「……願望が夢になってでてきちゃったかな」

 私は小声で呟いた。そうだ、きっとそうに決まってる。だって神崎と隣の席になりますようにって何度も祈ってたんだから。そりゃ夢にも見る。

 神崎隼人。私がこっそり片想いをしている相手だ。

 今年になってようやく同じクラスになれたけれど、私の片思い歴は去年から続いている。

 元々神崎は身長が高くて目立っていた。短髪の黒髪に、奥二重の目。笑うとふにゃって柔らかい表情になって目が線になる。そんな彼を、名前ぐらいは知っていた。なんだかモテそうな子だなあ、なんて印象を持っていたぐらいだったのに。去年のある事件をきっかけに知り合い、そこから片思いが始まっていくのだ。

「夢の通りになんないかなあ」

 ポツンと呟く。好きな人の隣の席! こんなの、憧れない女子はいないはずなんだから。

「陽菜? なんだ、今日は起きてたの」

 洗面所にひょこっと顔を出したお母さんが言った。私は振り返る。

「おはよー」

「おはよ。その芸術的な寝癖どうやったらつくの、まったく」

 ケラケラと笑いながら母は立ち去った。言われなくても分かってるさ、今からこの寝癖と格闘の続きをするんだから。

 好きな人がいると、どうしても身だしなみは気にしてしまう。

 髪の乱れ、肌の調子、体型の維持、私たち女子は気になることが山ほどある。それは好きだと思っている相手に少しでも、一瞬でも可愛いって思ってもらいたいから。いや、それは欲張りすぎたな。清潔感あるやつだな、ぐらいで十分かもしれない。

 幸運にも神崎は今現在彼女はいない。その役目に立候補したいのは山々だけれど、告白だなんてできるわけがない。もしフラれたら立ち直れない。

 女子の中では、神崎と仲のいい方だと思う。まあ彼は誰に対しても明るく接しやすいので人気者なのだが、それでも私は特に趣味も合うし話が盛り上がる。でもそれが彼女候補になるかどうかは別の話だ。友情と恋はまるで違う。

鏡の中の自分と必死に戦う事十分。朝食ができたと母の大きな声でようやく本日の試合は終了した。うんまあ、まずまず私の勝利ではないだろうか、あの寝癖がここまで直ったのなら上出来。

 制服に着替えて朝食を頬張る。そして時計を見て家を出る時刻になると、私は挨拶だけ家の中に置いて颯爽と飛び出し自転車に乗った。

 私は学校から家がそこそこ近いので、基本的に自転車通学をしていた。めんどくさいのはあるが、混雑するバス通学も嫌だからどっちもどっちだと思っている。

 ただ、今の季節は夏。自転車通学には地獄。朝から汗だく間違いなし。

 生ぬるい風を浴びながらおよそ十分で私の通う高校は見えてくる。首に流れた汗を拭きながらそこを目指してペダルを漕ぐ。目の前の信号が赤になったのを見て一旦停まった。

 あっつい。あと少しで学校だ、頑張れ自分。

 そう自分を励まし手で顔を扇いでいた時だ。

「七瀬! おはよ!」

 隣から聞きなれた声がしてはっとする。右を振り向くと、そこには同じく自転車に跨った神崎が笑っていた。

 彼の着る白いシャツが眩しい。反射的に乱れているであろう髪を抑えて整えた。ハンドルを握る腕の筋が、やたらかっこいいな、なんて思ってしまう。そんな気持ちを誤魔化しながらとりあえず笑顔をうかべる。朝から会えるとか、今日はついてる。

「おはよ、神崎」

「朝会うの珍しいなー」

「そうだね、暑くて堪んないよ」

「ほんと、バスのやつら羨ましい」

 なんて事ない会話をしつつ、赤信号が変わってほしくないと思ってしまった。朝一で神崎に会えた、こんなラッキー珍しいんだから。少し高鳴っている心臓をどうにかしておさめる。

「今日席替えじゃね?」

「そうだね、席替えだね」

「うわー俺一番後ろになんないかな」

「やっぱり一番後ろって人気だよね」

 今朝見た夢が脳裏をよぎる。ああ、正夢になればいいのにな、と心で呟く。私も神崎も一番後ろの隣同士。

 神崎は頭をかきながら言う。

「いや、俺無駄に背でかいじゃん? 後ろのやつ可哀想なのよ、だから一番後ろがよくて」

「ああ……そういうことか」

「今は授業中必死に背中丸くしてる。それが辛いから後ろがいい」

 困ったように言う神崎に笑った。優しい神崎らしい理由だ、と思ったのだ。

「あ、信号変わるな。七瀬お先! また後でなー」

 神崎はそう笑いかけると、青信号になったと同時にそこから走り出した。颯爽としたその様子をみて風みたいだ、と思った。私も再びペダルを漕ぎながら、その背中をそっと見つめる。

