気になったが、正直それどころではなかった。早く七瀬と付き合って、体育館へ行く予定を変えなければならない。もしかしたら、校庭に行った時の予知を見るかもしれないし。フラれたら別の案を考えなくてはならないのだから。
俺は焦る気持ちから、七瀬の様子がおかしいのにも構わず帰りの時間に声をかけた。
「七瀬」
彼女は帰りの支度をするためにノートをカバンにしまっていた。俺はやや声がうわずってしまいそうになるのを必死に堪え、平然を装って言った。ここで緊張してるだなんてバレたらカッコ悪い。
七瀬は返事をしてくれた。
「なに?」
「ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
「うん?」
「裏庭、行ってくれない?」
そう提案した瞬間、彼女は目を見開いた。そして持っていたノートを派手に机の下に落下させたのだ。
「あ、落ちたよ!」
反射的に腰を曲げてそれらを拾った。手にして顔をあげた時、なぜか七瀬は未だ驚いた顔をして俺を見ていた。
……なんだ、その顔は。
「うら、にわ?」
「うん、ちょっと。人の来ないとこがいいかなって」
「…………」
まあ、仲良くしてる異性が突然人のいない場所に呼び出してきたら、大体の人間は目的を察する。この時点で俺は七割告白が済んでると思っている。
だから七瀬も驚いて緊張しているのだろうか? やけに強ばった表情で俺を見ているが。その顔はなんだか嫌な予感を感じさせる。
「ごめん。今日、急いで帰らなきゃいけない」
彼女の口から出てきたのはそんな冷たい言葉だった。七瀬らしくない、抑揚のない、それでいて力強い返事だ。
やや面食らう。本当に急いでいるとしても、こんな言い方は七瀬らしくないと思ったのだ。
「……そ、っか」
引き下がるしかなかった。それぐらい、七瀬の言葉には有無言わさない強さがある。
七瀬は無言でノートをカバンに詰めていく。それを横目で見ながら思った。
あれもしかして。これって、フラれた?
呼び出しすら応えませんってこと? いやでも、それも七瀬らしくないような……。
不思議に思い考えていると、突然七瀬がハッとしたような顔になる。
「神崎! 裏庭は、行っちゃだめだよ、何があっても今日行かないで!」
それは凄い剣幕だった。
ややのけぞってしまった。何を急に。七瀬が来れないならいくはずもないのに、あんな場所。
「え、何急に」
「なんでもよ、いい? お願いだから今日は絶対裏庭行かないでよ!」
「いや、七瀬が来れないなら行かないけど」
俺がそう答えると、彼女はほっとしたように息を吐いた。そしてすぐさまカバンを握りしめて、俺に別れの挨拶だけ述べて教室から出て行ってしまったのだ。
「……なんだあれ」
ポカンとしてその後ろ姿を見送る。確かに急いでそうだったけど。イライラしてるっていうか、怯えてるっていうか。いつもの七瀬らしくない。
一人で不思議に思っていると、背後から聞き慣れた声がした。
「あれー……何をあんなに急いでるんだろうね陽菜は」
振り返ると、彼女の友人である桑田が立っていた。桑田も不思議そうに首を傾げている。
「急いでるのもだけど、なんか様子も変じゃない? 今日一日上の空っていうか」
「神崎も思った? 特に何も話してくれなかったんだよね。なんかあったのかな」
そう心配そうにいう桑田だが、すぐに他へ意識が移ったらしい。俺を見てやけに含みのある言い方で話した。
「今日はちょっと忙しそうだったね〜? ま、明日ならいいんじゃない!? ね、ね!」
面白がってるように見える桑田を無言で睨んでやった。こいつ、聞いてたな俺たちの話。んで、俺が何をしたがってるかもわかってるな。
だがすぐに冷静になった。明日ならいいんじゃない? 桑田はそう言った。
「……明日ならいい、かな」
「いいよ! うん、きっと大丈夫!」
鼻息荒くして言ってくる彼女を見て思う。七瀬の一番の友達なら、きっと七瀬の恋愛事情も知ってるだろう。俺を嫌ってるならこんなふうに告白を押してこないはず。
これだけ力強く明日行け! と暗に言ってくるってことは、もしやあながち悪い結果にならないんじゃないか?
自惚れと言われればそれまでだが、そう考えるのがスムーズだ。
「……じゃあ明日、かな」
「! うん、そうしなよ、ね!」
桑田はそれは嬉しそうに笑って言った。無垢な笑顔に、やっぱり俺は期待してしまう。もう誰も座っていない隣の席を眺めて、一つだけため息をついた。
だが翌日も、七瀬の様子が変なのに変わりはなかった。
桑田も不思議がるほど七瀬はどこか引き攣った顔で無理に笑い、上の空だった。一体何があったのか疑問に思い、彼女に話しかけようとする。
だが、どうも七瀬は俺を避けているように思えた。
隣の席だから避けると言っても限度があるが、休み時間になると彼女はすぐに席を立ってトイレか桑田のところへ行った。普段はもうちょっとこう、たわいない話などをして笑ったりするのだが。
……もしや、告白を避けられている?
