嫌がらせは続き、岳斗は廊下で足を掛けられて転ぶ事さえあった。
(俺、そのうち死ぬんじゃないか?)
と恐怖を覚えた。
 ある時、岳斗が部活中に校舎裏を歩いていたら、テニスボールが飛んできた。幸い岳斗には当たらなかったが、校舎に立てかけてあった建築資材に当たった。誰が投げたのかと振り返ったが、分からなかった。テニスコートは垣根の向こうだが、そこから打ち込まれたのか、偶然飛んできたのかは分からない。だが、次の瞬間音がして、資材が倒れてきた。すると、ちょうど校舎から出てきた女子がいた。
(危ない!資材が彼女の上に倒れてきたら!)
岳斗はとっさに背負っていたリュックを下し、駆け寄った。完全には間に合わず、その女子の頭に資材が当たって、彼女は倒れた。資材が全て彼女の上に倒れてきたら潰されてしまう。岳斗は、資材を手で受け止めた。腰を入れて踏ん張る。重い!
「誰か!誰か来て!」
その女子が叫ぶと、周りの部活中の男子たちが何人か駆け寄ってきて、手伝ってくれた。そして、何とか資材を元の通りに立てかける事が出来た。
「君、ありがとう!助かったよ。」
倒れてきた女子が立ち上がり、岳斗にそう言った。
「頭に当たりましたよね?大丈夫ですか?」
と、岳斗が言うと、
「大丈夫。それより君、手は大丈夫?」
と聞かれた。岳斗が手のひらを見ると、少し血が出ていた。資材でこすれて切れたらしい。
「保健室に行こう。」
彼女はそう言って、岳斗を促した。周りには、なんだなんだと多くの人が集まって来ていた。そして、資材がどうの、生徒会長がどうの、山岳部の子がどうの、とあちこちで囁かれている声が岳斗にも聞こえた。生徒会長と聞いて、岳斗は思い至った。見た事があるような気がしていたが、この女子は生徒会長の白石真帆だった。髪が長く、背が高く、少しハスキーな低音ボイス。カッコいい感じの女性だった。そういえば、クラスの女子が「真帆さんかっこいいよねー」と言っているのを岳斗は何度か聞いた事があった。演劇部で男役を演じているのだとか。
 保健室には先生が不在で、この白石真帆が救急箱から消毒液と脱脂綿を出し、岳斗に座るように促した。
「ほら、手を出して。」
「はい。」
白石は岳斗の手の傷を消毒し、乾かすために手でパタパタと仰ぎ、絆創膏を探し、貼った。そして、改めて岳斗の顔を見た。
「あれ、君たしか……城崎の弟だよね?」
「あ、はい。」
「ふーん、そうか。なんか、最近君の噂を耳にするんだが……あ、私は白石です。私の事、知ってるかな?」
「はい、もちろん。」
「良かった。」
白石はそう言うと、笑った。ふと、白石の髪の毛に木くずが付いているのが見えた岳斗は、そっとそれを取り除いた。
「これが付いていたので。頭、痛くないですか?」
岳斗が木くずを見せてそう言うと、白石は頭に手をやった。
「あ、痛い。」
と言う。岳斗は、白石の頭をそうっと触った。腫れている。
「たんこぶ、出来てますね。」
岳斗がそう言って白石を見ると、白石は急に慌てたようになり、
「あははは、大丈夫、大丈夫。」
と言って、頭を叩いて見せた。そして、顔をしかめた。岳斗は思わず笑った。
「な、なに?」
「すみません、可愛かったから。」
「……。」
白石は黙ってしまった。岳斗は、資材が倒れてきたのは自分のせいかもしれないと思った。申し訳ない気持ちになり、
「あの、すみません。俺のせいで巻き込んじゃって。」
と言った。
「え?どう言う事?」
「あの資材が倒れたのって、テニスボールが当たったからなんですけど、多分俺を狙って誰かが投げたか打ったかしたものだから。」
岳斗がそう言うと、白石は目を見開いた。
「ちょっと君、どう言う事だよ。どうして君に向かってボールが飛んで来るんだい?」
「あーそれは……最近、色々ありまして。」
岳斗は迷ったが、相手は生徒会長だから、学校で起きている事を知っておく必要があるのではないかと考え、自分が嫌がらせを受けている事を話した。白石は生徒会長の顔になって、真剣に聞いた。
「よし、分かった。私が何とかするよ。」
と言う。頼もしい事だが、岳斗はあまり期待していなかった。海斗にさえなす術がないのに、他の人にどうこうできるとも思えなかったのだ。

 次の日、全校集会があり、皆が体育館に集まった。校長の話や生徒指導の教員の話があり、最後に生徒会長の話になった。
「皆さん、もうすぐ文化祭です。文化部の皆さんは特に力を入れて準備をされている事でしょう。怪我などに気を付けて、頑張ってください。
