それから一週間、僕と瀬戸くんの距離は縮まることはなかった。相変わらず会話もほとんどない。
夕食の後は一時間ほど自由時間があり、その後は勉強時間になっている。僕は前の学校と授業の進み具合が違っており、少し焦っていた。得意な現代文や古文は何とかなりそうだが、理数系は苦手だ。数学は特に分からないところが多くて苦戦している。
まだ勉強時間の前だが、今日の授業の復習をしようと思い、教科書を開いた。しかしなかなか集中できない。
「うーん……」
ペンをくるくる回し、頭を抱えていると突然声をかけられた。
「おい」
顔を上げると瀬戸くんが立っていた。
「わっ! えっ!?」
突然のことに驚いていると、彼は不機嫌そうに舌打ちをした。
「お前、何やってんの?」
「えっと、勉強だけど……」
「こんな時間にか」
「うん。前の学校と違うから、ついていけなくて」
「ふーん……」
そう言うと瀬戸くんは机の上に置いてある教科書をじっと見据えた。
「どこだよ」
「えっ?」
「どこが分かんねえんだよ」
「あっ、えっと……これ」
分からないところを指差すと、瀬戸くんは僕のペンを手に取り、一つの公式に印をつけてくれた。
「これくらい自分で解けるようになれよ」
「ごめんなさい……」
僕は素直に謝りながらも驚いていた。まさか瀬戸くんが勉強を教えてくれるなんて思っていなかった。そして、このチャンスを逃すまいと思った。ここで少しでも親しくなっておかないと、今後ルームメイトとして関わることすら難しいかもしれない。
「あの、教えてくれてありがとう。助かったよ」
僕がお礼を言うと、瀬戸くんは目を丸くして顔を背けてしまった。
「瀬戸くんって勉強できるんだね」
「お前が馬鹿なだけだろ」
「す、数学が苦手なだけだよ!」
「どうだかな」
その後、勉強時間になると瀬戸くんは自分の机に向かった。そういえば、瀬戸くんは授業中こそ居眠りばかりだが、この時間はいつもちゃんと勉強している気がする。
「瀬戸くんって結構真面目なんだね。実はちゃんと授業聞いてるとか?」
僕が話しかけると、瀬戸くんは面倒くさそうにこちらを振り返った。
「あのなぁ……」
「ご、ごめん。邪魔したよね」
慌てて謝ったが、瀬戸くんは何も言わなかった。もしかしたら怒ったのかと思い、恐る恐る彼の方を見ると、瀬戸くんは机に向かいながら口を開いた。
「授業はつまんねえだろ。大体、教科書読めば分かるのにわざわざ説明聞く必要ねえよ」
「そ、そうかな……?」
大抵の人は教科書だけでなく、先生の解説を合わせて理解していくものだと思う。そもそもこの高校は偏差値が低くはないのだけど、もしかして僕が思っている以上に彼は頭がいいんだろうか。
「瀬戸くん、何の教科が好きなの?」
「……」
瀬戸くんは何も答えず、僕の顔をじっと見つめてきた。
「あ、あの……?」
戸惑っていると、瀬戸くんはゆっくりと口を開いた。
「お前、俺が怖くねえの?」
「えっ?」
「俺のこと他の奴らから聞いただろ。入学早々上級生と喧嘩して停学食らってるって」
「それはちょっとびっくりしたし、最初は怖いかもって思ってたけど……でも今は、ただ怖いだけの人じゃないと思ってるよ」
「……変な奴」
それだけ言うと瀬戸くんは机の方へ向き直った。僕はその様子を見て、胸を撫で下ろした。
良かった、嫌われてるわけじゃなさそうだ。
翌日の体育はバスケだった。二人組を作り、パスとシュートの練習をするよう指示されたが、僕はこれが苦手だった。こういう時はすでにみんな組む相手が決まっている。僕は一人取り残されて余ってしまうのだ。
今日もそうなるかと思ったのだが、今回は違った。
「おい、早く来いよ」
振り向くと、すでに準備万端といった様子の瀬戸くんがいた。
「えっ!? 僕でいいの?」
まさか声をかけてもらえるとは思っていなかった。驚いていると、瀬戸くんは眉間に皺を寄せた。
「嫌なら別に……」
「ち、違うよ! ありがとう!」
慌てて瀬戸くんの隣に行くと、ボールを手渡してくれた。
「お前どうせ余ってんだろ」
「あ、あはは……」
図星だがストレートな言い方に苦笑してしまった。
「俺あんま上手くねえぞ」
「大丈夫!」
いざ始めてみると、瀬戸くんの動きには無駄がなかった。フォームがきれいで、足も速い。
「すごいね、瀬戸くん上手い!」