自問して絶望した。昨日裏庭だなんて人気のない場所に呼び出せば、そりゃ俺が告白しようとしてることは感づく。それで俺を避けてるのだろうか? 昨日も思ったが、間接的にフラれているのだろうか?
けれどもそうなるとやはり納得がいかないのが友人の桑田の存在だ。昨日のあの様子じゃ、「告白頑張れ!」と言っているようなものだった。七瀬の親友の桑田が、告白を押してくれているというのに。
ではなぜ七瀬は、俺の顔を見ようとしない??
俺は自分の席から立ち上がらず、遠目で七瀬を見ながら苛立った。こんなことに悩んでる暇はない。そりゃ告白の返事は重要だが、それ以上に俺は七瀬の未来を変えることに全てを賭けたいんだ。
体育館に行かない未来。その時、七瀬はどうなる? それだけが俺の全てだ。
焦りながら、とにかくちゃんと七瀬の返事を聞かなくてはいけないと思った。フラれたら別の案を考えなくてはいけないんだから、早く彼女の気持ちを聞かなければ。
そう強く心に決め、今日は人気のない場所は止めることにした。いつも通り笑って雑談しながら、……そうだ、コンビニで買い食いでもしてサラリと聞いてみよう。改まって裏庭だなんて呼び出すより七瀬も来やすいはずだからだ。
思い立った俺はすぐに七瀬と帰りの約束を取り付けた。断られるかとビクビクしたが、彼女は意外にも了承してくれたのでホッとした。
放課後二人で自転車を並びながら押して歩いた。熱い日差しが肌を突き刺す感覚を覚えながらも、時折吹く風が心地いい日だ。風が七瀬の髪を巻き上げる。
いつものようにどうでもいい話題を振ってみると、一応彼女は笑って答えてくれた。ただどこか落ち着きがないというか、ソワソワとして俺との会話に集中していないのは明らかだった。
それでも俺はそんな七瀬の様子に気がつかないフリをした。とにかく前に一歩でも進みたい、そう焦りがあったんだと思う。
七瀬と二手に分かれる道に行き着いた。ここで七瀬は右に、俺は左に帰るはずなのだ。別れの言葉を言わせる前に、俺はすぐに口にだした。
「あっちにコンビニあるじゃん? ちょっと炭酸でも買わない?」
七瀬の帰り道方向を指さす。ここから一番近いコンビニはそこだ、俺は家から反対方面になるがそんなことはどうでもいい。とにかく七瀬の気持ちが聞きたかった。
予想では笑っていいよ、だとか言ってくるのを待っていた。でも彼女は俺の目をしっかり見て、やけに真剣な面持ちで言ったのだ。
「ごめん、今日急いでて」
今まで無理矢理作っていた笑顔が消えたのを自覚した。
今日一日の態度どこの断りの文句。さすがに避けられていると気づかないわけがない。なぜ、という疑問の気持ちと悲しみと、焦りで全身がいっぱいになった。
七瀬は軽く俺に手を振って背を向けた。その背中がひどく遠く見えた。つい最近まで普通に接していたはずなのに、突然変わってしまったその態度に胸が苦しくなる。
「七瀬」
つい呼び止めた。黒髪が揺れて七瀬が振り返る。
愛想笑いすら忘れて俺は尋ねた。
「俺、なんかしたかな?」
「え」
「七瀬、俺を避けてない?」
そうならそうと言って欲しかった。俺の告白を避けてるなら避けてると教えて欲しい。何も言わずにこんなふうに接されるのは、あまりに辛い。
だが俺の言葉を聞いた途端、泣きそうになったのは七瀬の方だった。
……なんだ、その顔は。
驚いて言葉を失う。避けてるはずの七瀬が、どうしてそんな悲しい顔をしているんだ。俺が嫌いで告白を避けているわけじゃないのか? なんで、どうして
「避けてるわけじゃない……! 本当に。ただ、ちょっと今はごたついてるっていうか忙しいの。だから、ごめん、また今度!」
早口でそう言った。そして返事をする間もなく、彼女は自転車に跨りそのままペダルを漕いで行ってしまったのだ。その様子は確かに本当に急いでそうだった。
「……なんなんだ」
俺は頭を掻いた。彼女の気持ちが全然わからない。俺は告白するべきじゃないんだろうか? 他に七瀬を救う方法を考えるべきなんだろうか。
苛立ちからつい自転車を蹴り倒してしまいそうになるのを必死に堪える。さっきまで心地よく感じていた風すら頬を掠めるのが苛立たしい。
もう癖になりつつあるため息を吐いた。しばらくその場で立ち尽くし、帰宅する気になれなかった俺は自転車に跨り、七瀬と行くはずだったコンビニに行くことにした。元々炭酸なんか全然欲しくなかったけど、一人で行って飲んでやらないと気が済まないと思ったのだ。
そのまま自転車を少しだけ走らせた。見覚えのある看板が目に入る。駐車場も広々としているコンビニだ、何度も行ったことがある。そこに自転車を滑り込ませた瞬間、あることに気がつき慌てて止めた。そして今来た道をゆっくり戻る。
自転車から降りて、遠くに見える光景に唖然とした。
店内にいたのは、七瀬だった。
雑誌でも読んでいるのだろうか、こちらを向いた状態でやや俯き加減でいるのがわかった。距離があるので、その表情は見えない。
急いでる、って言ってたけど。誰かを待ってるとかかな?
