「……神崎も、夢見た?」




 私が尋ねると、彼はさらに目を見開いた。




 場違いな明るいBGMは生徒たちみんなをどんどん盛り上げていく。飛び跳ねながら楽しそうにはしゃぐこの大勢の人たちの中で、私と神崎だけが共通の夢を見ていた。

 しばし無言で見つめ合ったあと、彼は私の手を引いて立たせた。そしてそのまま足早にそこから抜け出した。美里たちはぽかんとした顔をしていたけれど、何も言わずに私たちを見送った。

 一番後ろにある出入り口の重い扉を開けて外に出るともわっとした暑さが全身を包んだ。空はまだ明るい。体育館の中は薄暗かったので、その眩しさに一瞬目が眩んだ。

 日差しの下で見る神崎の顔はやっぱり蒼白で只事ではない顔をしている。私は再び確信した。神崎も、同じ光景を見たんだって。なぜかは分からないけどそう思えた。

 神崎は少しだけ乱れた息を整えるように深呼吸をした。

「……七瀬だけじゃなかったなんて」

 手で口を覆いながら神崎はポツリと呟いた。

「……え?」

「知らなかった。あの時は七瀬しか見えなかったから。まさかあんなに大勢の人が刺されるなんて」

 独り言のようにつぶやいたその小声を、私は聞き逃さなかった。大勢の人が刺される、そう神崎は言った。やっぱり、やっぱりそうだ! 私は大きな声を出して神崎に詰め寄った。

「神崎も見たんだね、みんなが血まみれで倒れてるところ! 美里も、遠山くんも……た、たくさんの血が……」

 言いかけたところであの光景が目に浮かび、うっと吐いてしまいそうになった。慌てて口を押さえる。

 血だらけのあの匂いが鼻に張り付いているようだった。血を流している友人の光景は脳に張り付いて離れてくれない。

 神崎が心配そうに背中を撫でた。戻してしまいそうになるのを必死に堪えて一度頷いた後、しっかり顔を上げて神崎を見上げる。

「かん、神崎も見たんだね、あれ……信じられないかもしれないけど、きっと今から現実に起こ」

「知ってる」

 私が言い終えるより前に神崎が低い声で答えた。驚きも戸惑いもないその返答に驚いた。神崎は真剣な面持ちで続けた。

「俺……ここ最近、予知夢見てたから」

「 ! 」

「実は今日のことも前から見てた。でもその時は七瀬だけしか映像に映らなかったから七瀬だけ刺されるのかと思って……なんとか体育館に行かないように仕向けたり、今日も辺りを注意してなんとか守ろうと思ってんたけど……」

 語尾が小さく震えている。話を聞いて私は衝撃を隠せなかった。

 今まで神崎が私に諦めず話しかけて校庭に誘おうとしてくれたこと。今日彼の表情が固かったこと、一番後ろにいようと提案してきたこと。その全ての行動が納得できた。

 神崎も予知を見ていただなんて!

 色々と掛けたい言葉が多くあるけど何も出てこなかった。それよりまず、私たちは逃れられないこの未来をどう向き合えばいいのだろうか。

「そ、そうだったの……? 神崎もなの?」

「七瀬も、ずっと見てたの?」

「う、うん、でもみんなが刺される夢は今日初めて見たんだよ。いままでは」

 言いかけて口をつぐんだ。神崎が私に告白をしてしまうと死ぬ予知を見てた、だなんて……本人には言えないし、何より今はそれを話している暇はない。

 今から何者かにより体育館は地獄と化すのだから。

 私は神崎に言った。

「警察、呼ぼう!」

「それはそうだけど……予知を見ましただなんて言えないよ、いたずらかと思われる」

 冷静に返されたそれを聞いてぐっと息を飲んだ。その通りだ、こんな話聞いてくれるわけがない。私は唇を噛んだ。

「でも、警察を呼ぶくらいしか思い浮かばない……」

「でも確かにそれが一番の方法だ。警察の到着が早ければ、犯人も犯行を思いとどまるかもしれない。……そうだ、とりあえず学祭で不審者がいたとでも言って呼んでおこう、とにかく呼び出せればなんでもいい!」

 神崎はそう言うと自身のポケットからスマホを取り出して早速掛け出した。私はそれをそわそわして見ているしかない。閉じられた体育館の扉からは明るい音楽が流れている。まだ悲鳴も何も聞こえてこないからみんな無事だと言える。

 お願い、間に合ってほしい!

 いくつか会話をしたあと神崎は電話を切る。恐らくうまいこと嘘を言って呼ぶのに成功したらしかった。ひとまず私はほっと息をつく。しかし神崎はすぐに私に向き直り、鋭い視線でこちらを見た。

「警察が来るにも少しは時間がかかるはず。七瀬、教えて欲しい。一体何を見た?」

「え……」

 彼は私の目をまっすぐ見て言う。その強い視線に固唾をのんだ。

「さっき、桑田やタケも刺されてたって言ったろ。俺は見てないんだよ。内容は同じでも、見えた角度とかに違いがあるのかもしれない。犯人見た!?」

 神崎の言葉に驚いた。てっきり、全く同じ映像を見たのかと思い込んでいたからだ。でもどうやら彼とは見方が違うらしい。私は必死に思い出しながら説明した。

「み、見えてない……。私が見えたのはすごい悲鳴が上がって、沢山の足音がして。気がついたら美里と遠山くんが血を流して倒れていた。周りも人がいっぱい倒れていて……救急車を呼ぼうと思った途端肩を叩かれたの。振り返ったら刃物が見えて、それだけ。顔だとかは全然見えなかった」

