変化というのは、時に突然訪れる。
 太陽がギラギラと輝き、蝉が騒がしく鳴く夏の昼下がり。
 冷房の効いた教室で、由紀と拓海は一緒に昼休みを過ごしていた。互いの手元のスマホ画面にはセピスカが立ち上がっている。今日のマルチプレイの目的は、拓海の素材集めの手伝いだった。
「そういえば拓海くん、エクスタの投稿見た?」
 雑魚モンスターを倒しながら、由紀は片手間にSNSで見た話題を振る。最近昼休みはほとんど拓海と過ごしていることもあり、自分から彼に話を振るのも抵抗がなくなっていた。
「んー、何かあった?」
 彼は目線をスマホ画面に向けたまま由紀に応えた。話をしていても、スマホ画面に映る拓海の騎士キャラの動きは正確だ。さすがは自分の認めたゲーマーである。
 改めて感心しながら、由紀はSNSの話を続ける。
「スマシス、新作発売決定したんだって」
「へっ、なんて?」
 頓狂な拓海の声と共に、騎士キャラの動きが停止した。狙ったかのように雑魚モンスターが、一気に攻撃を仕掛けてくる。
「うわわ、やめないで。死ぬ死ぬ!」
「あっ、やべっ」
 慌てふためきながら、なんとか雑魚モンスターを裁いていく。全て倒しきった後、二人で大きなため息をついた。
 由紀は顔を上げ、拓海へ向かって頬を膨らませる。
「もう、急に止まらないでよ」
「ごめんって。でも由紀が変なこと言うから」
「え、スマシス新作発売決定って言っただけでしょ?」
 スマシス――「大戦闘スマートシスターズ」。昔から長く続く大人気の格ゲーシリーズだ。ゲーム好きな人間はどこかで必ず一度はプレイしているという名作中の名作。その新作情報はゲーマーにとって天恵と言っても過言ではない。
 けれども拓海は、本当に分からないとでも言いたげに、首をかしげている。
 まさか、と由紀は思う。
 セピスカをやり込んでいる拓海に限って、そんなことはないはずだ。
 けれども今の彼の反応から導き出される答えは、一つしかない。
「拓海くん……まさかスマシス知らない?」
「あっ、えっと、ゲームのこと?」
「そうだけど……」
 彼はあからさまに気まずそうな顔をした。額からはじんわり汗が滲んでいる。冷房の効いた部屋で、それが暑さのせいだとは思えなかった。
 スマシスを知らない。名前さえ聞いたことがない。そんなゲーマーがいるだろうか。
 仮にいたとして、その確率は砂漠に埋もれた一粒の砂金を見つけるより低いだろう。
 一度疑い始めると、それはどんどん膨らんでいく。
 それでも拓海を信じたくて、由紀はたたみかけるように問いかけた。
「じゃあイカトゥーンは? パイプブラザーズは? 鉄蹴は?」
 どれも有名なゲームの名前だ。けれども拓海の反応は変わらない。
 頭から冷や水をかぶった気がした。これまで信じていたものが、どんどん崩れていく。
 聞きたくない。でも聞かなければ。震える声で、由紀は問いかける。
「もしかして拓海くん……ゲーマーじゃ、ない?」
「――っ、ごめん!」
 拓海は突然席を立ち、教室を飛び出していってしまった。自分のスマホを置いたまま。
「……はぁ」
 空になった前の席を見て、由紀は机の上に突っ伏した。
 決定的な言葉は貰っていない。けれどもあの行動が何よりの答えだろう。ゲーマーらしからずセピスカを本名でプレイする。無計画にマルチプレイを誘ってくる。写真撮影のポーズで初めにバク転を選んだのも、ゲームを始めたばかりで現実世界でできない動きに夢中になっていただけなのかもしれない。
 信用できると思ったのに、裏切られた心地がした。次のテスト勉強の約束も、高校生活を楽しもうという誘いも、今ので白紙になっただろう。
 目尻の奥が、じんわり暑くなっていった。やはり高身長陽キャは自分の敵だ。だってこんなにも深い傷を残していったのだから。
 涙があふれそうになり、由紀はこぼすまいと顔を上げる。すると拓海の置いていったスマホが、視界に入ってきた。画面にはセピスカのフィールドが映っている。
 はて、と由紀の頭の中に新たな疑問が浮かび上がった。
 拓海のスマホを手に取り、彼のアカウントを改めて確認していく。
 相変わらずユーザーランクもキャラ強化も完璧だ。最近入手したキャラも順調に育っている形跡がある。
 彼はゲーマーではない。ならばなぜ、セピスカはこんなにやり込んでいるのだろう。
 彼のやりこみようは、相当な時間と労力を使い、セピスカのゲームシステムを完全に理解していなければ達成できない領域だ。ゲーム始めたての人間がどハマりしたからと言って、簡単に完成できるものではない。
 あまりの矛盾の大きさに、考えれば考えるほど頭の中に疑問符が増えていく。
 悩んだ末に、由紀は拓海のスマホを持って立ち上がった。
「ちゃんと、聞かないと」
 その矛盾の中に、彼の本音が隠れているかもしれない。
 教室を出て、廊下に行き交う人の間を縫い、由紀はなりふりかまわず駆けていく。
 彼のことを理解したかった。彼が由紀に歩み寄り、受け入れてくれたように。