街道をいく乗合馬車はゴトゴトと揺れている。
 その揺れに身をゆだねるうちにいつしか眠ってしまったのだろう。
 貴族の馬車に比べ、民間の馬車は揺れが大きい。ふつうの令嬢なら長時間過ごせるような場所ではないのかもしれない。でも、私は大丈夫。ふだんから動物の世話で「どこでも眠れる」という特技を持っているからだ。

「コルルさん、大丈夫?」
 目を覚ました私に、気遣うように声をかけてくれたのは、乗合馬車で居合わせた商人、ジュレさんだった。栗色の長いウェーブ髪をひとつにまとめ、すっきりした身のこなしをしている。二十代半ばくらいの女性だ。
 たまたま馬車で、隣の席に乗っていただけの間柄なのだけど、私の雰囲気からいろいろ察したらしい。
「若いのに大変ね」といわれたあたりで、家出少女だと思われてるのがわかった。
(……街道に入ってからはメイドのふりをするつもりだったのに。すぐに見抜かれてしまったわ……)
 もしかして、自分には演技力というのが無いのかもしれない。こちらから誤解を解こうとするのもおかしな話だけど、気になったので聞いてみる。
「なんで、わかったんですか?」
「平民メイドにしては所作が美しすぎるよ。肌も髪も綺麗だし。だから、訳アリなんだろうなーって」
 ジュレさんはにこりと笑って、人差し指を口にあてた。
 けれど、バレたことでいいこともあった。ちょうどジュレさんの働き口が雑貨から生活品まで扱うそこそこ大きな商会だったので、女性用のウィッグを取り扱っていたのだ。こちらが購入の意志を見せると、サンプルだからお安くするよ、と値引きしてくれる。ピンクのふわふわロングヘアーになるウィッグは、故郷ではめったにお目にかかれない代物だ。ちょっと前髪の長さを調節する必要があるけれど、王都ではうまく変装できるだろう。
「起きたら、水分を取ったほうがいいわ。ほら、水を飲んでおきなさいな」
 まるでお姉さんのよう。私にはお兄さまはいてもお姉さまはいなかったので、こうして面倒を見てくれるのは、少しくすぐったい。
 悪い気分ではないので、ありがとうと素直に応じ、水袋を受け取った。

 車輪の音が消えた。馬車が止まったようだ。カーテンを開け、窓の外を見る。
「どうしたのかな」と呟くと、ジュレさんが答えてくれる。
「乗合馬車の停留所に着いたんじゃないかな? 王都まで長い道だから、途中で馬を変えたり御者を交代したりするんだ。その都度、休憩を挟むことになるんだけど、この辺はローヴェルグ公爵のはからいで、休憩処が解放されていからね。体が辛かったらそこへ行くといい。ほら、あそこに見えるでしょ」
「はい」
 そういえば中央街道は公爵領のすぐ隣を通る、と聞いたことがあったかもしれない。
 乗合馬車はこれまで利用したことがなかったので、詳しい場所までは知らなかったのだ。

 他の人たちの話し声に耳を澄ませると、ここでは替え馬はいても、次の担当の御者が到着していないらしい。そのため、三十分ほど待つことになるという。
「出発するときは、ベルを鳴らせていただきます。また赤い旗をあげさせてもらいますので、散歩の際にはこちらを目印になさってください。それでは、皆さまご休憩を」
 と、青い制服を着た御者がにこやかに告げる。牛のカウベルかと思うような巨大な鈴を手に掲げ、カランカランと二度ほど鳴らした。

「気分転換に散歩してきたら? 荷物はみててあげるから」
 ジュレさんが申し出てくれる。ずっと同じ体勢で寝ていたので、正直、散歩は必要だった。「じゃあお願いします」と貴重品の入った肩かけカバンだけを身に着け、あとの衣服などは置いていく。
 街道のすぐ傍は広大なローヴェルグ公爵家の領地。ここには森や湖のほかに、前時代に栄えた遺跡もあるとかで、風光明媚な観光地としても有名だ。公爵領のため、もちろん踏み入ったことはないけれど、そこにしか生息しない動物もいると聞いていたから、それなりに興味はあった。
 ――否、本当のことを言えば、一度来たことはあった。
 ただそれは回帰前の出来事。まだ幸せだと信じていた頃の、トレミーとの思い出のひとつだった。

(ここで湖がキレイだって話したのも演技だったのね……。……まぁ、男性の立場からすれば、私を騙してでも人間でいたかったのかもしれないけど)

 などと、相手の立場にを考えてみたりもするが、やはり騙す方が悪い、との結論に至る。
 トレミーとの過去を思い出すたびに、辛く哀しい気持ちばかり蘇ってくる。あんな思いをするなら、もう恋愛なんかしないほうがいいのでは? なんて極端な考えすら浮かんでしまう。

「……あれ?」
 ふと、立ち止まり来た道を振り返った。さっきまではわりと広い道だったのに、いつのまにか人ひとり分の狭い幅になっている。考え事をして歩いていたせいだろうか、ここがどこかわからない。
 まずい。いつのまにか道を外れていたようだ。もしここでベルが鳴ったら乗合馬車は出発してしまう。休憩所があるとはいえ、数日に一本の馬車を次まで待てるはずもない。さっさと戻らなければいけなかった。
 と、そのとき、視界のすみに素晴らしく深い青と小さな赤い何かが入った。

「え」
 相反する色だ。紺碧の湖のそばに、小さな小屋があり、その窓から炎の欠片も見える。
 あれはよく見なくても、もしかして――。
「か、火事……?」
 すぐさま走る。もし、火事が森にまで燃え広がったら、大惨事になってしまう。

「誰かっ、誰かいますか!?」
 人がいたら大事だ。煙を吸って動けないのなら私がなんとか――と思いつつドアノブを回して扉を開けると、ちょうど正面奥にいた黒髪の青年と目が合った。
 
「ええ……っ!?」
 青年は驚いたようだった。
 けれど、私のほうが驚いている。まさか小屋の中に男性がいて、その人が半裸で鎖にかんじがらめにされているなんて、事前に想像できるわけがない。
 さらに。

「トランス・インプレッション……?」

 忘れてたこの感じ。たしかに、獣紋の合致で起こる、いわゆる『運命の光』だ。
 自分の手の甲にある獣紋からは、淡いピンクゴールド色の光が発せられ、やがて視界を覆いつくす。

 私はとっさにドアを閉めた。
 なかったことにしたい――ちょうど恋愛に対して後ろ向きになってたから、影響したのだと思う。その際に、小屋の中にいたらしい、別の青年が声を荒げた。

「なぜ閉めるっ、戻れ!」
 どう見ても「自分より身分が上」とわかる方の命令に、哀しいかな、反射的に体がびくっと動いてしまう。いろいろなことを逡巡した結果、観念してもう一度ドアを開けた。
 するとやはり、同じ光景があった。さっきと違うのは、炎から出る煙と光が混ざってますます視界がせばまってるところ。それから、奥にいる男性の視線が、とても強くてこちらも目を離せない。

 私の獣紋から出る光がいっそう強くなる。その中の一部は視線の先で細かく分かれ、プリズムのようにキラキラと輝きはじめたのだった。