「……ってのがもう一年は前よ」

 私は美里に言った。

 そう、あの徘徊おばあさん保護事件をきっかけに、神崎とは仲良くなった。そして今年に入り同じクラスに。そりゃさ、困ってる時にあんなふうに助けてもらったら惚れるって。

 美里はうっとりとしながら言う。

「何回聞いてもいいエピソードだわ……最初に声かけてあげる陽菜もいい子だし神崎もいいやつだ」

「私は何もしてないんだけどね」

「そんなことないって。二人ともいい子だよほんと」

 神崎は明るく、普段アホみたいに見えてここぞと言う時は頼りになる。私の心は彼に持っていかれたまま返ってこないというわけだ。

「友達としては、早く二人にくっついてほし」

 美里が言いかけた時だ。教室の扉が開いて賑やかな声が入ってくる。神崎と男子たちだった。私たちは口を閉じる。

「あーっ。パン売り切れてたー!」

 なぜかやたら楽しそうに笑いながら神崎がそう叫ぶ。そしてそのまま私の隣の席に座り込んだ。

 神崎が入ってきただけで、教室がぐっと明るくなった気がする。それは本当に彼の持つ力なのか、はたまた私一人の印象なのか。

 そっと隣を見てみると、ちょうどこちらを見た神崎と目が合う。

「七瀬、弁当?」

「そ、そうだけど」

「今日めっちゃ購買人多かった、棚全然物なくて、仕方なしに不味そうなパン買ってやった」

 神崎が指先でパンのビニールをつまみ上げる。そこには『やきそばからあげパン』と書かれたボリュームたっぷりのパンがぶら下がっていた。

「うそ、美味しそうじゃん」

「え! 七瀬まじでいってる?」

「絶対美味しいよそれ」

「やきそばも唐揚げも好きだけど別々で食べるもんだろー!」

「ええ、美味しそうだよ、食べてみたいって思うもん!」

「七瀬味覚大丈夫?」

 神崎が目を線にして笑った。つられて私も笑う。

 最高にどうでもいい話なのに、神崎相手では頬が緩んでしまう。これは重症だ、と私は自覚していた。

 去年助けてもらってからずっと私たちは友達止まり。でも本当は進んでみたい、と思う欲が無いわけがない。





 
 聞き慣れたアラーム音が枕元で鳴り響く。ううんと唸りながら、私はそれを手探りで探した。

 ちらりと時計を見て朝だということを認識する。

「もう朝かあ」

 でも、今日は目覚めのいい朝だった。起きる時めちゃくちゃ眠い時とスッキリ起きれる時の違いってなんだろう、そのコツ誰か教えてほしい。毎朝こうやってスッキリ起きたいよ。

 私はベッドから上半身を起こす。一度大きく伸びをした時、脳内に映像が走った。はたと止まる。

「……そういえば、今日も夢見たかも」

 昨日席替えのくじ引きをした夢を見て、現実がその通りになった。かなりびっくりな展開だったのだけれど、そのせいだろうか、今日も神崎が出てきた。

 ただどうも具体的に思い出せない。なんだっけ、なんか嬉しい夢だったような。ええと。

 ベッドの上で腕を組み唸る。普段夢を見ない私が連日夢を見るなんて珍しいんだから、思い出したいよーしかも神崎が出てきたんだし……

「あ!!」

 ぱっと顔をあげる。そうだ、そうだった。

「神崎がまたあのパンを買ってくるんだ」

 忘れていた夢の内容が一気に脳内で蘇って駆け抜けた。今日は神崎が購買でまたあのやきそばからあげパンなるものを買ってくる。そして私の机に放るのだ。

『昨日羨ましそうにしてたから買ってきた、七瀬にあげる!』

 パンなんて非常にどうでもいいのだが、神崎が私のために買ってきてくれたと言うことに嬉しさで飛び上がった。何かお返しを、とオロオロしていると、神崎が笑って言った。

『じゃ、その弁当のミートボール一個ちょーだい!』

 見下ろすと、私の弁当の中には確かにミートボールが入っていた。

……というところで目が覚めたのだ。

「二日連続で神崎絡み……もう、自分どんだけ好きなんだ」

 恥ずかしくて呆れた。まあ、嬉しいんだけどさ、夢の中に好きな人が出てくるって。でも連続で見るなんて、自分の頭の中がどれくらい神崎でいっぱいなのか思い知らせられる。

 ふと、昨日見た夢は現実で起こったな、ということを思い出した。席替えで六番を引いて、神崎と隣になる夢。

 まさか、今日もそうなったりして??

