。
少し。シーンとした空気が流れる。
「はぁ?オメェがそんなんことしてのが悪いだろうがよっ」

「お前がっ…お前が悪いに決まってんだろっ!」頭はもう働いていない。ただ思った感情だけがそのまま口に出てしまう。

「うるせえよ、黙れ!」そう言って島田の拳はは僕の頬あたりを狙って、動き始めていた。
あぁ。もうだめだ。


–––––「晴くん…!」–––––



第五章「雨と晴」

拳が僕の頬に飛んできた。でも当たった感触はなかった。
目の前には、「雨降」が居た。頭から倒れて。
「雨降くん!」なんで。なんで君がいるんだ。
雨降はスクッと立ち上がった。
「晴くんに何してんすか…?」
「は?誰お前?」
「晴くんを傷つけんじゃねぇよ!」
そう言って雨降は島田にパンチを食らわせて、食い返されて。
「雨降くん…もういいよ…大丈夫だから…。」
その場はもみくちゃになった。10分後やっと先生がやってきてなんとか幕を閉じたが、お互いボロボロで、血も出ている様子だった。
僕がトリガーになっただけで、大切な人も傷つけてしまった。
「雨降…くん。ごめんなさい。僕のせいで。」
「いや大丈夫っすよ。」そう言い残して2人は先生に連れて行かれた。
だんだん怖くなった僕は、その場所から離れて、走ってバス停へと向かっていた。
ドクドクと心臓の鼓動が止まない。
あの場所に居ておくべきだったのだろうか。そんな疑問が浮かんでしまった。
逃げてしまって良かったのだろうか。
バスがやってきて、乗車しても心臓の暴走は止まらなかった。
その夜。僕は眠気なんて感じなかった。ただ、あの時、自分はどんなことができたのだろうか–––––。いや、どんなことができなかったのだろうか。ただ自分の非を考えていた。
時刻は3時をすぎているだろうか。意識もやっと朧げになり始めて、ようやく「睡魔」というものがやってきた。朧げながら自分について考えた。



自分は、弱虫で。
自分は臆病で。
自分は、無力で。
自分は、自分は…。

“自分は、最低だ”
急に僕の目は開いた。


どうしようもない僕は、枕の中に僕の叫び声を詰めて、ベットを叩いて、そして泣いて。

激しい怒りと、悲しみと、言い表せない感情と。
それらが混じった僕はもう僕ではなかった。
生きていてこんなにこんなにも頭より体が動いたことはなかった。



–––––あれからどれほど経っただろうか。
僕はいつの間にか疲れ果てて、パタリと泣き止んで、感情の波も穏やかになった。
今は動くこともできない。当たり前だけど答えは見つからなかった。
なんでこんなことをしたのか、なにが僕をそうさせたのか自分でもわからない。
はっきり言って、自分でも怖くなっていた。
「はぁ…」
疲れ果てて、やっと睡魔が帰ってきた。



