甲高い音が響く。カーテンの隙間から太陽の明かりが漏れていた。
もう聞き慣れたアラーム音がずっと鳴り続けている中、私はぼんやり目を開けて白い天井を見つめていた。手を伸ばせばスマホは簡単に取れるけれど、あいにくそんな力が出なかった。それは決して風邪がぶり返したわけではなく、ただ単に全身が脱力してしまっていただけだ。
うるさい音は途切れることなく鳴り続け、しばらく経って静かになった。部屋に無音が訪れる。
「…………
また、神崎が、死んだ……」
ポツンとこぼれた自分の声に、私の感情は何も追いついていなかった。
昨晩気分よくベッドに入って寝入ったあと、ここ最近まるで見ていなかった夢を見た。やっぱりというか、神崎絡みで。
そしてその内容は、またしても彼の死だった。
ゆっくり上半身を起こして顔を覆う。この三日何も無かったから、もう見ないかと思っていたのに。どうして? どうして神崎がこんな運命にあうの?
今日夢の中で見た神崎は、私とグラウンドの端を歩いている時、野球部が放ったボールが彼に向かって一直線に飛んできた。まるで狙ったんじゃないかと思うくらい、神崎の後頭部に直撃し彼は倒れた。
「なん、で……」
震える声がこぼれた。
昨日の夢。神崎が死んだ夢。
彼は、また私に告白しようとした瞬間死んだ。
ワナワナと震える手を抑える。
「どういうこと? ただの偶然なの?」
死ぬ方法も場所もちがう。共通しているのはただ一つ、『私に告白をする瞬間死ぬ』ということだ。ただの偶然でこんなことありえるだろうか? 私が学校を休んでいた日は何も無かったくせに……
再び背後で甲高い音が響いてびくっとする。スヌーズ設定にしておいたアラームだった。驚きで心臓が冷えた瞬間、何故か私の頭の中では一つの結論が浮かび上がった。揺るぎのない答えだと思った。
神崎は『死ぬ運命』じゃない。
神崎は『私に告白したら死ぬ運命』なんじゃないか。
そう思うとどこかスッキリする気がした。私が学校を休んでいれば告白する手段もないから、彼が死ぬ予知もない。だからここ三日は何も見なかったんだ。
「……でもどうして?」
なぜ、神崎と私が結ばれるといけないのだろう?
そこは考えても考えてもなにも分からなかった。仮説すら立てられない。この摩訶不思議な現象、説明出来るわけがない。
同時に絶望した。もし本当にそうだとしたら、私は決して神崎に告白されてはいけないことになる。これだけ好きなのに、私は神崎と結ばれてはいけないのだ。
そんな残酷な運命、受け入れたくない。
だがしかし、すぐにその運命を受け入れざるを得ない状況に陥った。
その日神崎に話したいことがあると言われたのを再び理由を付けて断った。場所はグラウンドすぐそば、あのまま了承していたらグラウンド端で告白されていたかもしれない。
その後遠目で観察をしていたが、やっぱり野球部のボールが暴走することはなかった。
翌日も、そしてまたその翌日も、場所とタイミングが変わった神崎の死を見せつけられた。彼は毎回私に話を言いかけた瞬間死んだ。私は何度も何度も彼の誘いを断り続けた。それはどう見ても不自然なほどで、神崎が避けていると言った言葉を否定できなくなっていった。
それでも不思議なのは、神崎はめげずに毎日私に声を掛けてきた。これほど誘いを断れれば普通心挫ける。
それは嬉しいことであり、悩ましいこと。
あれだけ好きだった神崎からの告白をこんな感情で受け入れることになるだなんて、夢にも思っていなかったのに。泣き出してしまいそうになるのを必死に堪えて彼に断りの返事を返し続けた。
次第にただの雑談すらするのも苦しくなり、あの柔らかな笑顔を見るのも辛くなった。そして私はついに、あんなに願っていた一番後ろの席を、一番前にいる友人と変えてもらった。
授業中も休み時間中も、神崎の横顔を盗み見ては喜びを感じていた最高の席だった。それでももう、私にそれを楽しめるほどの余裕は残されていなかった。
休み時間、一番後ろにある自分の机と椅子をそそくさと移動させる。それを見た美里が驚いたようにしてこちらへ寄ってきた。
「ひ、陽菜?」
「ん?」
「席変わるの? なんでまた」
「ちょっと黒板が見えにくくて」
苦笑いしつつそう答えるも、美里はまるで納得していない顔だ。声を潜めて私にいう。
「最近どうしちゃったの? 好きじゃなくなったの?」
ずっと私のそばにいる美里が、ここ最近の私の態度の違いに気づかないわけがなかった。私は運んでいた机たちをようやく目的地に置き、ふうと息をつく。
「ねえ、陽菜?」
美里はなおも食い下がり私の顔を覗き込んだ。
「最近陽菜変だよ、どうしたの?」