なんとなく七瀬に気づかれないよう止まっている車の影に隠れた。別に追いかけてきたわけでもないのに、この展開じゃストーカーしたと勘違いされそうだと思ったのだ。
向こうは俺に気がついていないようで、びくとも動かず立っていた。立ち読みをしているというより、立ったまま寝てるんじゃないかと思うほどまるで動かない。
そのまま待った。七瀬が急いでいたという事実をこの目で確かめたかったのかもしれない。俺を避けるための口実じゃないかと思っていたからだ。
暑い気温の中、俺はじっと遠くから七瀬を見ていた。
それからしばらく。自分の額に汗が溢れ出て気持ち悪さを感じてしまうぐらい時間が経ったが、七瀬は全く動かなかった。待ち合わせの誰かが来るといった様子も見られない。
ただ初めに立っていた位置から全く動かないまま本を読んでいるだけだった。
……どう見ても、急ぎの用事があるとは思えない姿だった。
ゆっくりと額を汗を拭った。沈んで浮き上がって来れないほどの心が自分を支配していた。
七瀬は別に避けてない、って言ってたけど。それならこの状況に説明がつかない。やっぱり七瀬は俺の告白を避けているんだと結論づける他ない。
いい加減自分の行動にも呆れて自転車に跨った。そのままコンビニに背を向けて自分の家へと戻っていった。
つまりは、あれだ。
間接的に、振られてるってわけだ。
ぼんやりと思いながらペダルを漕いだ。
タケや桑田のセリフに自惚れてたんだな。確かに七瀬とは仲がいいが、それはあくまで異性の友達止まりであったってことだ。
生ぬるい風が汗を乾かした。ショックだとか悲しいという失恋の気持ちより、これからどうしようという絶望感が大きかった。
これでは七瀬と校庭に行くのはまで無理。告白すらさせてもらえそうにないんだから当然だ。正直計画が狂ってしまった、俺は心のどこかでやっぱり期待していたみたいだから。
「……どうすりゃいい」
風に消える自分の声は少しだけ震えていた。七瀬があの体育館で何者かに襲われる未来を、どうやって俺は変えたらいいんだろう。
ガムシャラにペダルを漕いでは前に進み続けた。七瀬と校庭にはいけない、七瀬とは……
「……待てよ」
すっと頭の中で閃いたと同時に自転車を止めた。今は足を動かす動力すら脳みそに行き渡らせたいと思ったのだ。
校庭にはいけない。それは恋人として行くのは無理だ、ってことだ。七瀬とは付き合えそうにないんだから。
でも行くだけなら行けるんじゃないか? そうだ、「校庭であるイベントを見てみたいから行くだけ一緒に行ってくれないか」とでも頼めば。「一人でいくのはどうしても気まずいから」と頭を下げれば。
そうすれば七瀬は友達として、笑って校庭に行ってくれるかもしれない。
「そうだ、それだ」
今俺を避けている七瀬も、この話を聞けば「あの呼び出しはこれだったのか」と安堵するかもしれない。晴れてただのお友達に戻れるってわけだ。
希望が見えた気がした。再び止まっていた足を動かして自転車を走らせる。くすんで見えていた空が晴れやかに見えた。
あとは広い校庭であまり人がいないところにいよう。怪しいやつが近づいたらすぐに捕まえて七瀬を守る。そうすれば死ななくて済む! なぜ今まで思いつかなかったんだ俺は。馬鹿にも程があるな。
高揚する気持ちに頬も同時に緩んだ。ペダルをこれでもかというぐらいのスピードで漕ぎ続ける。喜びと同時に、胸の奥が痛んでいることには気づかないふりをした。
ただ、そんな簡単な案も、そううまくはいかなかった。
七瀬に学祭について話しかけようとするたび、彼女は俺を避けた。七瀬と雑談ですらほとんどしないようになっていた。それは誰が見ても明らかなほど、俺を避けている行動だった。
七瀬、と呼びかけると同時に怯えた表情になる。そして俺の話も最後まで聞くことはなく嘘と丸わかりの理由をつけて走り去るのだ。それを追いかける桑田も戸惑い、訳がわからないという顔をしていた。
場所を変えても、タイミングを変えても。七瀬は俺からの話を聞こうとはしなかった。
焦りと同時に、それほど俺を嫌っているのかという悲しみで目の前が真っ暗になった。最初の裏庭がよくなかっただろうか、あんな場所で警戒させてしまった。裏庭への誘いをしなければ、告白だと感づかれることもなかったかもしれないのに。
それでも無論俺は諦めなかった。はたから見れば振られてるのに懸命に話しかけ続ける痛い野郎に成り下がっていたがそんなものどうでもいい。とにかく七瀬を体育館に行かせたくない一心だった。
でもそんな諦めの悪い俺にとうとう限界が来たのか。
少しして休み時間、トイレから戻ると、隣に七瀬じゃないクラスメイトが座っていたのを見て停止した。
見慣れたロングヘアやあの横顔は、全く知らない景色に変わっている。
視線を動かすと、七瀬は前の方の席に移動していた。
……そんなに、俺を、避ける?