 神崎が考えるように黙る。私はいてもたってもいられず彼に尋ねた。

「神崎は? 神崎は何を見たの!?」

「俺は。突然前の方からすごい悲鳴が聞こえてきて人々がこっちになだれ込んできたんだ。何が何だか分からないまま押し倒されて、七瀬の手をしっかり握ったつもりなのに離されてしまった。探そうと叫んでも七瀬の姿は人々で見えないし、混乱してる時、腕を真っ赤に染めて泣きながら走ってくる生徒が見えた。他にも傷を負ってる人達が一瞬だけど見えて、攻撃されたんだ、ってわかって……目が覚めた」

 思い出したように神崎は腕をさする。その姿を黙って見ていた。神崎は暗い顔で俯きながらわずかに唇を震わせた。

 そうか、神崎はみんなが逃げ惑うシーンが見えたんだ。そして私はきっと逃げ終わったシーンを見えた……。少しの時間のズレや見る角度に違いがあるようだ。でも、やっぱりいろんな人が誰かに攻撃されるという部分は紛れもない事実らしい。

 私が黙っていると突然神崎がはっとしたように顔を上げた。そして慌てた様子で着ている服のポケットを漁る。今度出てきたのはスマホではなく、くしゃくしゃに小さく折り畳まれたパンフレットだった。

「思い出した!!」

「え、か、神崎何を?」

「夢のこと。最初悲鳴が上がるその寸前……そうだ、流れてた音楽がある。タイムテーブルを見れば、あの事件がいつ頃起こるかが分かる」

「え!」

「あの曲は……えっと、今流れてるのが……」

 神崎が乱暴にパンフレットを捲る。破れてしまいそうなそれをしっかり握り、そして目を丸くした。

 扉からは明るい音楽が流れている。私たちもよく知っているアーティストの流行りの曲だった。私は神崎の顔を覗き込む。

「かん、ざき?」

「……次の曲だ」

「え」

「次の曲の最後のサビが終わる頃、騒ぎが始まる」

 心臓が止まったのかと思った。二人でただ呆然と目を丸くしながら見つめ合う。BGMの音楽はあまりに場違いだった。

 生ぬるい風が頬を伝う。二人して額に汗をぐっしょりかいていた。それを拭う余裕もない。

「そん、な、もうすぐじゃ」

「……警察は間に合わないかもしれない」

 神崎が悔しそうに唇を噛んだ。私はただシワシワになっているパンフレットの文字を呆然と見つめる。あとほんの少し。少しで、友人たちに危険が迫ってしまう。

「しかも分かるか七瀬。俺が見た予知。一番後ろに並んでいた俺たちじゃなくて、ステージ前から悲鳴が上がって生徒たちはこっちになだれ込んできた。つまり最初の被害者たちは前の方の人間ってわけ」

「ま、前の方の人間?」

「体育館の出入り口はここだけ。つまり犯人は突然ここに乱入してくるわけじゃなく……」

「今もう中にいるってこと?」

 神崎が頷いた。

 じゃあ、犯人は、

 この学校の生徒ということになる?

 ガクガクと全身が震えだす。きっと今すでに、ポケットに刃物を隠し持って笑っているだろう犯人像が浮かび上がった。乱暴にパンフレットをポケットに詰め込みながら神崎がつづけた。

「警察が来るまではもう少し時間がかかると思う……! 今すぐ中止させるか、でもどうやって。こんな話信じてくれないし。くっそ犯人の目星がついていれば先に確保できるのに……! 何度も予知を見たのに、犯人の顔は見えてないんだ、なんのための予知だ!」

 苛立ったように頭を掻いた。私はぐるぐる回る頭を必死に落ち着かせた。

 今犯人はもう中に紛れ込んでる。刃物も持っているはず。神崎の言うように誰かわかれば先に取り押さえておけばいい。刃物を持っていればそれだけで言い逃れできなくなるはずだし。

 でも私の夢でも誰かなんて全然分からなかった。振り返った時に見えたのは血に塗れた刃物で、顔は見えなかった。どうしてちゃんと見ておかなかったんだろう、少しでも見えてれば……

 後悔しながらも目を閉じてあのシーンを思い出したとき。ふと、突然脳裏にあるものが思い浮かんだ。夢の中の映像が焼きついたように蘇る。

「ミサンガ……」

 ポツリと私はつぶやいた。神崎がこちらを見る。

「手首に、赤いミサンガしてた」

 そう、そうだった。今のいままで忘れていたけど、あの刃物を持つ腕には赤いミサンガがしてあった。なぜか今はそれだけがしっかり思い出せる。

「それ、ほんとに?」

「うん、顔は見えなかったけど。刃物を持った腕にしてあったよ、今思い出した!」

「腕に、ミサンガ……」

「それに、多分。多分だけど、あの腕の感じは女子じゃないよ。男子だと思う!」

 ちらりと見えたミサンガ、それが巻かれている手首。一瞬見えただけだが、しっかりとした太さと血管の浮き出た感じは自分のものとは程遠い形だと思った。

 神崎は確かに、と頷く。

「沢山の人たちを襲って血の海にするくらいなら、女子より腕力がある男子だと考える方が普通だよな」

「神崎行こう! 時間ないけど、その目印を探して犯人を見つけるんだよ! 赤いミサンガをしてる男子、それも多分前の方にいる。探そう!」

 私が決意したように叫ぶも、彼が一瞬戸惑った顔をした。他にいい案はないのか必死に考えたのかもしれない。でもそんな私たちを急かすように、体育館から漏れる音楽はどんどん終わりに近づいている。次の曲の最後のサビで、あの夢通りのことが起こってしまう。