 ところで昨日、私は命の危険を感じる出来事がありました。テニスコートの横の工事現場ですが、校舎に立てかけてあった建築資材が、私の上に倒れてきたのです。幸い、通りかかった一年生の男子が助けてくれたおかげで、たんこぶ一つで済みました。彼は城崎岳斗君です。皆さん、彼に拍手をお願いします。城崎君?」
岳斗はびっくりした。いきなり名前を呼ばれ、周りの友達が一斉に岳斗を見た。そして、全校生徒の拍手。
「彼は勇気がある。正義感も、優しさもある。そんな彼を私は尊敬します。」
その後、白石が何を話したのか、岳斗は全く聞いていなかった。恥ずかしいやら照れ臭いやらで、頭に血が上ってしまったようだ。
 教室に戻ると、岳斗は女子たちに囲まれた。
「城崎君、すごいね!真帆さんに尊敬しますなんて言われてさ!」
「城崎君、羨ましい!私も真帆さんとお知り合いになりたーい!」
などと言われた。羨ましがられるのはもう懲り懲りなのに、と岳斗はため息をついた。

 ところが、それ以来、岳斗への嫌がらせがピタリと止まった。変な紙切れも下駄箱に投げ込まれなくなったし、足を掛けられたり、何かを投げつけられる事も無くなった。下駄箱に関しては、生徒会役員が岳斗の下駄箱を見張っていて、紙を入れようとした人を捕まえて注意したからだという話を、岳斗は風の噂で聞いた。
 翌日、岳斗が部活のトレーニングを終え、部室に戻ってミーティングをしていると、白石がふらりと現れた。
「あ、こんにちは。」
岳斗が挨拶をすると、
「やあ、城崎君。その後どうかな。困っていないかな?」
相変わらずハスキーなイケボでそう聞いてきた。
「お陰様で、嫌がらせも無くなりました。ありがとうございました。」
岳斗はそう言って、軽く頭を下げた。
「白石さんこそ、たんこぶ治りましたか?」
岳斗がそう聞くと、白石は頭に手をやって、撫でた。
「うん、だいぶ良くなった。」
と言った。そして、
「あー、じゃあ、また何かあったらいつでも言ってくれ。」
と言って、名残惜しそうに部室の中を見たりしながら、去って行った。
「会長、何しに来たんだろ?」
新部長の広瀬がそう呟いた。
 次の日、昼休みに岳斗が教室の前の廊下を歩いていると、白石が通りかかり、
「や、やあ、偶然だね。」
などと言って岳斗の顔をチラチラと見た。岳斗は、もしや自分が嫌がらせに遭っていないか、パトロールでもしているのだろうか、と思ったが、考え過ぎかと思い直し、会釈をして通り過ぎた。
 更に次の日、岳斗が部活中に一階の渡り廊下を歩いていると、白石が校舎に背中をもたせかけて立っていた。
「あ、こんにちは。」
岳斗が声を掛けると、
「やあ、また会ったね。あー、元気そうで何より。」
と言ってニッコリ笑う。ここで誰かを待っているような感じだが、まさか自分ではないよな、と岳斗は思った。チラチラ振り返りながら、特に呼び止められないのを確認して、通り過ぎた。今日はコースを二周する事にしていたので、岳斗はまた同じ場所を通った。すると、まだそこに白石が立っていた。今度は、岳斗に声を掛けようかどうしようか迷っているような感じだった。岳斗は立ち止まった。
「あの、何かご用でも?」
重いリュックを背負ったまま、岳斗はそう尋ねた。そこへ、サッカー部の練習をしていた海斗が現れた。
「岳斗!」
ドリブルをしながら岳斗の傍に来て、ボールを足で踏んで止めた。そして、岳斗の頭を撫でる。何故だ!と岳斗は愕然とした。すると、
「城崎!」
と、白石が鋭く言ったので、岳斗はびっくりした。白石は岳斗ではなく、海斗の事を見ていた。
「白石、何してんだ?まさか、俺の弟を口説いてるんじゃないだろうな?」
冗談ではなく、真面目な顔で海斗はそう言った。そして、更に岳斗の頭を抱え込むようにして撫でた。
「やめろよ、海斗。」
岳斗がそう言って、頭を離した。
「仲がいいな、お前たちは。」
白石が呆れたように言った。
「で、白石は岳斗に何の用?」
尚も海斗は聞く。
「いや、別に用はない。ただ、たまたま通りかかったというか。」
歯切れの悪い白石。通りかかったのではない事は、岳斗には分かっている。ずっとここに居たのだから。だが、そう言うのなら、別に自分がここにいる必要はない、と岳斗は思い、
「それじゃ、俺は行きますね。」
と言って、その場を立ち去った。少し行ってから振り返ると、白石は岳斗の方を見ていて、その白石を、海斗が腕組みをして睨んでいた。