胸が締め付けられた。いつだって笑って話しかけてくれたあの光景をもう見ることはできないのか。それほど七瀬は俺が嫌なのか。
じっと見つめていると、七瀬が振り返って目が合った。彼女は俺を見るなりはっとし、そして苦しそうに顔を歪めた。
同時に立ち上がり廊下へ出ていく。俺はいてもたってもいられず、その背中を追いかけた。
廊下を出て少し進んだところで後ろ姿に声をかける。
「……七瀬」
小さな声でその名を呼んだ。聞こえなかったかもしれない、と思ったが、意外にも七瀬は足を止めてこちらを振り返った。どこか気まずそうな表情に哀しみで満ちる。
「席、なんで変わったの」
それでも俺は質問をぶつけた。どうしても聞きたかったからだ。
七瀬は無理矢理笑って、いかにも用意しておきましたという台詞をならべた。
「ああ、最近突然視力が落ちちゃって。黒板が見にくいの。成績もよくないし、この際一番前に移動してしっかり勉強しようかなあ、って」
もっともらしい理由だ。でも俺は返事をしなかった。愛想笑いすらせず、目の前の七瀬を見つめる。そんな俺の顔を見て七瀬も作り笑いを失った。二人でただ気まずい空気を流す。
「ごめんトイレ行きたいから」
くるりと背を向けて去ろうとする彼女の手首を反射的に掴んだ。細いそれはやたら熱く感じる。驚いたように七瀬がこっちを向いた。
「何で? 何でそんなに避けてるの?」
「ちが……」
「なんかしたなら言って。七瀬とこんな状況なの、嫌だから」
理由なんかわかってるくせにそんなことを聞いてしまった。俺の告白を断りたいから、初めから告白させまいとしてる。そんな答えわかってるんだ、でもやっぱり他にももしかしたら理由が、なんて僅かな望みを捨てきれない。
焦りが自分を襲った。付き合えなくていいのに、友達として校庭に行けるだけでいいんだ。だから、頼むから俺の話を聞いてほしい。
「はな、離して」
「七瀬。聞いてほしいんだけど」
「待って、神崎」
「あのさ、別に深い意味はないから、頼むから俺と学祭……」
言いかけた時だった。はっとした顔になった七瀬は思い切り俺の腕を振り払った。その細い体のどこから出したんだというような力に一瞬驚く。
「行かないから!!」
七瀬の声が廊下に響いた。
「行かないから。神崎と校庭行かないから。絶対に!」
そう吐き捨てた七瀬に、俺はついに言葉を飲んだ。
完全なる、拒絶だった。
好きな子から拒絶されるとはこんなにも悲しく虚しいものなのか。何とか笑って誤魔化しながら校庭に行くよう促したいのに、情けなくも俺の喉からは何も音が漏れてこなかった。
そしてそんな俺を見てなぜか七瀬は傷ついたような表情を見せる。今にも泣き出してしまいそうに目を赤くしていた。
「……七瀬」
「ご、ごめん。その、……ごめん」
そう言い残すと、彼女は走り去っていった。ぼんやりとその後ろ姿を見送りながら、どうしていいか分からない無力さに打ちひしがれていた。
黒髪が見えなくなっても、ただ茫然とその場に立ち尽くす。足が一歩も動かなかった。
「神崎」
背後から小さな声がした。ゆっくりと振り返る。そこには桑田が立っていた。桑田もどこか辛そうな顔をして俺を見上げている。
「ごめん、聞いてて……あの、陽菜最近ほんと様子おかしいから、でも私にも話してくれなくって。その、あんまり気にすることないっていうか」
「はは。ありがと。単に振られただけだ」
乾いた笑みでそう返すと、彼女は勢いよく反論した。目を丸くして言う。
「それは違うって! いや、そう思ってもしょうがないかもだけど! だって陽菜はずっと神崎を……」
そこまで言いかけて口をつぐんだ。桑田自身困ったように視線を泳がす。俺はそんな様子を眺めながら小さく笑った。
「心がわりなんて誰でもある」
「いや、そんなはず」
「タイミングが悪かったな。もっと早く言えばよかった」
もう全てが遅すぎた。もっと早く七瀬に気持ちを伝えられていれば、こんな状況にならなかったかもしれない。もっと簡単に七瀬を守れたかもしれないのに。
ぐっと拳を握る。
いや、今は失恋を悲しんでる暇はない。学祭で七瀬が誰かに襲われる予知を避けるために、俺は何ができるだろう。七瀬の危険を知っているのは俺だけだ、こんな話さすがに誰も信じてくれないだろう。
強く目を瞑る。
何が正解かわからなくなってきている。予知はあれ以降見ていない。
もう少し案を考えて何とか七瀬を体育館から遠ざけるように仕向けよう。どこかで未来が変わるかもしれない。
もしどの方法もうまくいかないんだとしたら———
体を張ってでも、七瀬を守る方法しか俺には残されていないんだ。
七瀬の命だけは必ず守る。そう固く決意した。
俺は焦る気持ちから、七瀬の様子がおかしいのにも構わず帰りの時間に声をかけた。
「七瀬」
