「なんといった? コルル」

 アルルの騒動から数時間後。朝食の席で、お父さまが聞き返す。同じ姿勢でお母さまも私の返事を待つ構えだった。
 ちなみにアルルはまだ静養中だ。夜中のうちに、お父さまと懇意の薬師さまが看てくれたけど、辺境医療は依頼料がなかなかの高額料金となっている。一回で全快復とまではいかないので、動けるようになるまでには自然治癒を待つしかなかった。

「今まで黙っていてごめんなさい。実は……獣紋が増えたのです」
 回帰してからずっとしていた手袋を外す。私の左手の甲には、獣紋がふたつ見えていることだろう。
 ひとつはカメレオン紋。もうひとつは、アルルと同じ猫紋。

「なんと! 成人覚醒で猫紋を得たのだな? それはめでたい!」
 お父さまが喜びをあらわにする。すぐに神殿へ手続きに行かねばな、とにこやかに続けた。
「猫紋もあるのなら、結婚相手のご縁が広がりますね、あなた。それはそうと、さすが私の娘です」
 お母さまも得意げに頷いた。
「ありがとうございます。お父さま、お母さま。それで――」
 と、ここからが本題とばかりに息を吸う。
「申し訳ないのですが、神殿への登録は少し待っていただきたいのです。それから、アレパ侯爵家からの求婚はお断りしてくださいませ」
 ぱちくり、と目を開き、両親の動きが止まる。かまわずに続けた。
「今後、侯爵子息がこちらへ訪ねてきても、私はいないと伝えてほしいのです。他に想う方がおり、両親の反対を押し切って、家出をしたということで……でないとあきらめないでしょうから」
 トレミーの求婚状には、一度あいさつに来ると書かれている。訪問時のことを考えての言い訳だった。

 お父さまが、「な、なんと?」と口ごもる。
 たぶん、話を受け入れがたいのだと思う。
 もちろん、「想う方がいる」というのはウソなので、そこは申し訳ないと思うけれど……一晩考えて、この理由が一番良いと思ったのだ。
「――あと、屋敷の地下で保護している動物たちは、街の動物愛護協会に頼んでおきました。明日か明後日にでもひきとりにきて、受け入れ先をさがしてくれることになっています」
 せっかく仲良くなれた動物たちとお別れするのは残念だった。
 でも王都までは連れて行けないし、お世話を両親に頼むわけにもいかない。このへんで別れなければ、あの子たちにとっても幸せな環境でなくなってしまう。
「いや、しかし。なぜそれほどまでにトレミーさまを嫌うんだ? 身分の差を気にしているのなら……」
「いえ、お父さま。しいていえば、名前が嫌いです」
「ふお」
 お父さまが一瞬、チベスナギツネのような表情になる。さすがもともとは猫獣なだけあって、そんな顔も愛らしい。
 今、お父さまにトレミーの本性を話しても信じてもらえるはずがない。
 結局、『生理的に嫌』という話になるのだけど、それも失礼な理由には違いないから、名前が嫌いということにしておいてほしいと思う。
 もし、一度でも面会が成されれば、きっと私が拒否した理由がわかるだろう。あとは両親の目を信じるしかない。

 ところで、先ほどからお母さまの様子がおかしかった。
 いつもの落ち着きはなく、好奇心で満ちたフェネックのように目を輝かせてそわそわしている。
 お父さまからお母さまへと目線を移したタイミングでフンと鼻を鳴らすあたり、話す順番を待っていたらしい。
「――知らなかったわ、コルルちゃんにも春が来ていたなんて。そういえば最近、どこからか招待状が来ていたわね。それがお相手からのものだったのでしょう?」
 すみません、お母さま。私宛てに来ていた手紙は、ペット譲渡会の招待状です。――とは言えず、あいまいに笑っておく。
「あなた、これは侯爵子息さまには申し訳ないですが、親としてはコルルちゃんを応援するべきだと思いますの」
「いやしかし、貴族の義務が……。希少紋の娘を夥多獣に嫁がせるなど、人道的にもどうかと思うぞ。国王の承認だって取れまいて」
「娘の幸せのほうが大事ではありませんの!?」

 しまった。理由に使った「想い人」がおおごとになっていきそうな雰囲気になった。
 なんとか話の方向を変えるべく、私は次の話題を振る。
「王都へ行ったらナヴァールお兄さまのところへ行きますので、心配しないでください。それよりも今のうちに伝えておきたい、大事なことがありまして――」
「あら」とお母さまが眉をあげる。
 私はややもったいぶって、席を立ちお父さまとお母さまの席の間に立ち、身を屈ませた。

「もし今後、成人覚醒でアルルにカメレオン紋が発現しても、しばらくは神殿には内緒にしてくださいね。侯爵家に見つかれば、ルヴァン家に不幸なことが起きるかもしれません」

 声を低くしながら、はっきりと告げる。
 口調の強さに驚いたお父さまは、お母様と同じように眉を寄せ、怪訝な表情でお互いを見つめたのだった。