「二度目だね、警察に二人でお世話になるの」

 自転車を引きながら神崎が笑った。

 あの事件の直後、警察の人たちに色々質問攻めされた後、連絡先を控えられて帰宅させられた。また今後話を聞かせてもらうかもしれない、と言われ、本当に大きな事件に関わってしまったのだと痛感する。

 もちろん後夜祭は中止。校庭組もだ。学校内は慌ただしく動き回り、特に先生たちは前代未聞の事件に呆然としていた。被害者こそ出なかったものの、一歩間違えれば多くの犠牲者が出ていた事件だったのだ。

 恐らく少したったらニュースでも流されて世間でも大きな騒ぎとなる。教師が生徒に刃物を向けた、だなんて。きっと学校もこれから大変だろうな。

 辺りはもう暗くなりかけていた。昼間の暑さもだいぶ和らぎ、時折吹く風が心地よさを感じるほどだった。人気の無い住宅街の細い道をふたりで歩く。

 神崎と並んで帰るとやっぱりあの認知症のおばあちゃん保護事件を思い出す。あれも二人で警察にお世話になったんだった。

「あは、そうだね。でも今日の事件に比べたらあの日のことは大したことじゃなかったよね」

「ほんと、今でも俺信じられない。夢かなって思う」

「わかる、まだぼうっとしてるっていうか……本当に現実だったのかなって。三木先生、どうしてあんな……」

 言いかけて言葉に詰まった。自分の担任の先生が、自分たちを殺そうとしていただなんて。信じられないし信じたくないと思った。

 そんな私の落ち込んだ気持ちを気遣うように、神崎が言う。

「俺の勘だけど、なんか普通じゃなかったから……こう、薬だとか、精神的におかしかったとか、そういう理由があったんじゃないかなと思ってる」

「そ、っか……確かに、動きとか喋り方とか、どうもシャキッとしてなかったよね」

「だから俺が無事でいれたっていうのもある。でも突然襲われたら驚いて逃げられないだろうから、あの未来は間違ってなかったと思う。これから警察の人が調べてくれると思うけど」

 タイヤがカラカラ回る音が虚しく聞こえた。ゆっくりとした歩調で下り坂を降りていく。先生のことはショックだけど、被害者が出なかったのは本当にいいことだと思った。

 あの予知では何十人と被害者が出ていそうな映像だったから。そこには美里や遠山くんや私も含まれていたのだ。

「でも七瀬、本当に消火器お手柄だった。俺じゃどうしようもできなかったし」

「え! だってあれは、元々神崎が言ってた方法だったでしょう。私それを参考にしただけだし」

「でも消火器を構えて迷いなく噴射させてた姿はカッコよかったよ」

「や、やめてよ。色々気づいたのは神崎だし、やっぱり神崎はすごいなって思ってたところだよ」

「はは、俺たち褒め合い」

「今日ばかりは褒めまくってもバチは当たらない」

 二人で少しだけ笑い合った。

 夏特有の匂いと微かに聞こえる虫の音がどこか胸を締め付けた。少しじっとりとした汗ばむ喉元さえ、今は何も気にならなかった。

 私一人じゃ何もできなかった。神崎がいてくれないと、あの予知を見ても何もできなかったから。

「……神崎は、私が刺される予知、見てたんだね」

 ポツリと聞いた。気になっていたことだ。神崎は確かにそう言っていた。だから私を守ろうとしてくれていたと。

 彼は少し間があった後頷いた。

「俺が見た夢は七瀬しか見えなかったから、無差別な犯行だとは全然気づけなくて」

「それで、私を校庭に誘おうとしてくれてたんだ」

「校庭の方が人も少ないし人混みじゃなくなるから、守りやすいかなって」

「……ねえ、もしかして、最近やたらいろんな男子が校庭に誘ってきたのって」

 私は恐る恐る隣を見上げた。彼はややバツが悪そうに頬をかいて言う。

「……ごめん、俺が誘ってもらうように頼んだ」

「はあ〜……やっぱり」

 大きなため息をつく。ほら、モテてる感じじゃないって思ってた! そういうことか。納得がいった。それでも結局体育館を選んだ私を、神崎はもう自分が守るしかないって覚悟して話しかけてくれたんだ。

 全然知らなかった。そんな深い事情があったなんて。

「ごめん、そんなことまで考えてくれたなんて」

「いや、俺が周りくどいやりかたしてたから」

「本当にありがとう。神崎、私は結局神崎に命を助けられたよ。他の人たちもみんなそう。感謝してもし尽くせないよ」

 私は顔をあげて笑った。隣の神崎は優しく微笑む。人懐こいその顔を見て、つい心が高鳴った。ああ、ずっとこの笑顔から逃げてきていたけど、ようやく見れたなあ、なんて。

 その優しい笑顔がやっぱりすごく好きだ。

「二人力を合わせて、だよ。七瀬がいなかったらあんなに上手くいかなかった。間違いない」

「う、ん。ならよかったよ」

「俺たちお互い命の恩人ってことで」

 白い歯を出して神崎が言う。私は頷いた。

「そっか、そうだね。とにかくがむしゃらに頑張っただけだけど、結果的にそうなるのか。よかった、本当に。神崎に何もなくてよかった」

「七瀬も。逃げろって言ったのに逃げないから」

「だって、友達も神崎も置いてくことなんてできないよ……私一人だけなんて」

「七瀬は優しいね」

 そう柔らかな声で言われたので驚いて隣をみた。声に負けないくらい、神崎は柔らかい顔で笑っている。それを見るのが何故か苦しくて、視線を逸らした。