クリスマスの翌日、僕は帰省するために荷造りをしていた。とはいってもそんなに荷物はないのだけれど。
「瀬戸くん、本当に帰らないの? 年末年始は閉寮するらしいよ」
「親も帰ってこなくていいって言ってて、ホテル取ってるんだよ。だから心配すんな」
 瀬戸くんは一人でホテル暮らしをするようだ。複雑な家庭の事情があるとはいえ、あまりにも高校生らしくないと思う。それに何日も会えないのは寂しい……そう思ったとき、ひらめいた。
「そうだ、瀬戸くんも僕の家に来る?」
「は!?」
「アパートだから狭いけど、良かったら泊まってよ」
「いや、迷惑だろ」
「お父さんもお母さんも歓迎してくれると思うよ。ね、どうかな? 大晦日はみんなで鍋とかしようよ」
「んなこと言ったって……」
「それに……瀬戸くんと会えないと寂しいよ」
「……」
 瀬戸くんは少し考え込むような素振りを見せた後、やがて静かに口を開いた。
「……分かった」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、お前の両親の許可が出たらの話だ」
「もちろんだよ! じゃあ、早速電話してくる!」
 僕は廊下に出てすぐ両親に連絡した。友達を連れていきたいと伝えると、逆に瀬戸くんの心配をされてしまったが、事情を話すと許可してくれた。
 元々楽しみにしていた帰省が更に楽しみになった。


 十二月二十八日の朝、瀬戸くんと一緒に僕の家に向かった。電車に三十分ほど揺られ、バスに乗り換えて更に十五分。そして、バス停から数分歩いたところに両親の住むアパートがある。
「ただいま!」
 玄関を開けると、「おかえりなさい」という声とともに母が顔を覗かせた。
「あら、あなたが瀬戸くん?」
「はい。この度は突然すみません」
「いいのよ、ほら上がって」
「お邪魔します」
 瀬戸くんは恐る恐るという感じで靴を脱いだ。敬語で話す瀬戸くんが珍しくて、思わずじろじろ見そうになるのを堪える。
 リビングでは父がこたつで新聞を読んでいた。
「やあ、君が瀬戸くんか。話は聞いているよ」
「初めまして、よろしくお願いします」
「そんなに畏まらなくていいんだよ。楽にして」
「はい」
 瀬戸くんは座布団の上に正座している。背筋がピンと伸びていて、厳しく育てられていたという話を思い出した。今思えば、勉強ができることも食事をきれいに食べることも全てはそういう環境で育った故なのだ。
「いつも優弥と仲良くしてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ」
「まあ、とりあえずゆっくりしていってね」
「はい。あの、これ……つまらないものですが」
 瀬戸くんは持参してきた紙袋を差し出した。中身はクッキーらしい。
「これはどうもご丁寧に」
「あ、僕コーヒー淹れるね」
 キッチンに向かいながら横目で二人の様子を窺う。なんだか不思議な光景だった。普段学校で見ている瀬戸くんとは別人のように礼儀正しく、まるで借りてきた猫のごとく大人しくなっている。
「はい、どうぞ」
 三人分のカップを持って戻ると、二人は世間話をしていた。僕は自分の定位置に腰掛ける。
「優弥は昔から転校ばかりで、友達を家に連れてくるなんて初めてだから本当に嬉しいんだよ」
 父の言葉を聞いて、胸が締め付けられる思いがした。確かにそうだ。少し仲良くなれてもまたすぐ転校してしまい、親友と呼べるような人はいなかった。でも、今は違う。
 友達じゃなくて恋人だってことは、いつかきちんと報告したいと思った。


