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「……っやああ!!」

 喉から声を漏らしながら私は覚醒した。

 見慣れた天井に乱れた息。全身にかいた汗で不快感を覚えた。寝る時にエアコンはつけていたはずなのに、だ。

 枕元のカーテンからは明かりが漏れていた。もう朝が訪れていることがわかる。

「……う、うそ、また、夢……?」

 乱暴に自分の頭を掻いた。未だバクバクとうるさい胸の音はおさまらず、心臓が痛いとすら思う。

 重い体を起こして手を伸ばし、携帯を取った。日付と曜日を確認する。神崎からの裏庭の誘いを断った翌日だった。

 携帯を握る手をぽすんと落とす。瞬きすら忘れて愕然とした。

 また? また神崎が死ぬ夢? 

「なん、なの、なんで神崎ばっかりが……?」

 昨日裏庭での誘いを断ったことにより、神崎が死の運命から逃れられたと思った。でも結果、神崎の命を奪うはずの植木鉢は落ちてこなかったから、もっと先に起こる予知なのかと思っていたけれど……。

 まさか事故死? 違う方法で神崎がまた死ぬ?

「落ち着け……落ち着いて」

 頭を抱えて自分に言い聞かせた。一度ゆっくり深呼吸をしてみる。

 夢の中を思い出す。そう、神崎と前日のドラマの話をしていた。来週は最終回だねって。そのドラマのことはよく知っていた、神崎とよく話題に出ていたのだ。

 昨日の夜、ドラマを見た。とんでもない展開で、来週の最終回の予告が焦ったく感じたのを覚えている。

「てゆうことは、今日起こる予知ってことじゃないの……!」

 絶望の声が漏れた。もし今見た夢が予知だとしたら、今日あのコンビニに車が突っ込んで神崎が巻き込まれることになる。白い車が神崎を轢いてしまうあの光景が蘇り吐きそうになった。

 私はオロオロと混乱しつつも、すぐに自分をおちつかせた。

 いや、むしろ日付が明確ならば避けやすい。昨日の予知とはそれが大きく異なっている。今日、絶対に神崎がコンビニに行かないよう阻止すればいいんだ。突っ込んでくる車の前にいなければ、神崎は死ななくて済む……!

 震える手を握りしめた。必ず神崎を死なせるもんか。そんな強い気持ちだけが残っていた。





 チャイムが鳴り響く。一日を終える合図が耳に入った途端クラス中の緊張がほぐれた。帰宅しようとみんなが各々動き出す。そんな中、聞きたくないセリフが聞こえてきた。

「七瀬、ちょっと今日、一緒に帰れない?」

 何事もなく過ぎた一日。どうも神崎を無意識に避けてしまう傾向はあったが、穏やかな一日をすごした。いつものように登校し授業が終わる。さて帰宅しようかと思った時、隣に座る神崎がそう声をかけてきたので、私の全身は一気に強ばった。

 やっぱり、予知だ。予知夢だった。
 
 机の上に置かれた自分の拳を固くさせた。大丈夫、あのコンビニに誘われたら必ず断ればいい。そうすれば、神崎が事故に巻き込まれることはない。

 少し固い微笑みで私は答えた。

「うん、いいよ」

 その返事を聞いて、神崎はほっとしたように表情を緩めた。二人で同時に立ち上がる。少し離れたところから美里がやってきて、私にだけ見えるようにニヤニヤ笑いながらVサインを作った。よかったね、頑張れよ、といったところだろうか。

 今までの私だったらそりゃ嬉しかったよ。でも今日ばかりはそうもいかない。神崎の命が私の行動にかかっていると言っても過言ではないのだ。私は美里に疲れた笑いを返すだけで精一杯だった。

 神崎と駐輪場に行き自転車を出す。そのまま二人で自転車を押しながら歩き出した。

 神崎と一緒に帰るだなんて初めてのことだった。普段は自転車をかっ飛ばして帰るのだから当然と言える。きっと私に告白をしようとして、彼は誘ったのだ。

 そう考えて胸が痛んだ。あれだけ大好きだった神崎が告白しようとしてくれているのに、今私はそれどころではない。もっと彼の告白に全身全霊喜べるような状況だったらよかったのに、正直そっちまで全然意識が回っていなかった。

