…………夢の、まんまだ。

「? 七瀬?」
 
 不思議そうに神崎が首を傾げる。私は急いで答えた。

「み、みてよ、六番だよ」

「最高じゃん」

「神崎はどこかなー?」

「俺も後ろがいいー」

 羨ましそうに私に言った神崎は、くじを引くために列に並びにいった。クラスの中でも背が高くて目立つその横顔をドキドキしながら見つめる。

 いやいや、確かにすごい偶然だったけど。だからと言って、驚くのはまだ早い。重要なのはここからだ、神崎が何番を引くか。これが一番大事なんだから。

 自分の手の中にある六の数字を見ながら彼のくじを待つ。神崎が箱に手を入れ、一枚引いた。

  歩きながらそれを開いて中身を確認した彼は、一瞬驚いたように目を丸くした後、わかりやすいほどに顔を綻ばせた。その様子を見て、息が止まる。

 夢の中で見た光景と完全に重なったからだ。

 まさか。

「七瀬!」

 神崎が笑顔で駆け寄ってくる。

「え、…………」

 彼が持っている小さな紙を私に見せる。

 そこにはしっかりと、書かれていた。

 六、と。

「一番後ろ、六! 七瀬隣よろしく!」

 唖然として彼の顔を見上げた。

 嬉しそうに笑って目を線にしてる神崎。正直、今は神崎が隣になったことよりも夢の通りになった驚きの方が大きいかもしれない。

 正夢だった。

「……七瀬? どうした」

 無言の私を不思議そうに神崎が覗き込む。はっとして慌てて笑顔を作った。

「隣だ、神崎よろしく!」

「でもやっぱ窓際いいなー」

「一番後ろって願いは叶ったじゃん、よかったね」

「ま、そうだな。あーこれで授業中思い切り伸びできるわー」

 あはは、と笑う神崎の顔を、私は無言で眺めていた。





「え、すごくない? そんなことある?」

 美里が目を丸くしてそう言った。

「すごいよね、正月でもないのに」

「そんな能力あったの陽菜!」

「私も初めての経験だよ!」

 美里と向かい合ってお弁当を食べていた。隣の席の神崎は購買にでも行ったのか今は教室にいない。

 私は周りに聞こえないように美里に例の夢の話をしていた。神崎が夢と同じ言動をしたこと、そして六番を引き当てることも夢の通りだと。美里は大興奮で私の話を聞いている。

 言ったがこんなこと人生で初めての事。今までそんなすごい夢なんて見たことなかったし、というかどちらかといえば夢なんて全然見ないタイプだったのだ。それを突然、あんな細かな部分まではっきりと覚えてる夢を見て……。
 
