――期末テストはちゃんと準備するように。
 1学期の期末テストを2週間前に控えた昼休み、由紀は職員室に呼び出され、担任から口酸っぱく注意されていた。高校1年生初っぱなの中間テストで赤点を取ったことが原因である。
 仕方ないだろう、とぼやきつつ、由紀は職員室から退室した。あの時は予想外の男子校生活に絶望し、ひたすらゲームをプレイしていたのだ。今は諸々諦めがついているし、赤点回避くらいは勉強できるだろう……おそらくは。
 ため息をつきながら廊下を歩いていると、「由紀!」と名を呼ぶ声がした。
「どうしたんだ、暗い顔して」
 振り向くと、拓海がこちらにひらひら手を振っていた。その周囲には、萩尾をはじめとする陽キャの同級生達が集まっている。彼らは全員、由紀の存在に気づいていない。
「……っ」
 由紀は口を二、三度はくはくさせたが、結局前髪を抑えながらうつむいてしまう。
 昼休みの廊下は人が多い。ざわめきの中で、高身長の拓海に言葉が届くか不安だった。それに彼は今、一人ではない。他の人との会話を中断させてまで、自分の話を聞いてもらうなんて勇気はなかった。
 だがそのとき、ぐいと体が引き寄せられた。
 見ると、拓海が自分の右腕を引っ張っている。
「えっ、なんで?」
「ここじゃうるさくて話聞けないだろ。静かなところに行こう」
「で、でも。友達は?」
「いいって、大した話してなかったから。今は由紀の方が大事」
 由紀はあっけに取られてしまう。自分が話そうとしているのを察してくれたうえ、話を聞くために場所を移動してくれる人間がいるなんて。本当に拓海は、人間ができた陽キャである。
 従うままに校舎を出て、連れて来られたのは、中庭だった。日中の気温が高くなっているせいか、そこで過ごす生徒はほとんどいない。
 拓海は大きな木の下までやってくると、その木陰にあるベンチへ由紀を座らせた。そして自分もすぐ隣に座り、膝に肘をついて身体をかがめる。
「それで、どうしたんだ?」
 髪の隙間から、同じ目線の高さに彼の黒く輝く瞳が見えた。まっすぐに見つめられ、黙ったままではいられなくなる。
「その、もうすぐテストだから。成績の話をされて」
「成績なんて気にする時期か? 俺たちまだ一年だろ」
「いや、その。気にしないとやばいというか」
 そこで拓海は、何かを察したらしい。
 彼は神妙な顔つきをしながら、顔の前で手を組んだ。
「冬野由紀さん、つかぬことをお聞きしますが。前の中間テストは如何ほどで……?」
「ええっとお……最高得点は国語の三十点でえ……」
「それはやばいな」
 そんなに真剣に言わないで欲しい。陽キャに言われて辛くない正論はないのだから。
 ダメージを負いつつ、苦し紛れに挽回しようと言い訳をする。
「まあ前回は色々あっただけで……今回は普通に成績取れるはずだから」
「でも由紀、毎日授業中は寝てるだろ? 本当にいけるのか?」
「…………」
 戦闘不能。返す言葉もなかった。
 正直、この学校のレベルは自分より少々上なのだ。受験の時は男子校に入るという目的があったため死に物狂いで頑張れたが、現実を知って希望もやる気も失ってしまった。いまでは授業をまともに聞く気さえ起きず、取り残されていくばかりである。
 どんより沈んでいると、拓海がにかっと歯を見せた。
「俺が手伝おうか? 由紀の勉強」
「へっ?」
 陽キャが。陰キャの。勉強を。手伝う。
 あり得ない言葉の組み合わせに、由紀の目は点になる。
 拓海があまりにいい人すぎる。もはや別次元の人間ではなかろうか。それでなければ神か仏だ。彼の笑顔の後ろから、後光が差しているような気もするし。
 けれども自分は初っぱなから赤点連発した落ちこぼれ。目立たず喋らず頭も悪い陰キャが、国宝級陽キャの手を煩わせる訳にはいかない。
「だ、大丈夫。拓海くんも自分の勉強あると思うし」
「俺は今回の復習もう終わったからへーき」
 相変わらず笑っている拓海の顔は、本当に余裕がありそうだ。テストは2週間後なのに早すぎる。
「で、でも僕のせいで拓海くんの成績が下がったら」
「それくらいじゃ下がらないって。俺、前回学年一位だし」
「一位ぃ!?」
「そうそう、だから大体のことは教えられる」
「…………」
 思わず絶句してしまう。成績がいいのは知っていたが、まさか学年一位様だったとは。
「な、手伝わせてよ。セピスカみたいにさ」
 拓海はこてんと首を倒して尋ねてくる。
 高身長のくせに、そんな大型犬みたいに可愛い仕草をしないで欲しい。加えて誘い文句まで魅力的で、由紀はもはや抗うことはできなかった。
「じゃあ……お願いします」
「オッケー。んじゃ放課後に図書室な」
 結局頼むことになってしまったと、由紀は心の中でため息をつく。迷惑をかけて申し訳ない気持ちが大きいが、あんな風に言われたら断ることなんて不可能だ。
 ともかくできる限り彼の負担にはならないようにしよう。そう決意した由紀は、午後からの授業は眠さに耐えて話を聞いた。