 神崎がいつものようにくだらない話をして笑わせてくる。私はなんとか平然を装ってそれに相槌を打つ。

「七瀬昨日のドラマ見た? やばい展開じゃなかった?」

 そんな質問が聞こえてきて一瞬息を止めた。どこかで聞いたことのある声だった。

「あ、うん見たよ……来週最終回なのにちゃんとまとまるのか心配だよね」

「俺あんまドラマ見ないタイプなんだけどあれはハマってるわ」

 夢と全く同じ会話を交わす。私のざわめきだつ心とは裏腹に、神崎は爽やかな笑顔のまま続けた。

「あっちにコンビニあるじゃん? ちょっと炭酸でも買わない?」

 彼が指差す方向は私の帰宅方向だった。

 ピタリと足を止める。ここは神崎と帰宅道が分かれるところだ。夢ではこのまま、私の家に向かって歩きだしコンビニを目指した。

 私は神崎の顔をしっかりと見上げて言った。

「ごめん、今日急いでて」

 真剣な私の言葉に、神崎の笑顔が消えた。

 決して神崎をあのコンビニに連れて行ってはならない。ここで分かれれば彼が自分の家と反対方向にあるコンビニに行くことにならないはずだ。

 私は軽く手を振ると、そのまま神崎に背中を向けて帰宅方向へ進んでいく。この後、私はあのコンビニに行くつもりだった。神崎を遠ざけさせるのはもちろん、今から乗用車が突っ込むことを知っているあのコンビニで、他に怪我人や死人が出ないようになんとか務めたいと思った。コンビニの出入り口を避けていれば轢かれてしまう人はいなくなるはず……

 自転車に跨ろうとした時だった。

「七瀬」

 神崎が呼び止める。私は振り返った。

 彼は随分と難しい顔で私を見ていた。

「俺、なんかしたかな?」

「え」

「七瀬、俺を避けてない?」              
 
 目を丸くして神崎を見る。悲しげな神崎の目が私の胸をぎゅっと締め付けた。

 まさか、違う。ああでも、そう思われても仕方ない。

 二日連続見た予知夢のせいで、どうも神崎と接するのが怖かった。目を閉じれば彼が目の前で死んでしまう状況が見えてつらかった。隣の席に座る神崎に話しかけられても、いつものように答えられない。彼が避けられていると思っても仕方がなかった。

 でも違う。だって私は神崎が好きなのに。

 口を開きかけた時、はっとして時計を見た。ゆっくりしていると車の衝突の時間になってしまう。

 私は慌てて言った。

「避けてるわけじゃない……! 本当に。ただ、ちょっと今はごたついてるっていうか忙しいの。だから、ごめん、また今度!」

 神崎の返事も聞かずに自転車に跨った。彼が後ろでどんな顔をしているのかは確かめなかった。私はそのままペダルを漕ぐ。

 心の中で神崎に謝りながら風を切って例のコンビニを目指した。神崎は私を止めなかった。

 少し進んだところに見慣れた店が見えた。まだその姿は無事だ。そばに寄って自転車を置いたあと、あたりに注意しながら店内へ入る。

 夢で見た店員さんがレジにいた。だが幸い、店内は殆ど客はいない。私は外の様子が見えるように雑誌売り場へ行き、適当に一冊手に取って開いた。

 白い乗用車が入ってきたら、それだと思えばいい。出入り口に人がいないか注意してよう。もし誰かいたら、思い切り突き飛ばすつもりで走るんだ。

 血眼になって外を眺める。広い駐車場には、まだ白い車は一台も見えない。

 ちらりと時計を見る。多分そろそろ。もうすぐ車が突入するはずなんだ……!

 緊張感をマックスにして私は立ち続けた。手汗で雑誌がふやけてしまうかと思った。




 何も、起こらなかった。

 すっかり日が落ちてきた外を唖然と見つめる。持っている雑誌はちっともページが進んでいない。コンビニの店員が、私をジロジロと見ているのに気がついていた。

 車は何台か入ってきた。でも白い車は一台もなく、ましてや店内に突っ込む車なんていなかった。

…………どういうこと……?