–––––あぁ…ごめんよ雨降。
雨降…きつく言ってごめん。
雨降…僕、雨降に「ありがとう」って言ったっけ。言ってなかったらごめんな。
雨降…ごめん…ごめんよ。




––––––––––雨降––––––––––
僕の気持ちはいっぱいだった。

「さぁ。始めるか…」



そんな状態で僕は月曜日を迎えた。
バスはついに東区にやってきた。普段と変わらない雨降が乗ってきた。
真っ先に僕は「雨降くんっ!」と言った。
雨降はびっくりしたような表情でこちらを振り向いた。
「雨降くん、こっちきてくれない…?」僕は席を突きながらそう告げた。
小さく雨降は頷いてこちらにやってきた。席につくなり僕は、
「ごめん。本当にごめんなさい。」僕は深々と頭を下げ続けた。
「先輩…?そんな大丈夫ですから…頭…あげてください…。」
「僕が、島田たちとあんなことしてたから、雨降くんにも迷惑かかっちゃって…。そもそも月曜日にあんな強い言葉で否定しちゃってごめん。」
「いや、先輩は正しいですって。そもそも僕が勝手に文化祭とか早とちりしてしまったのが悪いですし…。」
「でも、でも…。怪我を負わせてしまったのは、結果として僕のせいじゃないか。だから僕が…悪いの…。」
今日。バスで彼を見た瞬間に強い罪悪感が押し寄せた。
彼のクールな姿とは裏腹に、額の方にあざができていた。だから、より一層罪悪感が強くなってしまった。
僕は無意識のうちにまた頭を下げていた。

「晴くん!」
はっとした。急に自分の名前を呼ばれて頭が上がる。
「考えすぎですよ。『お互い悪かった』これでいいんですよ。僕はあの時、晴先輩を守れて嬉しいっすよ。」
「雨降くん…」そう僕がいうと雨降はクスッと笑った。
「どうしたの?」
「いや、先輩なのにいっつも俺のこと『くん』呼びだし、苗字で読んでるっすから、なんかぎこちない感じで、つい笑っちゃったっす。逆に俺は水野先輩のこと晴くんって呼んでいいですかね…?」
「あ、あぁいいよ。というか別に水野とか晴とかなんて呼んでもらっても大丈夫だよ。」
「い、いやぁそんなすぐに言えるかなぁ…。っていうか、先輩も僕のこと下の名前で呼んでくださいよっ!」
「え、えーっと………。」
「知佐人です…もう忘れてるじゃないっすかっ!」雨降は半笑いで怒りながらも言った。
「ち、知佐人くん。」
「君もいりませんー。」
「は、はい。『知佐人』……そういやなんの話してたんだっけ。」
「そういえば俺も忘れちゃいました!でもやっと先輩が俺の名前呼んでもらえて嬉しいっすわ。…名前忘れられてたのはちょっとショックでしたけどー。」
「ごめんよ、ずっと雨降って呼んでたから、忘れてた。そもそも知佐人なんて一回くらいしか聞いたことないんじゃない…?」
「そうでしたっけ?まぁいいです。その代わり僕のわがまま聞いてくださいね。」
「な、何?」
「今日の昼。一緒にご飯食べてください。」“えっへん”というかのように、高々に知佐人はつぶやいた。
「う、うんいいよ。」
「それともう一つ。連絡先交換してもらえませんか?いつもこんな感じでバッタリ会ってでしか話さなかったじゃないですか。だから交換しませんか?」
「うん。もちろんいいよ。」そう言って僕はスマートフォンを出して、すぐに僕と知佐人は繋がった。
そうこうしているとバスは学校についていた。
途中の道、下駄箱、お互い別れるギリギリまで知佐人と一緒にいることができた。

4限が終わって少しすると「ピコン」っと通知音がなった。
想像通り知佐人からだった。
「今日の昼食中庭で食べます?それとも屋上とか、そこらへんで食べますか?」
「屋上がいいかな。実は一年通ってるけど行ったことないんだよね。」
「そうなんですか⁉︎じゃあ屋上行きましょーっ!僕、屋上前の階段で待ってますね!」
僕は足早に屋上へと向かった。


「お待たせ知佐人。」
「おぉ。なんか分かっててもですけど、急に下の名前で呼ばれると照れますね。」
「じゃあ雨降君って呼ぼうか?」
「嘘です嘘ですっ!知佐人って呼んでください!」
「分かったよ。仕方ないなぁ。」

初めて屋上へ入る。
「おぉーすごい景色ですね!」
街が一望出来てすごく綺麗だった。
屋上に行くのが意外とめんどくさいルートというのもあってか、屋上は誰もいなかった。
屋上には二つほどポツンと置かれたベンチがあるだけだった。

