それから昼まで、陽向はスミレと庭をいじって時間を過ごした。庭には小さな畑があり、その面倒を見てほしいのだと彼女は言った。以前世話をしていた住人が島を出てしまい、まだ誰にも畑仕事が引き継がれていない。だから手を借りたいのだと。島民の手伝いをしてほしいと凪から聞いていたが、こういうことだったのかと納得した。いわゆる、便利屋みたいなものか。
 土いじりなど、小学校の中庭で向日葵を育てたのが最後だった。ここには更に背の高い向日葵と、キュウリやトマト、ナスにスイカといった野菜が植わっている。水をやり、いち早く色づいた実をもいだ。陽の光を浴び、手の中のトマトは濡れているかのようにつやつやとしている。
 家に戻って汗を拭き、スミレと一緒に喫茶店まで野菜を運んだ。トマトとナスを使い、律が手際よくパスタを調理してくれたので、それで昼食にした。驚くほど旨かった。
 店を軽く手伝い、家から家へ荷物を運んだりしつつ、あっという間に三日が過ぎた。
 朝は早くに目が覚め、涼しいうちに課題を済ませる。庭をいじり店や島民を手伝い、合間で律や凪たちと食事を摂る。
 用事のない日、畑で採れたスイカを律が切って出してくれた。並んで他愛のない話をしながら、縁側でスイカを食べつつ海を眺める。夏の午後二時の海は眩しいほど煌めき、穏やかに波が打ち寄せている。昼間は蝉がみんみんと鳴き、夜になると静かな波音が聞こえる。とても穏やかな心地で眠りにつくことができる。
 スイカの甘みと、庭先で焚いている蚊取り線香のにおい。軒下で風鈴が鳴った。律が腰を上げてどこかに行き、陽向はぼんやりしているうちに縁側で眠ってしまった。起きた頃には夕刻で、帰って来た凪と律に、頬にできた跡を笑われる。
 田舎の祖父母の元に帰郷する同級生たちは、こんな夏を過ごしていたのだろうか。照れ隠しに頬を擦りながら思った。今まで知らなくてよかった。知っていれば、羨んでいただろうから。同時に、自分も彼らと同じような夏を過ごせていることが、なんだか嬉しい。今まで夏休みといえば、団地の部屋でうだりながら宿題をして、一人きりで昼飯を食って暇をつぶすだけだった。たまに葛西がやって来る度、熱帯夜の中に逃げ出さざるを得ないことに苛々していた。
 そうだ、自分は常に苛ついていた。そのくせ、あの家を離れるという発想を持たなかった。無意識のうちに、あらゆるものに縛り付けられていたのだ。家、街、母。そしてあの男の命令に。
「おーい、お醤油取ってよ」
 律の声が耳に入り、慌てて手元の醤油さしを手渡す。自分の焼き魚に醤油を垂らしながら、律は不思議そうな顔をする。
「なにぼーっとしてんの。昼間あんなに寝てたのに、まだ眠いの」
「いや……」
 家の座卓で、凪と律との三人で夕食を囲んでいる最中だ。いつの間にか考えにふけっていた。だがこの感情を、何も知らない彼女にどう説明すればいいのだろう。
 柱が軋んだ。天井からぎいぎいと音がする。
「屋鳴りだ」
「陽向、知ってるのか」
 見上げて呟くと、凪が驚いた顔をするので頷く。「スミレさんに教えてもらった」
「妖怪よ、寝てる間に頭齧られるかもね」
「害はないんだろ。音だけって言ってた」
 陽向をからかおうとした律は、「つまんないの」と唇を突き出す。「ビビりの陽向ちゃんが見られると思ったのに」
「そりゃ残念でした」
 すっかり仲良くなったなあ。そう言う凪を睨む仕草がシンクロしてしまう。思わず顔を見合わせると、律が吹き出した。釣られて陽向も笑ってしまう。誰かと笑って夕食を摂ることなんて、ついぞないことだった。この夏休みが終わってほしくない。そんなことを思った。