 あの予知夢で見た時刻はとっくに過ぎている。なのに起こらない、何も起こらないのだ。

 混乱する頭を抱えながらようやく雑誌を棚に戻す。さすがにこれだけ時間が過ぎていたらもうあの事故は起こらないのだと結論づけるしかない。

 長い立ち読みをし終えたという迷惑な客のレッテルを貼られて終わってしまった。私は俯きながら外に出る。

 ひっそりと置かれていた自転車が寂しく見えた。夕日で赤く染められて余計悲壮感が漂う。

 私はそれに跨り、大きくため息をついて顔を手で覆った。

 どういうことだろう。やっぱりただの夢で、予知なんかじゃなかったってこと? それにしては、コンビニに誘われるまでの一連はピッタリと一致している。途中までは予知夢で途中からただの夢……ややこしいわ。

 カラカラになった唇をそっと舐める。

 今更ながら誘いを断った時の神崎の顔を思い出した。こんなことなら一緒にコンビニに来ればよかった。せっかく神崎が告白して……いや、それも果たして本当に予知だったのだろうか。

 分からない。全てが分からない。

「……でももしかして、神崎がここにいないから何も起こらなかったの……?」

 彼が死ぬ運命だから? そんあことある??

 再び今まで見た予知を思い出す。植木鉢が落ちるシーンと車の事故に巻き込まれるシーン。二つとも共通しているのは神崎が死んでしまうこと。あとは場所も方法もまるで違って……

 はっとした。

 ようやく気がつく。それは二つとも、『私に告白をした瞬間に死ぬ』という共通点があった。

「いや、でも……そんなの流石に関係ないよね」

 震える声で否定する。植木鉢の件なら、例えば誰かが告白を阻止しようとして故意的に落とした可能性も否定はできない。でも今日は車だもの、さすがに規模が違う。ただの偶然だろう。

 ……そうに、違いない。

「帰ろう」

 ぐったりとしてつぶやいた。

 ここ二日心が緊張でいっぱいで、全然休める瞬間がなかったように思う。でもこれで今日はもう終わりだ、神崎も事故に巻き込まれなかったのだし、ゆっくり休もう。

 私は無い力を振り絞ってペダルを漕いだ。



 家に帰った途端、安心したのか力が抜けてそのままベッドに倒れ込んだ。夕飯時に母が部屋にきたとき、自分が発熱していることに気がついた。きっと精神的な疲れが出たのかなと自分で思う。

 熱は久しぶりに三十九度を上回る高熱でうなされた。でも、神崎が死ななかったという事実は私の心を救った。目の前で好きな人に死なれては、一生もののトラウマになりかねない。分からないことは多々あるが、とにかく神崎が死ななかったという事実だけは嬉しいのに間違いない。

 それから私は三日間風邪で寝込み学校を休んだ。心配してくれた美里と神崎がLINEを送ってきてくれたのに微笑みながら、私は穏やかに療養していた。

 その三日間はもう、予知を見なかったからだ。

 もし神崎の逃れられない死の運命だったら、きっと毎日のように予知を見るはず。万が一学校を欠席中に神崎が死ぬ夢を見たならば、這ってでも登校してそれを食い止めるつもりでいた。

 でももう三日も彼について予知夢は見ていないし、LINEを見る限り彼は元気そう。

 あの二日間だけは偶然が重なって神崎が危なかったんだな。植木鉢の落下や事故が実際起こらなかったのは不思議だけど、そこはもういい。怪我人がだれもいないんだしこれ以上ない結果だ。

 誰も知らないけれど私は神崎の命の恩人ってわけだ。一人笑う。こんなこと言っても信じてもらえないだろうからいう相手がいないのが辛い。

 脇に挟んでいた体温計を取り出して見た。熱はもう平熱に戻っている。明日は学校へ行けそうだった。

「明日こそ、神崎とちゃんと話さなくちゃ」

 避けてないってこと。もし本当に告白されたなら、迷うこともなくその言葉を受け入れたい。

 私は携帯でアラームをかけたのを確認すると、ベッドへと入っていった。