彼女は帰りの支度をするためにノートをカバンにしまっていた。俺はやや声がうわずってしまいそうになるのを必死に堪え、平然を装って言った。ここで緊張してるだなんてバレたらカッコ悪い。
七瀬は返事をしてくれた。
「なに?」
「ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」
「うん?」
「裏庭、行ってくれない?」
そう提案した瞬間、彼女は目を見開いた。そして持っていたノートを派手に机の下に落下させたのだ。
「あ、落ちたよ!」
反射的に腰を曲げてそれらを拾った。手にして顔をあげた時、なぜか七瀬は未だ驚いた顔をして俺を見ていた。
……なんだ、その顔は。
「うら、にわ?」
「うん、ちょっと。人の来ないとこがいいかなって」
「…………」
まあ、仲良くしてる異性が突然人のいない場所に呼び出してきたら、大体の人間は目的を察する。この時点で俺は七割告白が済んでると思っている。
だから七瀬も驚いて緊張しているのだろうか? やけに強ばった表情で俺を見ているが。その顔はなんだか嫌な予感を感じさせる。
「ごめん。今日、急いで帰らなきゃいけない」
彼女の口から出てきたのはそんな冷たい言葉だった。七瀬らしくない、抑揚のない、それでいて力強い返事だ。
やや面食らう。本当に急いでいるとしても、こんな言い方は七瀬らしくないと思ったのだ。
「……そ、っか」
引き下がるしかなかった。それぐらい、七瀬の言葉には有無言わさない強さがある。
七瀬は無言でノートをカバンに詰めていく。それを横目で見ながら思った。
あれもしかして。これって、フラれた?
呼び出しすら応えませんってこと? いやでも、それも七瀬らしくないような……。
不思議に思い考えていると、突然七瀬がハッとしたような顔になる。
「神崎! 裏庭は、行っちゃだめだよ、何があっても今日行かないで!」
それは凄い剣幕だった。
ややのけぞってしまった。何を急に。七瀬が来れないならいくはずもないのに、あんな場所。
「え、何急に」
「なんでもよ、いい? お願いだから今日は絶対裏庭行かないでよ!」
「いや、七瀬が来れないなら行かないけど」
俺がそう答えると、彼女はほっとしたように息を吐いた。そしてすぐさまカバンを握りしめて、俺に別れの挨拶だけ述べて教室から出て行ってしまったのだ。
「……なんだあれ」
ポカンとしてその後ろ姿を見送る。確かに急いでそうだったけど。イライラしてるっていうか、怯えてるっていうか。いつもの七瀬らしくない。
一人で不思議に思っていると、背後から聞き慣れた声がした。
「あれー……何をあんなに急いでるんだろうね陽菜は」
振り返ると、彼女の友人である桑田が立っていた。桑田も不思議そうに首を傾げている。
「急いでるのもだけど、なんか様子も変じゃない? 今日一日上の空っていうか」
「神崎も思った? 特に何も話してくれなかったんだよね。なんかあったのかな」
そう心配そうにいう桑田だが、すぐに他へ意識が移ったらしい。俺を見てやけに含みのある言い方で話した。
「今日はちょっと忙しそうだったね〜? ま、明日ならいいんじゃない!? ね、ね!」
面白がってるように見える桑田を無言で睨んでやった。こいつ、聞いてたな俺たちの話。んで、俺が何をしたがってるかもわかってるな。
だがすぐに冷静になった。明日ならいいんじゃない? 桑田はそう言った。
「……明日ならいい、かな」
「いいよ! うん、きっと大丈夫!」
鼻息荒くして言ってくる彼女を見て思う。七瀬の一番の友達なら、きっと七瀬の恋愛事情も知ってるだろう。俺を嫌ってるならこんなふうに告白を押してこないはず。
これだけ力強く明日行け! と暗に言ってくるってことは、もしやあながち悪い結果にならないんじゃないか?
自惚れと言われればそれまでだが、そう考えるのがスムーズだ。
「……じゃあ明日、かな」
「! うん、そうしなよ、ね!」
桑田はそれは嬉しそうに笑って言った。無垢な笑顔に、やっぱり俺は期待してしまう。もう誰も座っていない隣の席を眺めて、一つだけため息をついた。
だが翌日も、七瀬の様子が変なのに変わりはなかった。
桑田も不思議がるほど七瀬はどこか引き攣った顔で無理に笑い、上の空だった。一体何があったのか疑問に思い、彼女に話しかけようとする。
だが、どうも七瀬は俺を避けているように思えた。
隣の席だから避けると言っても限度があるが、休み時間になると彼女はすぐに席を立ってトイレか桑田のところへ行った。普段はもうちょっとこう、たわいない話などをして笑ったりするのだが。
……もしや、告白を避けられている?
自問して絶望した。昨日裏庭だなんて人気のない場所に呼び出せば、そりゃ俺が告白しようとしてることは感づく。それで俺を避けてるのだろうか? 昨日も思ったが、間接的にフラれているのだろうか?