 去年からの片思い。神崎が、ずっと好きだった。同じクラスになって、さらに思いは増した。一歩でも君に近づきたい。私は日々そう思っている。





「ねーっ! 席替えだね、私ようやく一番前から解放されるよ〜!」

 友人の桑田美里が嬉しそうに私にそう言ってきた。ボブの髪を揺らしながら笑っている。

 教室内はガヤガヤと騒がしくなっていた。担任教師が用意した質素な箱に入った小さな紙たちを、まずは女子から引いているところだった。引いたあと一喜一憂している人たちを、私と美里は一番後ろで眺めながら見つめていた。

「美里一番前だったもんねー。次は違うといいね!」

「陽菜はあ〜……神崎の近くだといいね?」

 小声で私の耳元で囁いた美里の声にすぐに赤面した。親友である美里はもちろん私の片思いを知っていて、色々と協力してくれている。

 それは例えば神崎が好きだと噂している漫画を教えてくれたり、私と話す機会を作るために自然と神崎を呼んでくれたりと、彼女のキューピット力はなかなか細やかな気遣いで嬉しい。周りにバレない程度のことなので、私は素直に感謝していた。

「実はさ……今日夢で、隣になる夢見ちゃって……」

「ひょお! 何その幸せな夢ー!」

「願望がついに夢に出てきた」

「正夢になるかもよ? そうしたら陽菜すごくない?」

 私よりも興奮して話してくれる美里に笑わされる。まさかそんな夢のように上手くいくとは思ってはいない。

 ただ。私はちらりと遠くにいる神崎を盗み見た。彼は席に座ったまま他の男子生徒と話している。

 その幸せな夢にあやかりたい気持ちはある。あの夢の通り、とりあえず女子の一番最後にくじを引こうと心で決めていた。夢のようにいくわけないと思ってるくせに縋りつきたい乙女心、我ながら健気。

 女子たちがくじを引いていくのを眺めながら、どうか神崎の近くの席を引きませんようにと強く祈った。隣か、前後くらいは私に残しておいて欲しい。

「そろそろくじ無くなるぞ〜引いてないやつー」

 気だるそうな低い声が響いた。担任の三木透先生だった。

 三十代半ばくらいの男の先生で、安易にも生徒からはミッキーのあだ名で親しまれていた。なんだかめんどくさがり屋でいつも無気力。あまり教師っぽくないのだが、それが生徒にウケているらしかった。

 かくゆう私も、三木先生は結構好きな先生だ。体育教師でもないのにいっつもジャージ着てるけど。でもそのジャージからも程よい甘い柔軟剤の匂いがしたりして、不潔感は感じないからいいのだろう。(ちなみに美里は「あの柔軟剤のチョイスは女だろうけどお母さんかな」と余計なことを考えている)

「あ、そろそろいこうよ陽菜!」

 女子たちの列を見て美里がいう。私は頷いて周りを確認しながら列に並んだ。大丈夫、私が最後尾だ。

 順番はすぐにやってきた。前に並ぶ美里がくじを引き、ワクワクした顔でそれを開いている。その後ろで私は一つ深呼吸して気合を入れた。

 神様仏様! どうぞ私に運を!

 残っているくじはただ一つ。選ぶこともなくそれを手に取った。適当にたたまれている紙をドキドキしながら手のひらに包む。

 少し窓際に移動してはやる気持ちを抑えつつそれを開いた。期待と、そう上手くいくわけないっていう諦め半々。

『六』

 記されていた字はそれだった。

「う……そ……!!」

 六番! 六番だ!

 慌てて黒板を今一度確認する。そう、一番後ろの窓際、一番人気の席! 夢の通りじゃない!

「嘘でしょ、まさか本当に六番を……」

「何、七瀬どこだったの」

 一人あたふたと慌てているところに、そんな聞きなれた声がした。はっとして顔をあげる。やはりそこには、にこやかに笑っている神崎の顔があったのだ。