「いや、ないな」

 自分で問いかけて自分で否定した。昨日は確かに凄かったけど、すんごい偶然が重なっただけだろう。二日連続で現実になったらそれは私に超人的な能力があることになる。

 未だかつて自分にそんな不思議な能力があると思ったことはない。

 そんなことより、今日からしばらく神崎と隣の席なんだ。これはいつもより身だしなみに気合いが入ってしまう。忘れ物とかもないようにして、何かあったらさっと出せるいい女を演じなくては! 背伸びしすぎはよくないなんて言うけど、好きな人の前で背伸びしなくていつするっていうんだ。

「やばい早く支度しないと」

 私は今朝の夢のことなんか忘れて、慌ててベッドから飛び降りた。相変わらずロングヘアは寝癖で跳ねていた。





 ガヤガヤと賑やかな声が教室中に響いている。お昼休憩になり、いつものように美里が私の席までお弁当を持ってやってきた。

「ねえ次って体育だよね、昼の後すぐ体育って辛くない?」

「あは、わかる。動くのすごく辛い」

「その次はHRかーま、学祭の準備だよね。彼氏の学校は学祭なんて全然力入れないんだって。それはそれでつまんないよね?」

「そうだね、うちのは楽しいもんね」

 私の前の席に座ってどうでもいい話をして笑う美里を眺めつつ、机の横にかけておいた弁当を取り出す。美里が隣を見て言った。

「神崎はまた購買? いつもだよね。まあ男子は購買組多いよね」

「たまに購買のパンって食べたくなるけどねー」
 
 何も考えず中から弁当箱と箸を取り出した時、すっかり忘れていた今朝の夢を思い出した。

 はたと手を止める。

「どうしたの陽菜、険しい顔して」

 美里が不思議そうに眺めてくる。言おうかと口を開きかけるも、二日連続で神崎の夢を見ただなんて流石に恥ずかしくて黙り込む。

 それに、まさか。まさかね、そんなわけない。

「あ、いや、なんでもない」

 美里は深く追及してこなかったので、そのまま会話が途切れた。私は見慣れた犬のキャラクターが描かれた弁当箱の蓋をゆっくりと開く。その中身を見て、手が止まった。

(…………
 ミートボールだ……)

 そこには、夢で見たようにミートボールが入っていた。

 心臓がひんやりとした不思議な感覚に包まれた。

 昨日は驚きと喜びでワクワクしたような感覚で笑っていたけれど、二日連続で信じられない事態を目の前にすると人間恐怖とも言える感覚に陥るらしい。

 偶然? そうだよね、お母さんはミートボール入れる率結構高いし。だからたまたま被っただけだよね?

 茶色の丸い物体をじっと眺め戸惑っている時だった。さらに私の戸惑いを強くするものが机の上に投げ込まれた。

 トサっと軽い音がした。白い弁当箱の隣に並んだそれは、パサパサしてそうなよくあるパンに、やきそばとからあげが挟まっているものだった。

 息が止まる。冷えていた心臓が、さらに冷えて氷点下まで落ちたようだった。

「七瀬、やる!」

 右隣からそんな声が聞こえてきた。ゆっくりと顔をあげる。目を線にして笑う神崎が、私を見下ろしていた。

「……え」

「昨日羨ましそうにしてたから買ってきた、七瀬にあげる!」

 その屈託のない笑顔は、普段なら私の全身を熱くさせてしまうほどの代物なのに、今日ばかりは混乱の絶頂のためそんな余裕はない。私はただ瞬きもせずに神崎の顔を見つめてしまう。