「アルル……ごめんね? でも私ね、傷ついた動物を見ると放っておけないの。そもそもウチのお爺さまだってカメレオン獣だったのだから、同じ爬虫類を気味が悪いとかいったら失礼だと思うのだけど」

 うっ、とアルルは口をとがらせて、目線を横に移した。
「あ、それとね。私の部屋から、また勝手にドレスとか宝石とかを持っていかなかった? あれを売って新しいケージを買う予定だったから、困っているのよ」
 あえて両親の前で懇願すると、形勢不利を感じたのかアルルはツンとそっぽを向く。
「し、しらないわあああ、お姉さまの趣味の悪い服なんか。それに、ケージを買うなんて発想がおかしいわ。貴族令嬢らしくないって、お母さまからも注意してよ!」
 視線がお母さまに集中する。
 お母さまは飲みかけの紅茶をひとすすりすると、優雅に微笑んだ。

「まず、アルルちゃんの審議からいきましょうか。あなた、本当にドレスや宝石を持って行ったりはしてないのね? 猫神リムに誓って、そうなのね?」
 ぐっ、とアルルは息を詰める。それから「そうよ、お姉さまが勝手に失くしたのよ」と呟いた。
 お母さまは息をつき、「では次ね」と、先ほどの求婚状を手に取った。
「コルルちゃんの優しい心は素敵だと思うし、動物愛護は悪いことではないでしょう。でも、うちは辺境の地に住むしがない男爵家。資源の乏しいこの土地では、ペットのごはん代だけでも家計を圧迫していくのですよ。男爵と言っても過去数回にわたる代替わりのたびに相続税をごっそり取られ、今や裕福な商人よりも財政的に厳しい状況。……と、そんな我がルヴァン家に、侯爵家から縁談がきています。これがどういうことか、わかりますか?」

 話が戻ってしまった。
 当然のことながら、私はまだ求婚に応じてはいない。
 ふつうに考えれば、侯爵家からの縁談なんか、男爵家が断れるわけがない。現に、回帰前はこれに二つ返事をしてひきうけてしまった。でも――。

「お母さま、ごめんなさい。今後一切、縁談を受けるつもりはありません」
 はっきりと答える。ふだん輪郭も定まらないようなぼけやた笑顔で過ごしている私が、いきなり真顔で返したのだから、お母さまもさぞ驚いたことだろうと思う。
 案の定、お母さまは目を丸くし、となりにいたアルルは身を乗り出した。

「バカなのね、お姉さま? この国で私たちが異性にちやほやされるのは、聖力のある若いうちだけなのよ。その貴重な時期のうちに結婚をしないとどうなるか、わからないの?」
 アルルに視線を向ける。
 わかってる。一度それなりに、痛い目を見ているから。
 と、言いたいところだけど、ひとまず飲み込み一般論のように答えた。
「そうね。男性は皆、獣人で、自分の将来に必死だもの。あの人たちが優しいのは、女性の持つ『聖女の祈り』がほしいからだわ。現に聖力がなくなった独身女性には冷たくなる人もいるって聞くし……」
 すると、アルルは眉間のしわを一層深くする。
「ええ。ランク1のお姉さまでも一応、ひとりくらいは獣化を治せるっていうのに。それすらも放棄するなんて、存在価値がなくなっちゃうわよ。それともこの家を没落させたいわけ? だったら私が代わりに婚約するわ。侯爵家からの縁談なんて、もったいないもの」
 お母さまが頭を振った。
「それは、ムリでしょうね。こちらのお相手の方は、カメレオン紋の女性をお望みなのですよ。獣紋が違う人間と結ばれても獣化を止めることはできない……つまり、コルルちゃんでなければ結婚の意味がない」

 クッと妹が喉を鳴らす。
 アルルは猫紋だ。うちではお父さまが猫獣だったけれど、お母さまの父親はカメレオン獣だったから、遺伝で綺麗に分かれている。
 加えて私の持つカメレオンの獣紋は、国でも珍しい部類に入る。希少紋というらしいのだけど、男性のほうでもめったにカメレオン獣は存在しないので、需要と供給のつり合いはとれているらしい。
「で、でも……私は優秀だから、成人したらカメレオン紋も出ると思うわ」
「成人覚醒ね。全女性人口の0.2%に入れたらね? たしかにその可能性はありますが、あなたが成人するまであと数年。お相手は獣化をのんびり待てるお年ではないでしょう」

 うん、それもお母さまの言うとおりだ。男性の獣化は個人差はあっても、だいたいが十代後半から進んでしまう。
 最初のうちの獣化は耳や尻尾が出る程度だから、なかなか何の獣なのかわからないけれど、二十代ともなれば獣痣がはっきり出るし、聖女の祈りの力なしでは人間の姿に戻れなくなってくる。
 今、二十歳だというトレミーなら、ギリギリの年齢だろう。獣化を放置すれば、社会的な信用もなくなっていく。

「ところで、コルルちゃん。どうしてお断りなのかしら? あちらのほうが格上なので断るのは難しいのだけど……誰かほかに想う方でもいるの?」
「想う方なんて……」
 いたら、どんなに良かったか。
 でもその男のことはよく知っている。身分も家柄も性格も。

 回帰してから三日が経つ。私は十八歳の誕生日が目前だった。
 求婚状が届いた日も、このやりとりも以前とほぼ同じだ。
 ただひとつ、決定的に違うことがある。私は付けている手袋の上から自身の左手をさすり、顔をあげた。

「お父さま、お母さま。この件に関しては後日改めてお話させていただきます。少しお待ちくださいますか?」
 ここからトレミーが来訪するまでは、約六日間の猶予があったはずだ。
 それまでにやれることはやっておかないと――と思考をめぐらせた。