私は答えられなかった。
好きじゃなくなったわけがない。好きだからこそ、神崎の死の未来が耐えられない。決して恋心が消えたわけじゃないのに。
出てこない言葉に悩んでいると、少し離れた場所から視線を感じた。顔を上げると、神崎が私を見ていた。
移動し終えた椅子や机を見て、固く口を結んでいる。どこか辛そうな彼の顔に、胸が締め付けられる。
私はいてもたってもいられず、すぐに教室を出た。神崎と美里の視線に耐えられなかった。いくあてもないまま、ただその場から逃げたいという気持ちだけ残っていた。
「…………七瀬」
廊下を出て少し歩いたところで、背後からそんな声がした。
はっと振り返ると神崎だった。彼は少しだけ眉を下げ、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。反射的に数歩下がってしまう。
神崎は私の目の前に立った。彼としっかり向き合って顔を合わせるのがずいぶん久々に感じた。
「席、なんで変わったの」
真剣な神崎の声色に少しだけたじろぐ。それでも何度も頭の中でシミュレーションした通り、私は平然とした顔で答えた。ここで慌ててはいけない、なるべく涼しい顔で答えなければ。
「ああ、最近突然視力が落ちちゃって。黒板が見にくいの。成績もよくないし、この際一番前に移動してしっかり勉強しようかなあ、って」
一番最もらしい答えを述べた。神崎は返事をしなかった。ただどこか暗い表情で私を見ていた。
そんな神崎と向き合っていることだけで辛くて、私は顔を背けた。神崎と話すのですら、今は苦しい。
「ごめんトイレ行きたいから」
踵を返し再び歩き出そうとした時だった。私の手首が力強く掴まれた。驚いて見ると、神崎がしっかり私の手を持っていた。
「何で? 何でそんなに避けてるの?」
「ちが……」
「なんかしたなら言って。七瀬とこんな状況なの、嫌だから」
熱い神崎の体温が手首に伝わる。大きなその手はしっかり私の手を掴んで離さない。
押しつぶされそう。この苦しさに。
私だって神崎とを避けるのなんて嫌だよ。前みたいに楽しくやりたい、できることなら気持ちを伝えたい。でもそういうわけにはいかない、神崎の命がかかってるかもしれないんだから。
目に溢れてしまいそうな涙を懸命に堪えた。絶対に私は、泣いてはいけない。
「はな、離して」
「七瀬。聞いてほしいんだけど」
「待って、神崎」
「あのさ、別に深い意味はないから、頼むから俺と学祭……」
彼が言いかけたのを聞いてはっとする。私は自分の手を掴む神崎の腕を思い切り振り払った。決して言わせてはならないその言葉の続きに被せるように大声で言った。
「行かないから!!」
私の声が響き、神崎の表情が固まった。
「行かないから。神崎と校庭行かないから。絶対に!」
力強くそう叫んだ瞬間、神崎の顔が哀しみで溢れた。見たことのない色の目をして、ただ愕然と私を見ていた。
そんな彼の顔を見て胸が張り裂けてしまいそうになる。神崎にそんな顔をさせたいわけじゃなかった。だって私は神崎の笑った顔が最高に好きだったのに。
どうして、こうなったんだろう
「……七瀬」
「ご、ごめん。その、……ごめん」
うまい言い訳もフォローも思いつかない。私に振り払われた右手でぎゅっと拳を握った。神崎はなにも言わずに私から目をそらした。
私はそのまま彼に背を向けて早足で歩き出した。もう神崎は私を引き止めることはない。でも、彼の視線がずっと背中に突き刺さっている気がしてならなかった。
そのまま近くの女子トイレに入り込んだ。一番奥の個室に入り扉を閉める。その戸にもたれるようにして体重を預けた。今にも自分が倒れてしまいそうだったkらだ。
ついに拒絶した。
私なんかに笑いかけてくれる神崎を、拒絶した。
ぼんやりと虚ろな目で空虚を見つめた。
告白させまいと避けまくっていた日々はこれで終わるだろうか。神崎が死ぬこともなくなるだろうか。
そして、世界で一番好きな人と結ばれる可能性ももうないだろうか。
今更になって両目から涙が溢れだした。一気に流れたそれは口の中に入り込んで塩味を感じさせた。
もしこれから神崎に彼女とかできたとして、私は平常心を保てるのかな。もうあの優しい笑顔を向けてもらえなくなると再確認したあと、私は普通に生活できるのかな。
本当は一緒に校庭に行きたかった。
だって私はずっとずっと、君が好きだった。
声を押し殺して泣く。ただひたすら一人で泣いて、愛しさという気持ちを押し殺した。きっと明日から、私たちはただのクラスメイトとして過ごしていく。
その日から、私が神崎の夢を見ることはなくなった。