島民を順繰りに巡り、ケガレを過去に退治しようとした者がいないか聞いて回った。誰もが首を傾げ、そんな話は聞いたことがないと口をそろえた。ケガレを倒そうという発想すらなかったと、当初の陽向と同じ感想を述べる。
 この島の一番の古株はスミレで、二番手が白樫だと聞き、早速彼の姿を探した。散歩に連れてってという小夜とあちこち歩き回り、山を流れる小川で釣り糸を垂れる白樫をようやく見つけた。海辺で見つからなかったので随分と苦労した。彼の傍らのバケツでは、既に数匹の魚が銀色の鱗を閃かせている。
 木々の枝葉がせり出す木陰に腰掛ける。小川はさらさらと心地よく流れていて、はしゃぐ小夜は、木の葉と枝で船を作り川に流して遊び始めた。
「ケガレを退治するなんて話は、聞いたことねえな」
 竿を軽く振りながら白樫が言う。彼は三十余年を島で過ごしてきたが、その間、ケガレを倒そうとする者は一人もいなかったそうだ。
「第一、あんな大妖怪、俺たちにどうこうできるもんじゃないだろ」
「……まあ、そうだけど」
 白樫はちょいちょいと竿を振ると、意味ありげに笑った。
「おまえら、なんか悪いことでも企んでんのか」
 予想外の台詞だ。「おまえらって?」
「壬春も昨日同じことを訊いてきたぞ。わけを聞く前にさっさと帰っちまったが。悪い事でも企んでんじゃないだろうな」
「悪いことでは、ないと思うけど」
 壬春が自分と同じ質問を島民に投げかけていたことに驚く。彼は一体何をしようとしているのだろう。
「ケガレを倒せる方法がないか、考えてて」
「ケガレを?」
 途端に、わっはっはと白樫が大きな声で笑った。びっくりした顔で小夜が振り返る。
「面白いことを考えるなあ、陽向は。これからケガレを倒すつもりか」
「なにかありそう?」
「いやいや、奴は強大だぞ。俺たちが全員で歯向かっても、傷一つつけられんだろうな。そもそも、あれに実体があるかどうかも怪しい。空に昇っていく姿を見たことがあるがな、まるで黒い霧だ。文字通り雲をつかむようなもんだぞ」
 ケガレに定まった形はなく、頭も手足も不明なのだという。いったい何をどうすれば倒せた状態になるのかもわからない。
「じゃあ、一部だけ切り取るってのは出来ない?」
「言ったろ、手も足もない霧の塊だ。切り取るなんて芸当は誰にも出来ん。そもそも奴に近づいて無事でいられる保証もないんだからな」
 つまり食べることも不可能だということか。腕を組んだまま、陽向は肩を落とした。
「なんだ、おまえ一体何を考えてるんだ」
 興味を持たれるのは当然だ。陽向は自分の考えたことを白樫に語った。記憶を奪われたのだとしたら、奪い返せばいいのだと。そのためには、ケガレを倒すか、もしくは一部だけでも切り取る必要があるのだと。
「ひなた、たたかうの?」
 いつの間にかそばにやって来ていた小夜が、不思議そうな顔をする。彼はケガレという存在も理解できていないが、会話の断片から陽向が誰かを倒しに行くと思ったのだろう。
「戦える方法がないか訊いてたんだ。だけど、俺には無理みたい」
「ひなた、よわいの?」
 うっと言葉に詰まるのを見て、白樫が再びガハハと笑った。笑うなよと軽く睨んでやる。
「強いか弱いかで言ったら、弱いだろうな……」
「りっちゃんならかてる?」
「いや……流石に律でも、一対一でケガレには勝てないよ」
 小夜は大きな瞳を真ん丸にした。「そのひと、とってもつよいんだね」
「わかってるな、小夜ちゃん。ケガレはな、とーっても強いんだぞ」
 釣り竿を持ったまま白樫が両手を広げる。小夜がしがみついてくるので、よしよしと背中をさすってやる。
「てわけだ、陽向。少なくとも、これまでケガレを倒そうと考えた島民はいない。その方法も思いつかねえ。下手におまえが手を出せば、今度こそ返り討ちに遭いかねんぞ。もうあのお守りはないんだろ」
 手が自然にジーンズのベルトループに触れた。そこに、慣れた鈴の手触りはない。跡形もなくお守りが消えていった光景を思い返す。あれが手元にない以上、二度目は助からない。
 白樫が知らないなら、誰もケガレに立ち向かう方法は知らないだろう。参ったなと、青い空を仰いだ。魚が川面を叩く音が聞こえ、小夜が歓声をあげた。