 弁当の中の卵焼きを食べながら私ははあと息をつく。

「もう、ほんとびっくりしちゃって……」

「もうこれはさあ。神様からの示しじゃないの?」

「え?」

 美里は小声だったのをさらにボリュームを落とし、私に顔を寄せた。

「告白、しろってさ」

「 ! 」

 美里は面白そうに笑っている。ちょうど食べていた卵焼きが喉に流れ込んでむせ返ってしまった。お茶を飲んで美里を非難する。

「急になに! びっくりしたじゃん!」

「えー急も何も。ずっと前から頑張れって言ってるじゃん」

「ずっと無理だって言ってるじゃん」

 目を座らせて美里を見る。もう一つ卵焼きを箸で掴んだ。

「何でよ? 上手くいくと思うけどなあ」

「神崎結構モテるし……」

「だからこそ、他の女に取られてもいいのかって」

「よくないけど」

「一番仲良い女子は絶対陽菜だよ」

「仲良くても、友達と恋愛は違うでしょ」

 ようやくゆっくり卵焼きを頬張る。出汁のきいたそれを味わっていると、美里は不満げに口を尖らせた。

「神崎も陽菜を好きだと思うな〜」

「そんな自信ないよ……」

「だってじゃあどうするの、去年からずっと好きなくせに」

 美里の厳しい声が響いた。つい俯いてしまう。

 そうだけどさ。去年隣のクラスの時から好きだった。

 あれは一年生の頃。まだ神崎のことは、『背が高くてモテそうな男子だな』ぐらいの認識だった。隣のクラスでも、顔ぐらいは知っている。

 そんなある日、自転車通学をしている私は帰り道でうずくまる人を発見したのだ。



『あの……大丈夫ですか?』

 自転車から降りてそう声をかけた。どうやら高齢女性のようで、グレー色の髪の毛が見える。体調が優れないのだろうか。その人は私の呼びかけにぱっと顔を上げた。やはり、多くの皺が顔にあった。

『ええ、大丈夫ですありがとう。ちょっと疲れてしまって』

 そう上品に笑った女性が立ち上がる。その姿を見て私はギョッとした。彼女はどう見ても、パジャマを身に纏っていたのだ。その上ズボンは泥だらけ。随分長いこと歩いてきたと見える。

 ……これってもしかして、認知症の人?

『ねえ、大根を買いに来たんですよ。八百屋さんどちらだったかしら?』

 意外にもハキハキしたようすで話すが、あいにくこの辺に八百屋なんて存在しない。格好と柔らかな笑顔がアンバランスだ。

 このまま放っていくわけにはいかない。家族の人に連絡してみた方がいいのではないか。

『あ、あの、ご自宅は分かりますか? それか電話番号でも』

『家より今は八百屋を探しているんですよ、教えてくれませんか』

『あ、あの……一度ご自宅に帰ってからまた行った方がいいのかも……。私送りますから、住所か電話番号を』

『八百屋を、教えてください』

 頑なにその人は八百屋にこだわった。もしかしたら住所も電話番号も覚えていないのかもしれない。私は困って眉を下げながら考える。こうなれば、警察に保護してもらったほうがいいのではないだろうか。

『じゃあ警察に行きませんか、すぐそこに交番がありますから……』

『警察? どうして? 私悪いことなんかしてませんけど!!』

 突然、彼女は目を釣り上げて怒った。その豹変ぶりに驚いてたじろぐ。興奮しているようで、顔が紅潮していた。

 どうしよう、警察に電話してきてもらって……でもその間この人引き止めてられるかな、私一人しかいないのに……!

 経験したことのない展開に絶望しているときだった。

『……どうしたの』

 背後から低いアルトの声が聞こえた。振り返ると、自転車を引いて立っている神崎隼人がそこにいたのだ。

 それまで一度も話したことのない隣のクラスの男子。でも私は縋り付くような視線を彼に送ってしまった。本人の前で認知症の人が……と言葉に出してしまうのも、また怒らせてしまいそうで言えなかった。

 神崎はおばあさんの服装と興奮してる様子と、困りきっている私の顔を交互に見た。そして状況をさっしたのか、一度大きく頷く。

『私はねえ、大根を買っておでんを作らなきゃいけないの! 八百屋が遠くって……』

『俺、八百屋知ってますよ』

 神崎は優しい声でそう言った。おばあさんが振り返る。

 彼はにっこりと笑って続けた。目が線になる、人懐こい笑い方だった。

『少し歩いたところにね、安いお店あるんですよ。一緒に行きません?』

『え……あら、そうなの?』

『おでんいいですね。俺卵が好きです』

『あらあ、まだ若いわねえ』

 突然おばあさんは機嫌が良くなった。ニコニコと笑って神崎の隣に移動する。神崎は私に視線をおくった。

 警察に、このまま行こう。

 その視線に気づいた私はそっと神崎の背後に並んだ。笑いながら神崎とおばあさんが歩いていくのを、ゆっくりとついていく。

 そのまま神崎は交番にたどり着いた。おばあさんはまた怒り出すかと思ったが、神崎が『八百屋の場所をど忘れしたから聞いてきます』と説明したら大人しく機嫌よく待っていた。

 その後、やはりあのおばあさんは認知症で、自宅から一人でて徘徊してしたことが判明したのだ。