「じゃー食べますか!」
そう言って僕たちはお互いのお弁当を出して、「先輩のお弁当美味しそうですね!」だったり、「知佐人のも美味しそうだね」だったり、色々他愛のない会話をしていた。

「そうそう水野先輩。文化祭の小説の話、あったじゃないですか。結局あれやらないことにしたんですか?自分から言っておいて失礼な話なんですけど。」
「あれね。あの時は正直、冷静じゃなくてああ言っちゃったけど、どんなに罵倒されてもいいからやってみたいかもしれない…って感じ。まだ結構迷ってるんだけどね。」
「あの…あの時ほんとに失礼なこと言っちゃったって後から思ったんっす。そもそも自分が作ったこともないのに勝手に指図してしまって…。だから。俺この土日で作って見たんすよ。もちろん素人なんで中身も適当であんまり面白くないと思いますけど…。よかったら読んでもらえませんか…?」
「そ、そうなの?すごいね。ぜひ読んでみたい。」
知佐人から送られてきた本は1000文字程度のいわゆるショートショートに当たる小説のようだ。中身も、プロのものと比較するとなかなかに構成が違う。僕が言えることではないけれども。
でもその中で『ソーダのような羊雲』だったり『絵の具を垂らしたような夕焼け』だったり、なかなかに面白い表現で表して凄かった。
内容は面白い…!と言えるわけではないけれども、表現だったり、筋が通っているので文章として成立していた。
「どうですか…?」
「凄いね。めちゃくちゃ表現が面白い。僕が上に立って言えることじゃないけれど、ほんとに面白い表現だよ。」
「ありがとうございます!作ってみて意外と難しいっすけど、めちゃくちゃ楽しくないってわけじゃなかったっす!」

さて次は僕の番だ。
「実は僕も作ってきてるんだ。もう少しでお昼終わっちゃうから、また後でどうだったか教えて欲しい。とりあえず送っておくね。」
「そうなんですか⁉︎頑張って読むんで、ちょっと待っててくださいね!」
そういって僕らの昼休みは終わった。

下校の時も知佐人は一緒だった。
「知佐人。俺、文化祭出してみようと思う。」
「急ですね!どうしてそう思ったんですか?」
「知佐人が僕のために作ってもらってすごく元気が出た。だから、僕も出して、見てもらえればだけど、見てもらえた人に元気が出るような、そんな形にしたいと思ったの。」
「いい理由ですね…!そうと決まったら、色々準備しましょう!」
「そうだね。まずは何から決めるべきだろう。」
「名前から決めませんか?本名だとまたあいつらに何されるかわかんないですし…。」
「それね、もう決めてあるんだ。」
「え…!どんな名前なんですか?」
「『雨降 晴』結構そのまんまなんだけど自分はこれが良いって思ってる。」
「えーでもそれだと雨降ってんのか晴れてんのかわかんないっすよ。」
「ううん。僕はね、『雨が降ってもそれに負けないくらい晴れていたい。』みたいな意味を込めてる。だからこの名前がいいの。どうかな…」
「凄い…!そう言われたらいい名前ですね!」
「まぁ名前が被ったのは『奇跡』だけどね」

