その日は満月に近い、明るい夜だった。
 私は深夜まで読書をしつつ眠気を紛らわし、ようやく時分となったころに屋敷の地下室へと降りた。
 もし、回帰後もアルルが同じ行動をとるのなら――彼女は必ずここへやってくる。私がモノを盗まれたくらいじゃたいして傷つかないから、私の大事なものに危害を加えようとするのだ。
 地下にある動物部屋に入り、大きなタルの陰に自分の身を潜ませる。すると、案の定、別の足音が階上から響いてきた。

「ふふっ……昼間の仕返しにはやっぱりこれが一番ね。私っては賢い!」
 アルルは右手に部屋用のランタンを持ち、左手に袋を引きずっている。
 袋の中にあるものは、厨房から盗んできたものらしい。私が料理長に頼んで作ってもらっている、動物用のごはんだった。それが袋からはみ出て、床にてんてんと落ちている。
 ランタンを部屋の中央に置き、アルルはあたりの様子を疑う。夜行性の子を除いて動物たちはケージのなか、おとなしく眠りについている。
 その隙を狙って、袋から出したごはんをそっと、ペットたちの食事皿に盛り始めた。

「朝になったら、みんな苦しんでるでしょうね。その惨状を見て、お姉さまも反省するといいわ」
 さらにアルルは、自身のポケットからポーション瓶を取り出す。見かけは街で売られているポーションと変わりがない。けれど、動物たちは匂いの違いに気づいたらしい。起き上がって反応を示す子や息が荒くなる子、鳴き始めた子もいた。
 頃合いかな、と思って、パッと明かりをつけた。
 ふわっと視界が明るくなるのは、もともと地下室にある、大きなランタンに火を入れたから。入り口から入るとタルに挟まれて死角になるため、アルルは気づかなかったのだろう。
 他にも人がいたことによほど驚いたのか、アルルは「きゃあっ」と悲鳴をあげる。

「アルル……さすがに動物に毒ごはんをあげるのは、ひどいと思うわよ?」
「うあ、おおお姉さま!」

 アルルがうろたえる。なぜバレたのかわからない様子だった。逃げようとしても、私のいる位置のほうが入り口に近い。
「き、奇遇ねぇぇ、これ、とってもおいしいって評判のエサだから、こいつらにも分けてあげようと思って持ってきてやったのよ!」
 あからさまなウソにため息が出てしまう。
 回帰前は、この毒ごはんのせいでみんな苦しんだ。死んだ子はもちろん、死ぬまで麻痺が続いた子もいる。
「そう。ごはんに毒をかけて与えようとしたのね? そのポーション、市販のものにしては匂いがおかしいわ。それに……」
 嗅ぎ覚えのある匂いに、胸がずきんと痛みを覚える。
(この匂い……前世で毒殺されたときの匂いに似てる……)
 なんで、アルルを通してそんなものに巡り合うのか、疑問しかない。
 まさか、前世ではトレミーとアルルは繋がっていた? ――なんて、嫌な考えばかりが浮かんでしまう。
 じっと妹を見つめた。
 あたふたとポーションを隠し、睨みながら私の様子をうかがっている。
 これは悪いことをしたあと、どう言い繕うかを考えているときの妹のクセだ。
(……とにかく昨日、アルルの部屋を探索しておいて正解だったわ。こうして毒を隠し持っていること自体、おかしなことだもの)
 シンとした静寂のあと、アルルは腕を組みながらそっぽを向いた。

「な……何よ、その目。言いがかりはよしてよね。大体、エサを与えることくらいでなんなのよ。これは私の善意なのよ? 希少紋(きしょうもん)のお姉さまが夥多紋(かたもん)の聖女である私に命令するなんて、生意気だわ!」
 たしかに、この国では多くの人を癒せる夥多紋の聖女のほうが、重宝される風潮がある。でも今、そんなことは関係ない。
「……毒を与えることが善意であるはずないでしょう?」
「うるさいっ! だいたい少し前から変よ、お姉さま。以前は私と目を合わせることもできなかったくせに、今ではことあるごとに口答えして、癪に障るわ。今までのように身の程をわきまえておとなしくしててよね!」

 私は首にかけていた獣笛を取り出し、息を注いだ。
 するとそれまでうずくまっていた動物たちはいっせいに立ち上がり、ケージの扉を押し始める。ケージの扉はかちゃりと開き、笛の音に引き寄せられるようにゆっくりとアルルのいる場所まで集まってきた。
「な、なによ!?」
「今日はケージに鍵をかけていないの。ねぇ、アルル、私への嫌がらせは許せても、動物への虐待はいたずらでは済まないのよ? 命をおびやかされたら、どんな子だって敵対心を持つわ」
 ふだんおとなしい中型犬のランスロットが、アルルの足もとで唸り声を出した。
 いかにも噛みつくぞという雰囲気で、他の動物たちもアルルとの間合いを詰めている。
 そこでようやく身の危うさに気づいたのか、アルルは顔色を変えた。