けれどもそうなるとやはり納得がいかないのが友人の桑田の存在だ。昨日のあの様子じゃ、「告白頑張れ!」と言っているようなものだった。七瀬の親友の桑田が、告白を押してくれているというのに。
ではなぜ七瀬は、俺の顔を見ようとしない??
俺は自分の席から立ち上がらず、遠目で七瀬を見ながら苛立った。こんなことに悩んでる暇はない。そりゃ告白の返事は重要だが、それ以上に俺は七瀬の未来を変えることに全てを賭けたいんだ。
体育館に行かない未来。その時、七瀬はどうなる? それだけが俺の全てだ。
焦りながら、とにかくちゃんと七瀬の返事を聞かなくてはいけないと思った。フラれたら別の案を考えなくてはいけないんだから、早く彼女の気持ちを聞かなければ。
そう強く心に決め、今日は人気のない場所は止めることにした。いつも通り笑って雑談しながら、……そうだ、コンビニで買い食いでもしてサラリと聞いてみよう。改まって裏庭だなんて呼び出すより七瀬も来やすいはずだからだ。
思い立った俺はすぐに七瀬と帰りの約束を取り付けた。断られるかとビクビクしたが、彼女は意外にも了承してくれたのでホッとした。
放課後二人で自転車を並びながら押して歩いた。熱い日差しが肌を突き刺す感覚を覚えながらも、時折吹く風が心地いい日だ。風が七瀬の髪を巻き上げる。
いつものようにどうでもいい話題を振ってみると、一応彼女は笑って答えてくれた。ただどこか落ち着きがないというか、ソワソワとして俺との会話に集中していないのは明らかだった。
それでも俺はそんな七瀬の様子に気がつかないフリをした。とにかく前に一歩でも進みたい、そう焦りがあったんだと思う。
七瀬と二手に分かれる道に行き着いた。ここで七瀬は右に、俺は左に帰るはずなのだ。別れの言葉を言わせる前に、俺はすぐに口にだした。
「あっちにコンビニあるじゃん? ちょっと炭酸でも買わない?」
七瀬の帰り道方向を指さす。ここから一番近いコンビニはそこだ、俺は家から反対方面になるがそんなことはどうでもいい。とにかく七瀬の気持ちが聞きたかった。
予想では笑っていいよ、だとか言ってくるのを待っていた。でも彼女は俺の目をしっかり見て、やけに真剣な面持ちで言ったのだ。
「ごめん、今日急いでて」
今まで無理矢理作っていた笑顔が消えたのを自覚した。
今日一日の態度どこの断りの文句。さすがに避けられていると気づかないわけがない。なぜ、という疑問の気持ちと悲しみと、焦りで全身がいっぱいになった。
七瀬は軽く俺に手を振って背を向けた。その背中がひどく遠く見えた。つい最近まで普通に接していたはずなのに、突然変わってしまったその態度に胸が苦しくなる。
「七瀬」
つい呼び止めた。黒髪が揺れて七瀬が振り返る。
愛想笑いすら忘れて俺は尋ねた。
「俺、なんかしたかな?」
「え」
「七瀬、俺を避けてない?」
そうならそうと言って欲しかった。俺の告白を避けてるなら避けてると教えて欲しい。何も言わずにこんなふうに接されるのは、あまりに辛い。
だが俺の言葉を聞いた途端、泣きそうになったのは七瀬の方だった。
……なんだ、その顔は。
驚いて言葉を失う。避けてるはずの七瀬が、どうしてそんな悲しい顔をしているんだ。俺が嫌いで告白を避けているわけじゃないのか? なんで、どうして
「避けてるわけじゃない……! 本当に。ただ、ちょっと今はごたついてるっていうか忙しいの。だから、ごめん、また今度!」
早口でそう言った。そして返事をする間もなく、彼女は自転車に跨りそのままペダルを漕いで行ってしまったのだ。その様子は確かに本当に急いでそうだった。
「……なんなんだ」
俺は頭を掻いた。彼女の気持ちが全然わからない。俺は告白するべきじゃないんだろうか? 他に七瀬を救う方法を考えるべきなんだろうか。
苛立ちからつい自転車を蹴り倒してしまいそうになるのを必死に堪える。さっきまで心地よく感じていた風すら頬を掠めるのが苛立たしい。
もう癖になりつつあるため息を吐いた。しばらくその場で立ち尽くし、帰宅する気になれなかった俺は自転車に跨り、七瀬と行くはずだったコンビニに行くことにした。元々炭酸なんか全然欲しくなかったけど、一人で行って飲んでやらないと気が済まないと思ったのだ。
そのまま自転車を少しだけ走らせた。見覚えのある看板が目に入る。駐車場も広々としているコンビニだ、何度も行ったことがある。そこに自転車を滑り込ませた瞬間、あることに気がつき慌てて止めた。そして今来た道をゆっくり戻る。
自転車から降りて、遠くに見える光景に唖然とした。
店内にいたのは、七瀬だった。
雑誌でも読んでいるのだろうか、こちらを向いた状態でやや俯き加減でいるのがわかった。距離があるので、その表情は見えない。
急いでる、って言ってたけど。誰かを待ってるとかかな?