「じゃあこれから文化祭の準備するか!知佐人!」
「おー!頑張りましょうね晴先輩!」

–––––そう言って僕の新しい学校生活が始まった。




第六章「彩ができた世界」

「せーんぱーい」
「お疲れ様、知佐人ー」
「やっと終わりましたねぇ〜文化祭ぃ〜」
知佐人は疲労MAXのようで、いつものようなシャキッと感がなくなってふやけていた。
「はい。これ。」
そういって僕は知佐人にサイダーを渡す。
「いいんすか⁉︎先輩⁉︎」
「当たり前じゃん。文化祭の始まる一ヶ月も前から、色々小説の添削とか、場所の確保、装飾とかいっぱいして貰っちゃったから、こちらがもっと感謝を伝えないといけないのに。」
「そんな事ないですよー。そもそも主役は晴くんのほうなんですから」
「それもそう…なのか?でも知佐人が言ってくれなかったら、ここまで続けられなかったよ。」
「そうですかね?って先輩、そろそろ終わりのキャンプファイヤーとかありますけど参加します?」
「いや、いいかな。お互い疲れてるでしょ?だから、上で見ておこうよ。」
「良いですね!」
文化祭はなかなかに盛り上がって、お互いはしゃぎすぎた。
初めて文化祭を誰かと回れてとても嬉しい上に、こんなに楽しいものだったのかと気づけた。やっぱりあの時、知佐人が僕に話しかけてもらえたのは本当に奇跡で感謝している。

ガチャリと屋上の扉をひらけると。秋の風がヒューと差し込んだ。
外はいつのまにか寒くなっていた。
グラウンドの真ん中でキャンプファイヤーが始まったのだろうか、生徒の声とオレンジ色の光が僕の目に反射した。
「終わっちゃいましたね。文化祭。」
「あぁ、終わっちゃったな。でも、今日は色々な事が知れた。」
「例えば何ですか?」
「まさかなぁー知佐人が『華道部』だとは思わなかったな。」
「……いつかは言おうと思ったんですぅー」
「ごめんごめん、でも文化部のイメージが無かったからさ、だからなんだろ?ギャップ萌え?みたいな感じで、凄い良かった。」
初日、知佐人を待つ前に、暇だったからふらっと寄った華道部の教室行って生花を見てると、まさかそこに「雨降 知佐人」のネームプレートがあると思わなかった。てっきり帰宅部だと思っていたので、あの時の衝撃は二日たった今でも鮮明に覚えている。
「でも、知佐人の生けてる花。素人だからあんまり大口言えないけど、凄い綺麗だったな」
「ほんとですかぁー?まぁでもこれを機に知ってもらえて嬉しいっす。」
そんな会話をしていると急に知佐人が叫んだ。
「あ!流れ星!せんぱい!せんぱい!流れ星ですよ!」
知佐人は無邪気に流れ星を僕に伝えてくれた。
「おぉ…凄いね。僕初めて見たかも知れない…」
今日は流星群がやってくる日だったらしい。
群青色に染まった空に煌びやかな星が通過していく。
「せっかくこんだけあるなら願い事とか簡単に願えそうですね!」
「あぁーそうだな。じゃあ願うか!」


数秒間沈黙が続いた。願いが伝えられ、知佐人の方を見つめてると、知佐人はまだ熱心に祈っていた。

願い事が終わったのか知佐人はふいにこちらを向いた。
「願い事何にしたんですかー?」
「教えなーい。そーゆー知佐人こそなに願ったの?」
「俺かって教えませんっ!先輩が教えてくれたら教えよっかなー」
「僕の方が先輩だ、だから教えてくれていいよな?」
「それを引き合いにして聞いてくるのめっちゃダサいっすね」
「うるせぇ!早く教えて!」
「…言ったたら晴くんも教えてくださいね?
 僕は…か、彼女ができますようにって願いました…」
と、知佐人は頬を赤ながら、僕に言ってくれた。

「うわーすごーい。いいねがいごとだー」
「ちょちょ先輩⁉︎めっっちゃ棒読みじゃないですか?ね⁉︎」
「いやいやそんなことないよ?」
むぅーとした表情で知佐人は僕を睨みつけた。
「…ところで先輩はどんな願い事にしたんですか?」
「僕はね……教えなーい!」
そう言って僕はすぐさま、知佐人から逃げた。
「晴くん⁉︎ちょっとずるいですって!おい待てや晴ー!」
そう言って僕らは満点の星空の下、ずっと戯れあっていた。




––––––––––僕の願い事はこれしか見つからなかった。


    


    ただ、知佐人が元気でいてくれる。ただそれだけだ。
    大好きだぜ。知佐人。