俺がアオちゃんに「寛也」と呼んで欲しいと言っても無視された。

 ここまで、ほぼ初対面で人に対して「嫌い」という態度を見せるのは失礼ではないだろうか。

 アオちゃんは俺が思っていたような子ではないのかもしれない。

 キラキラしたラブコメの表紙に期待して買ったら、中身はスプラッター系のホラー漫画だったくらいショックだ。


 でも、10年以上彼女の存在に元気づけられてきた。

 親の都合で世界中連れまわされて、家族アピールに使われても彼女はブログでいつも明るく近況報告をしていた。

 母親の木嶋翠はよくいる承認欲求が強いタイプで、素敵家族をアピールしたいだけに見えた。

 おそらく父親の木嶋隆はサイコパスだ。

 アオちゃんが辛そうな顔をしている時に、平気でカメラを向けていることが多い。

 まともな人間ならカメラを向けずに話を聞こうとする。

 彼のようなタイプは家庭内暴力をしているケースも多い。

 真夜中にロビーにいるのは、おそらく彼女が部屋に帰り辛い事情があるからだ。

 ずっと見ていたから、彼女の家が本当は幸せな家庭ではないことは分かってしまう。

 今、明らかに落ち込んでそうな彼女を元気づけてからここを去ろうと思った。

 藍子の話をしている時に不快そうにしていたから、違う話をした方が良さそうだ。

「実はうち病院をやっていているんだけど、俺は医学部に入れなかったから家を追い出されちゃったんだ」

 家にいられないのは自分だけではないと伝えれば元気になるのではないかと、俺はうちの事情を話し出した。

「佐々木さんは医者になる気が元々ありませんよね。医者になる人が健康を害するタバコを吸ったりしますか? それに、あなたは病気を治すのではなく、病気をうつす側になってますよ」

 医者はストレスが溜まる仕事だから、ヘビースモーカーも多い。

 世界を渡り歩いている割には、彼女は世間知らずな子なのかもしれない。

 でも、彼女のいう通り自分はタバコを吸いながら、患者にタバコを控えるように言うのはおかしい。

 話ぶりから、彼女はタバコを吸う人間が嫌いそうだ。

 そして、彼女の言う移す病気が「性病」だと俺は気がついた。

 誰とでも寝るような藍子を連れていたから、俺は性病持ち扱いされている。

 俺は本当は陰キャの童貞だと明かした方が良いだろうか。

 なんだかそれもプライドが許さない。

「アオちゃんこそ、避妊はしっかりした方が良いと思うよ」

 俺の中でアオちゃんは、そういった男女の行為とは無縁だった。

 しかし、アラサーの婚約者がいるのだから当然経験がありそうだ。

「私はずっとセックスレスですよ。佐々木さん、私は今調べたいことがあるのです。1人にしてくださいませんか?」

 彼女が「セックスレス」という言葉を使ってきたが、甘城はそんなに昔からアオちゃんに手を出していたということだ。

 日本にいなかった彼女と、日本で仕事をしていた彼でどこに接点があったのだろう。

 木嶋隆が明らかに木嶋ブランドを利用しているように、甘城もアオちゃんを利用する目的で近づいたのだとしたら軽蔑する。

 それとも、彼女は日本語が苦手なようだから「セックスレス」の言葉の使い方を間違っているのかもしれない。

 彼女のスマホを覗き見ると、うちの大学の転学部制度について調べているようだった。

「経済学部に転学部しようとしているの?」

「そうですよ。経営を学びたいので」

 アオちゃんは当然受ければ、合格するような気でいるようだ。

 経済学部への転学部試験は、毎年2人くらいしか受からない狭き門だ。

 彼女のスペックでは外国語の試験は突破できても、経済の専門的な問題が出るので合格するのは難しい。

「俺、経済学部だから勉強を手伝うよ」

 できるだけ彼女の勉強を手伝ってあげたいと思った。
 他学部から転学してきたやつに聞けば、どのような問題が出るかもわかるはずだ。

「必要ありません。もう、夜遅いので部屋に帰ったらどうですか?」

 なぜだか、俺が何を言っても彼女は不機嫌だ。
アオちゃんが恋愛シュミレーションゲームの攻略対象ならば、どの選択肢も好感度が下がるみたいな仕様になっている。

「女の子をこんなところに置いていけないよ。帰り辛いなら俺の部屋でしばらく避難しよう」

 正直、俺の部屋は見られたら恥ずかしいオタク部屋がある。それを、アオちゃんに見られてしまう可能性を考えると部屋に呼ぶのは怖い。

 でも、タワマンに住んでいる住人は、ほとんど顔見知りではない。

 中には危ない奴が潜んでいて、彼女が部屋に連れ込まれたりしたら危険だと思った。

「佐々木さんの部屋なんか絶対行きません」

 俺はアオちゃんを害する気なんて全くなく、むしろ助けたいと思っている。

 いくらずっと恋をしてた子でも、婚約者のいる彼女に手を出すなんてことは絶対しない。

 こんなに嫌われているのは悲しいけれど、それでも彼女を放っては置けない。

「アオちゃんが部屋に戻るまでは一緒いるよ。一人暮らしだから、部屋に戻っても寂しいだけなんだ。アオちゃんは甘城さんのどこが好きなの?」

 彼女の婚約者の話をすれば、俺がアオちゃんを狙っていると誤解されなくて済むかもしれない。