「いなくなった、だと?」
 アレパ侯爵令息、トレミーは自身の大きめの口をぱかりと開け、テーブルの向こう側にいるルヴァン男爵夫妻を睨んだ。
 男爵家では、昨日、娘の捜索を打ち切ったばかりという。
 アレパ家からの求婚状が届いてすぐ、娘は家出をしたということだった。

「さようでございます。おとなしい子だったゆえ、私どもも驚いております」

 コルルの父、ナイロンは、キレイに整えたひげが引っ張られるような感覚になりながら、早口で文言を述べた。
 数日前、娘にこう伝えてほしいと言われた。ウソは良くないと諭したが、娘はそれ以上にかたくなに拒否の姿勢を見せた。
 もし、聞き入れてもらえなければ、今後一切、縁を切るという。娘の懇願と妻の口添えにやられ、結局こんな応対をする有様となった。

「それは、まことの話なのか? せっかく求婚状も贈ったというのに……侯爵家の威厳を損ねる行為だぞ!」
「申し訳ございません。侯爵家からのありがたいお申し出を、このような形でお断りすることになり、お詫びの言葉もございませぬ」
 何度かループしている会話に、ナイロンはうんざりしはじめた。となりにいる妻ラモーナは、会った直後は不安そうな顔をしていたものの、今はすっかり瞳が鋭くなっている。
 それもそのはず、このトレミーという男、先ほどから獣化の治癒だけを望んで求婚したことを隠そうともしないのだ。
 やれ「恥をしのんできてやったのに」だの、やれ「俺の治癒を担うのは誇らしいことだ」だの、言い方にも遠慮がなくなってきている。
 仮にも求婚、コルル本人についてもっと関心のあるそぶりをみせてもいいだろうに、未だ娘の名前すら言わないというのはどうなのだろう。あげくの果てには。
「ならば、妹令嬢を連れてきていただこう。成人覚醒でカメレオン紋が出る兆しはないか?」
 などと言う始末だ。態度も大きいが、人に対しての何かが欠けている。

「おそれながら。妹のアルイーネは姉の家出に心を痛めて寝込んでおります。それに血がつながっているとはいえ、アルイーネは猫紋。成人覚醒は非常に稀なことゆえ、カメレオン紋の見込みはないと思われます」
 チッ、と軽い舌打ちが聞こえた。
 それに気づいた妻が、さらに眉をつりあげる。平静を装っているが、頬が強張っているのが恐ろしい。
 先ほどからこの調子だ。さっさと帰ってほしいのに、貴族の令息でありながらこうも空気が読めぬとあっては、こちらとしても黙り込むしかない。
「ならば、親族にカメレオン紋の娘はいるか? 未婚でも未亡人でもかまわぬが、条件としては三十路前の聖力が健在な女だ。この際、多少の不都合は目を瞑ろう」

(……コルルの言ったとおりだ。もし求婚に応じた場合、大変なことになっていただろう)
 そうは思うものの、ナイロンはひたすら頭を下げるしかない。
 相手は王家の血筋に近い侯爵家。たとえ獣紋を持っていても、相手に睨まれたらこの国では暮らしてはいけないほどの不利益を生んでしまう。
「それも……申し訳ございませぬ。我が家はみての通り辺境の小さな男爵家でございます。また先祖代々、猫紋が主だったため、カメレオン紋の親戚はおりませぬ」
 もうこれで帰ってほしい、と願いを込め返答した。
 すると、テーブルの向こうで再度の舌打ちが聞こえる。

「――ならば、最後だ。コルオーネ嬢の容姿の詳細と、王都で立ち寄りそうな場所をすべて言え。わかっているとは思うが、娘を庇うためにと虚偽を申したら相応の礼はさせてもらう」

 ようやく娘の名を挙げたと思えばこれだ。
 我が家では最上級に近いもてなしだったのだが、令息はどれもこれも気に入らない――いや、目に入ってすらない様子だった。