なんとなく七瀬に気づかれないよう止まっている車の影に隠れた。別に追いかけてきたわけでもないのに、この展開じゃストーカーしたと勘違いされそうだと思ったのだ。
向こうは俺に気がついていないようで、びくとも動かず立っていた。立ち読みをしているというより、立ったまま寝てるんじゃないかと思うほどまるで動かない。
そのまま待った。七瀬が急いでいたという事実をこの目で確かめたかったのかもしれない。俺を避けるための口実じゃないかと思っていたからだ。
暑い気温の中、俺はじっと遠くから七瀬を見ていた。
それからしばらく。自分の額に汗が溢れ出て気持ち悪さを感じてしまうぐらい時間が経ったが、七瀬は全く動かなかった。待ち合わせの誰かが来るといった様子も見られない。
ただ初めに立っていた位置から全く動かないまま本を読んでいるだけだった。
……どう見ても、急ぎの用事があるとは思えない姿だった。
ゆっくりと額を汗を拭った。沈んで浮き上がって来れないほどの心が自分を支配していた。
七瀬は別に避けてない、って言ってたけど。それならこの状況に説明がつかない。やっぱり七瀬は俺の告白を避けているんだと結論づける他ない。
いい加減自分の行動にも呆れて自転車に跨った。そのままコンビニに背を向けて自分の家へと戻っていった。
つまりは、あれだ。
間接的に、振られてるってわけだ。
ぼんやりと思いながらペダルを漕いだ。
タケや桑田のセリフに自惚れてたんだな。確かに七瀬とは仲がいいが、それはあくまで異性の友達止まりであったってことだ。
生ぬるい風が汗を乾かした。ショックだとか悲しいという失恋の気持ちより、これからどうしようという絶望感が大きかった。
これでは七瀬と校庭に行くのはまで無理。告白すらさせてもらえそうにないんだから当然だ。正直計画が狂ってしまった、俺は心のどこかでやっぱり期待していたみたいだから。
「……どうすりゃいい」
風に消える自分の声は少しだけ震えていた。七瀬があの体育館で何者かに襲われる未来を、どうやって俺は変えたらいいんだろう。
ガムシャラにペダルを漕いでは前に進み続けた。七瀬と校庭にはいけない、七瀬とは……
「……待てよ」
すっと頭の中で閃いたと同時に自転車を止めた。今は足を動かす動力すら脳みそに行き渡らせたいと思ったのだ。
校庭にはいけない。それは恋人として行くのは無理だ、ってことだ。七瀬とは付き合えそうにないんだから。
でも行くだけなら行けるんじゃないか? そうだ、「校庭であるイベントを見てみたいから行くだけ一緒に行ってくれないか」とでも頼めば。「一人でいくのはどうしても気まずいから」と頭を下げれば。
そうすれば七瀬は友達として、笑って校庭に行ってくれるかもしれない。
「そうだ、それだ」
今俺を避けている七瀬も、この話を聞けば「あの呼び出しはこれだったのか」と安堵するかもしれない。晴れてただのお友達に戻れるってわけだ。
希望が見えた気がした。再び止まっていた足を動かして自転車を走らせる。くすんで見えていた空が晴れやかに見えた。
あとは広い校庭であまり人がいないところにいよう。怪しいやつが近づいたらすぐに捕まえて七瀬を守る。そうすれば死ななくて済む! なぜ今まで思いつかなかったんだ俺は。馬鹿にも程があるな。
高揚する気持ちに頬も同時に緩んだ。ペダルをこれでもかというぐらいのスピードで漕ぎ続ける。喜びと同時に、胸の奥が痛んでいることには気づかないふりをした。
ただ、そんな簡単な案も、そううまくはいかなかった。
七瀬に学祭について話しかけようとするたび、彼女は俺を避けた。七瀬と雑談ですらほとんどしないようになっていた。それは誰が見ても明らかなほど、俺を避けている行動だった。
七瀬、と呼びかけると同時に怯えた表情になる。そして俺の話も最後まで聞くことはなく嘘と丸わかりの理由をつけて走り去るのだ。それを追いかける桑田も戸惑い、訳がわからないという顔をしていた。
場所を変えても、タイミングを変えても。七瀬は俺からの話を聞こうとはしなかった。
焦りと同時に、それほど俺を嫌っているのかという悲しみで目の前が真っ暗になった。最初の裏庭がよくなかっただろうか、あんな場所で警戒させてしまった。裏庭への誘いをしなければ、告白だと感づかれることもなかったかもしれないのに。
それでも無論俺は諦めなかった。はたから見れば振られてるのに懸命に話しかけ続ける痛い野郎に成り下がっていたがそんなものどうでもいい。とにかく七瀬を体育館に行かせたくない一心だった。
でもそんな諦めの悪い俺にとうとう限界が来たのか。
少しして休み時間、トイレから戻ると、隣に七瀬じゃないクラスメイトが座っていたのを見て停止した。
見慣れたロングヘアやあの横顔は、全く知らない景色に変わっている。
視線を動かすと、七瀬は前の方の席に移動していた。
……そんなに、俺を、避ける?