 昼食をとった後、二人で僕の部屋へ移動した。瀬戸くんは物珍しそうに部屋の中を見回している。
「結構片付いてるな」
「うん、僕がいない間もお母さんが掃除してくれてるんだ」
「へえ……」
「さて、じゃあ何する? ゲームとか?」
「……なあ」
 瀬戸くんは僕の方を向くと、真剣な顔つきになった。そして、口を開く。
「普通の家ってこういう感じなのか」
「えっ?」
 予想外の質問だったので、一瞬戸惑ってしまう。
「俺は今までこんな風に家族と過ごすことなんてなかった。だから、よく分かんねえ」
「まあ、うちは一般的だと思うよ」
「ふーん……」
 瀬戸くんは考え込むような素振りを見せる。
「……俺も、こういう家だったら良かった」
 ぽつりと呟かれた言葉に胸が痛む。瀬戸くんにとって、家族の温もりとはどういうものなのだろうか。
 瀬戸くんの家はきっとうちとは比べ物にならないくらいお金持ちだ。でも、彼はそんな家に生まれたことを呪っているようだった。
「じゃあさ、また遊びに来ようよ」
 気付いた時にはそう口にしていた。瀬戸くんが目を丸くしてこちらを見る。
「……いいのか?」
「もちろん、いつでも来てよ!」
「ありがとな」
 瀬戸くんは嬉しそうな表情を浮かべた。その笑顔を見た途端、心が満たされていくのを感じた。


 それからは毎日瀬戸くんとゲームで遊んだり、近所を散歩したり、家のことを手伝ったりして過ごした。最初は両親の前ではぎこちなかった瀬戸くんも、徐々に慣れてきてくれて今ではすっかり打ち解けている。
 そして今日は大晦日。昼は年越し蕎麦を食べて、夕食はみんなで鍋を囲んだ。瀬戸くんは「おいしい」と言ってたくさん食べてくれた。
 お風呂に入った後は僕の部屋でテレビを見ていた。年が明けるまであと少しだ。
「今年は色々あったけど、来年もいい年にしようね」
「そうだな」
「僕、瀬戸くんと出会えてよかった。毎日すごく充実してるんだよ」
「佐倉……」
「あっ、カウントダウン始まったよ!」
 時計を見ると残り十秒になっていた。四、三、二……と数字が減っていき、ゼロになった瞬間、瀬戸くんは僕の肩に手を置いた。
 そのままぐいっと引き寄せられる。唇に柔らかい感触。キスされていると分かったのは数秒間経ってからだった。
「せ、瀬戸くん!?」
 慌てて体を引き離す。瀬戸くんの顔は真っ赤に染まっていた。
「嫌だったか?」
「い、嫌じゃないけど……」
 心臓がドキドキしている。ファーストキスだった。
「悪い、我慢できなかった」
「ううん……大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
 まだ唇に感触が残っている。初めての感覚だったけれど、不思議と心地よいものだった。
「……もう一回していいか?」
「えっ……う、うん……」
 今度は僕から瀬戸くんの背中に腕を回す。瀬戸くんも僕の腰を抱き寄せてきた。互いの体温を感じながら、ゆっくりと顔を近づける。再び触れ合った唇からは柔らかさと温かさが伝わってくる。
 どのくらいそうしていただろう。やがて、どちらからともなく唇を離した。至近距離にある瀬戸くんの瞳を見つめ返す。彼の顔は耳まで赤くなっていた。
「今年もよろしくね」
「……おう」
 新年の挨拶を交わすと、僕らは再び抱きしめ合い、何度もキスを交わした。


 一月一日。元旦。お雑煮を食べて、瀬戸くんと初詣に向かう。近所の小さな神社はそこそこ賑わっていたが、あまり並ばずに参拝することができた。
「何お願いした?」
「別に何も」
「えー、せっかくだからお願いすれば良かったのに」
「お前は?」
「うーん……内緒かな」
 願い事の内容を知られると叶わないという話もあるし、恥ずかしくて言えなかった。
 ──瀬戸くんとずっと一緒にいられますように、なんて。


 三が日はあっという間に過ぎ、寮に戻る日がやってきた。いくら瀬戸くんと一緒でも、やはり家族と離れるのは寂しさがある。
 玄関で靴を履いていると、父が話しかけてきた。
「優弥、次もまた二人で一緒においでよ。瀬戸くんが良ければだけど」
「ぜひ来てくれってさ」と瀬戸くんの方を見る。彼は少し照れ臭そうな表情を浮かべていた。
「ありがとうございます」
「瀬戸くん、これからも優弥をよろしくね」
 母はそう言って微笑むと、「じゃあ、気を付けて帰るのよ」と言って手を振ってきた。
「はい。お世話になりました」
 瀬戸くんは頭を下げ、僕は手を振り返した。
「いってきます!」
 こうして、僕の短い帰省は終了したのだった。