「ひっ! わ、私を傷つけたらこいつらみんな処刑よっ! こないで! お父さま、お母さま――お姉さまがいじめるうう助けてぇ!」
「あ、今回は先に報告させてもらったのよ。これ以上、アルルが悪いことをしないようにってね」
「え?」
 入口を塞いでいた自分の先には、地下室への廊下。そしてその廊下には、あらかじめ呼んでおいた両親たちが立っている。
 ランタンを手に持ち、ガウン姿で入ってきた二人の表情は、暗がりでもよくわかるほどに青ざめている。
「お、お父さま……お母さま……っ」
 アルルは呆然と立ち尽くした。



「アルルちゃん……毒はやりすぎでしょう。いったい何が不満なの?」
 お母さまが信じられないというような目でアルルを見つめる。
 ワガママだけど根は優しい娘だと信じていたお母さまにとっては、怒りよりもショックが大きかったようだ。
 一方で、お父さまは渋い顔をしていた。
「アルル。男爵家の人間として、ウソは良くないな」
 ふだんは優しいお父さまでも、人道に反することには厳しい。お母さまを支えながら、怒り口調で言い放った。
 アルルは顔を赤くしながら反論する。
「わ、私は嘘つきじゃあないわ! はめられたのよ。ふだん、お姉さまは言いつけないくせに、こんなときだけお父さまを呼ぶなんて、卑怯すぎるでしょう! 私は――聖力だってお姉さまより上よ。優秀な聖女なのよ!」

 ふぅとお母さまがため息をつく。隣ではお父さまが首をふった。
 正直、両親には知らせようかどうかは迷った。アルルがこんなことをする子だなんて知ったら、哀しい思いをするだけだから。
 これまでのアルルは、両親にとっては甘えが過ぎるけど自慢の愛娘、という程度の認識だったはずだ。
 そのアルル像を壊してしまうのは申し訳ないなって思うけど、私だって、回帰後も無残に動物たちを死なせるわけにはいかない。

「優秀なら、まず両親を哀しませないようにしないとね? こんな毒を送ってくるような友だちとも縁を切ったほうがいいと思うのだけど」
 私はひそかに取ってきた、アルル宛ての手紙の束を見せる。
 それを見て、アルルは顔色を変えた。
「私の部屋に勝手に入って持っていったの!? なんて恥知らずなの、お姉さま!」
「アルルと同じことをしただけよ? それに、この手紙と一緒に入っていたポーション――危険なものであることは間違いないわ。あなた一体、アカデミーでどんな人たちと付き合っているの」
「……返しなさいよ」
「説明になってないわ。市販のポーションに似せてるなんて、犯罪に加担しているかもしれないのよ? 大ごとになる前に、お父さまやお母さまに言っておいたほうが……」
「返せえ!」
 アルルは敵意をむき出しにして私にとびかかった。とっさに私は手紙を高く掲げ、奪われないよう身をよじる。
 大丈夫。アルルとの身長差からして、とられる心配はない。ただよろけた際にバランスを崩して、ドン、と横にある棚にぶつかってしまった。

 地下室の入り口付近には、高くて立派な棚がある。
 そこにはペットたちの世話のために私が買いそろえた道具や器具が置いてあり、なかには陶器でできた皿や花瓶、動物の形を模した彫刻品や絵画なども入っていた。
 当然、私が棚にぶつかれば、衝撃で落ちてくるわけで……。
 さらに、勢いが付いていたから、落ちた先が私ではなくアルルの頭上に多く集まってしまった。

「あ、あぶなっ」
 かばう間もなく、ガツンと太い音がした。妹が体勢を崩す。硬いものが頭にヒットしたらしく、そのまま倒れたあと動かなくなった。
「……アルル!?」
 同時にガシャンガシャンと他の物が割れる音。
 大音量が響いて不安になったのか、動物たちも鳴き始めた。
「みんな、動かないで」
 獣笛を吹くまでもない。「大丈夫だよ」、「驚かせてごめんね」と謝ると、みんな私の言葉をわかってくれたようだった。聞き分けの良い子たちが、それぞれのケージの方向へ戻っていく。
「アルルちゃん、しっかりして!」
 叱り途中だったけれど、さすがに非常事態だ。お父さまとお母さまが駆けより、アルルを抱き起こす。
「薬師を呼ぼう。いや直接、村へ駆けこんだ方がいいか!?」
「お父さま、頭を動かさないほうがいいわ。私、今から薬師さまを呼んできます!」
 慌てふためく二人の前で、地下室を飛び出した。