その言葉を聞いた時、自分の体が浮いてしまうんじゃないかと思うほどフワフワした気持ちになった。人生の幸運を全て使ってしまったんじゃないかと本気で思ったし、もしそうだとしても構わないとすら思った。
「ずっと好きだった」
そう私を真っ直ぐみて、一文字ずつ噛み締めるように発言した神崎は、いつもよりずっと真面目で見たことがない表情だった。
背景には青い空と白い雲。周りに誰もいない裏庭で、この世に二人きりしか存在しないような錯覚に陥る。真夏の太陽が私たちを照らして、神崎の額に汗が浮かんでいる。その短い黒髪が肌に張り付いていた。神崎は背が高い。それを見上げるようにして、私はただ驚きで硬直した。
一気に自分の心臓はバクバクと音を立てて鳴り響いた。神崎にそれが聞こえてしまうのではないかと心配になるほどに。
私もだよ、神崎。私だって、ずっと好きだった。
そう返事をして彼に抱きついてしまいたいと思った。私こそ、去年違うクラスだった頃から好きだったんだから。
「わた……」
喉から自分のうわずった声が漏れた時だった。
突如空から何かが降ってきて、ガシャンと割れる音が響き渡る。目の前に立っていた神崎が一瞬で視界から消えた。何が起きたのかまるで分からなかった。
蝉のうるさい鳴き声がやたら耳障りに感じた。
「…………かん、ざき?」
ゆっくりと視線を下ろす。今さっきまで目の前で私を見つめていた神崎はそこいた。
割れた茶色の植木鉢の下に神崎の頭部が見えた。黒髪が乱れている。そしてそこから、どくどくと赤黒い血が噴き出ているのがわかった。
神崎はうつ伏せに横たわっていた。その表情は見えない。ただ、彼は指先すらびくとも動かさなかった。
私は声の限り叫んだ。自分の喉からこんな悲鳴が出てくるなんて知らなかった。
***
ゆっくりと瞼を開ける。枕元で耳障りなアラーム音が鳴り響いているのに気がついていた。
やってきた朝にうんざりしながら布団から手を出しスマホに触る。時計を眺めると、もう起きなければならない時間だった。
とりあえず音を止めて再び枕に突っ伏す。ああ、布団ってなんでこんなに気持ちいいんだろう。どうかどうかあと三分だけ……
そう願って再び夢の中へ飛び込もうとした瞬間、再びスマホが鳴る。スヌーズ設定にしてあるのだ。
重い瞼が再び開く。私はついに諦めて、気合を入れると布団から体を起こした。
「ふああー……ねっむい」
ふらふらした足取りで起きて洗面所に向かうと、自慢のロングヘアが実験失敗した博士のように広がっていた。これはあれだ、昨晩ちゃんと乾かさずに寝たからだな。
「……げ。こりゃ直すのに相当苦労しそう」
蛇口を捻り水を出して髪をまとめる。なかなか治らない寝癖たちと格闘しながら、私は次に歯ブラシを手に取った。
ミントの香りでやや頭が冴えてくる。未だ寝癖は直り切っていない、どうしたものか。こんなんじゃ神崎がまたバカにしてくるに決まってるよ。
そう心の中で呟いた時、そういえば今日の夢に神崎が出てきたなあとぼんやり思い出した。
歯を磨きながら考える。ええとどんな夢だったっけ……ああそうだ、席替えだ!
はっと思い出した瞬間、口腔内の泡たちが口から溢れ出そうになった。慌てて洗面台に顔を寄せる。
今日は席替えの日だった。その席替えで、神崎が隣の席になる夢だった。
思い出して赤面する。誰も見ていないのに、顔を隠すように口をゆすいだ。
七瀬陽菜、高校二年生。同じクラスにいる片想いの相手と隣の席になる夢を見て喜ぶ女。こんなの誰にも見られたくない。
ふうとため息をついて顔を洗う。冷水でしっかり肌を引き締めタオルでそっと拭き取った。
夢の中ではこうだ。
順番に席替えをするためのくじを引いていた。まずはクラスの女子たちが白い箱に手を入れて小さな紙切れを引いていく。私はぼうっとそれを眺めていて、女子たちの間ではくじを引くのが最後になっていた。
余ったたった一つのくじを手にする。そこには『六』の数字が書かれていた。
黒板を見ると、六番の席は窓際の一番後ろ。最も人気のある最高の席だったのだ。
『やった! 残り物には福があるう!』
一人ガッツポーズを取ったところに、神崎がひょいっと顔を出した。
『何、七瀬どこだったの』
『あ、みてよ、六番だよ!』
『最高じゃん』
『神崎はどこかなー?』
『俺も後ろがいいー』
そう羨ましそうに言った神崎がくじを引きに箱へと向かっていく。そんな彼の横顔を見ながら、心のなかでそっと祈った。
神崎が近くになるには……七なら前! 六なら隣! お願い、六か七を引いてきて!
強く神様にお願いした。少し経って神崎が白い箱に手を突っ込んで一つの紙を取ってくる。
歩きながらそれを開いて中身を確認した彼は、わかりやすいほどに顔を綻ばせた。
『七瀬!』
『え、ど、どう!?』
彼が持っている小さな紙を私に見せる。
『一番後ろ、六! 七瀬隣よろしく!』
そう嬉しそうに笑った彼の目は細くなって線みたいになっていた。