胸が締め付けられた。いつだって笑って話しかけてくれたあの光景をもう見ることはできないのか。それほど七瀬は俺が嫌なのか。
じっと見つめていると、七瀬が振り返って目が合った。彼女は俺を見るなりはっとし、そして苦しそうに顔を歪めた。
同時に立ち上がり廊下へ出ていく。俺はいてもたってもいられず、その背中を追いかけた。
廊下を出て少し進んだところで後ろ姿に声をかける。
「……七瀬」
小さな声でその名を呼んだ。聞こえなかったかもしれない、と思ったが、意外にも七瀬は足を止めてこちらを振り返った。どこか気まずそうな表情に哀しみで満ちる。
「席、なんで変わったの」
それでも俺は質問をぶつけた。どうしても聞きたかったからだ。
七瀬は無理矢理笑って、いかにも用意しておきましたという台詞をならべた。
「ああ、最近突然視力が落ちちゃって。黒板が見にくいの。成績もよくないし、この際一番前に移動してしっかり勉強しようかなあ、って」
もっともらしい理由だ。でも俺は返事をしなかった。愛想笑いすらせず、目の前の七瀬を見つめる。そんな俺の顔を見て七瀬も作り笑いを失った。二人でただ気まずい空気を流す。
「ごめんトイレ行きたいから」
くるりと背を向けて去ろうとする彼女の手首を反射的に掴んだ。細いそれはやたら熱く感じる。驚いたように七瀬がこっちを向いた。
「何で? 何でそんなに避けてるの?」
「ちが……」
「なんかしたなら言って。七瀬とこんな状況なの、嫌だから」
理由なんかわかってるくせにそんなことを聞いてしまった。俺の告白を断りたいから、初めから告白させまいとしてる。そんな答えわかってるんだ、でもやっぱり他にももしかしたら理由が、なんて僅かな望みを捨てきれない。
焦りが自分を襲った。付き合えなくていいのに、友達として校庭に行けるだけでいいんだ。だから、頼むから俺の話を聞いてほしい。
「はな、離して」
「七瀬。聞いてほしいんだけど」
「待って、神崎」
「あのさ、別に深い意味はないから、頼むから俺と学祭……」
言いかけた時だった。はっとした顔になった七瀬は思い切り俺の腕を振り払った。その細い体のどこから出したんだというような力に一瞬驚く。
「行かないから!!」
七瀬の声が廊下に響いた。
「行かないから。神崎と校庭行かないから。絶対に!」
そう吐き捨てた七瀬に、俺はついに言葉を飲んだ。
完全なる、拒絶だった。
好きな子から拒絶されるとはこんなにも悲しく虚しいものなのか。何とか笑って誤魔化しながら校庭に行くよう促したいのに、情けなくも俺の喉からは何も音が漏れてこなかった。
そしてそんな俺を見てなぜか七瀬は傷ついたような表情を見せる。今にも泣き出してしまいそうに目を赤くしていた。
「……七瀬」
「ご、ごめん。その、……ごめん」
そう言い残すと、彼女は走り去っていった。ぼんやりとその後ろ姿を見送りながら、どうしていいか分からない無力さに打ちひしがれていた。
黒髪が見えなくなっても、ただ茫然とその場に立ち尽くす。足が一歩も動かなかった。
「神崎」
背後から小さな声がした。ゆっくりと振り返る。そこには桑田が立っていた。桑田もどこか辛そうな顔をして俺を見上げている。
「ごめん、聞いてて……あの、陽菜最近ほんと様子おかしいから、でも私にも話してくれなくって。その、あんまり気にすることないっていうか」
「はは。ありがと。単に振られただけだ」
乾いた笑みでそう返すと、彼女は勢いよく反論した。目を丸くして言う。
「それは違うって! いや、そう思ってもしょうがないかもだけど! だって陽菜はずっと神崎を……」
そこまで言いかけて口をつぐんだ。桑田自身困ったように視線を泳がす。俺はそんな様子を眺めながら小さく笑った。
「心がわりなんて誰でもある」
「いや、そんなはず」
「タイミングが悪かったな。もっと早く言えばよかった」
もう全てが遅すぎた。もっと早く七瀬に気持ちを伝えられていれば、こんな状況にならなかったかもしれない。もっと簡単に七瀬を守れたかもしれないのに。
ぐっと拳を握る。
いや、今は失恋を悲しんでる暇はない。学祭で七瀬が誰かに襲われる予知を避けるために、俺は何ができるだろう。七瀬の危険を知っているのは俺だけだ、こんな話さすがに誰も信じてくれないだろう。
強く目を瞑る。
何が正解かわからなくなってきている。予知はあれ以降見ていない。
もう少し案を考えて何とか七瀬を体育館から遠ざけるように仕向けよう。どこかで未来が変わるかもしれない。
もしどの方法もうまくいかないんだとしたら———
体を張ってでも、七瀬を守る方法しか俺には残されていないんだ。
七瀬の命だけは必ず守る。そう固く決意した。