思わず感心すると、瀬戸くんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに無愛想な表情に戻った。
「お前は下手くそだな」
「あはは、そうだよね……」
確かに僕は運動神経があまり良くない方だが、そこまではっきり言われると傷つく。少し落ち込んでいると、ふと視線を感じた。瀬戸くんが僕の顔を見つめている。
「えっと……?」
戸惑っていると、彼は目を逸らして言った。
「お前、もうちょい頑張ればいけんじゃねえの」
「えっ、本当? ありがとう!」
励ましてもらえたのが嬉しかった。
その後も何度か繰り返しているうちに、あっという間に授業が終わってしまった。
「あー楽しかった! 瀬戸くんのおかげですごく上手くなった気がするよ」
「大袈裟だな」
瀬戸くんは呆れたように呟いたが、その口元はかすかに緩んでいたように見えた。
それからは少しずつ会話も増えていった。話しかけるのはいつも僕からだったけれど、最初は全く話してくれなかったことを考えると大きな進歩だと思う。
「瀬戸くん、また数学で分からないところがあって……ここなんだけど」
「あぁ? またかよ。ここはこうして……」
「なるほど! さすがだね」
「いちいちうるせえ」
相変わらず、ぶっきらぼうな態度は変わらないけれど。
「瀬戸くんって面倒見いいよね」
「お前の馬鹿がうつったら困るからな」
「ひどい!」
そんなことを言いつつも、彼は僕の勉強に付き合ってくれているし、分からない問題があれば丁寧に説明してくれる。やはり根は優しい人なのだと思う。
「瀬戸くんって昔から勉強できたの? 何かコツとかある?」
「だから、教科書読めば分かるっつっただろ」
「じゃあ元々頭の出来が違うのかな……実はご両親がすごく頭が良くて、その遺伝だったりして」
「それは……」
瀬戸くんは歯切れの悪い返事をして口を閉じてしまった。
「瀬戸くんの家族ってどんな人?」
何の気なしに訊いた途端、瀬戸くんの表情が強張った。
「あ……ごめん! 言いたくなければいいから!」
訊かれたくないことだったんだろうか。僕が慌ててそう言うと、瀬戸くんは机に出した教科書も片付けず、ベッドに寝転んでしまった。
「寝る」
「えっ、まだ九時半だけど」
「俺は疲れてんだよ。静かにしろ」
「う、うん……。おやすみなさい」
僕は自分の机に戻り、復習を再開した。瀬戸くんはこちらに背を向けたまま動かない。
家族のことは訊いちゃダメだったんだ……。気をつけよう。
「佐倉、瀬戸と一緒にいて大丈夫なのか?」
ある日の昼休み、佐伯くんから声をかけられた。瀬戸くんはまだ教室に戻っていない。
「あいつに脅されたり殴られたりしてないか?」
「そんなことされてないよ!」
「でもあいついつも怒ってるし」
「そうでもないけど……」
そこでふと、家族の話をした時のことを思い出した。
「あ、そういえば、家族のこと訊いたらちょっと怒らせちゃったみたい」
「あいつ怒らせてよく生きてたな」
「だから何もされてないってば」
「そういえば、家が金持ちらしいって噂は聞いたような……」
そんな話をしていると周りのクラスメイト達も会話に混ざってきた。
「あいつの家、ヤクザかなんかじゃねえの」
「金の力で裏口入学とか?」
「ありえるなぁ」
「あいつ頭いいらしいけど、テスト問題盗んでるだけなんじゃね?」
笑いながら話すクラスメイト達に僕は困惑していた。
「ねえ、そんな言い方しなくても……」
「えー、だってあいつならやってそうじゃん」
「佐倉も気をつけろよ」
「……」
クラスメイト達は瀬戸くんの根も葉もない噂話で盛り上がっている。胸の中にもやもやとした感情が渦巻いていく。
瀬戸くんのことを知らないくせに勝手なことばかり言っていることが許せなかった。僕は友達の悪口を聞いて黙っていられるほど大人じゃない。
「瀬戸くんのこと、悪く言わないで」
僕が反論すると、みんなは意外そうな顔をした。
「え、何で?」
「だって、友達なんだ」
「友達って……あんな奴と?」
「うん」
僕の言葉を聞いて、クラスメイト達は困り顔になった。
「やめとけよ。あいつはヤバいって」
「そうだよ。それにあいつ、誰ともつるむつもりなんかないし」
「でも、優しいところもあるよ。いつも僕に勉強教えてくれるし、この前の体育の時だって……」
「おい、お前らうるせえぞ」
突然声がしたので振り返ると、そこにはいつの間にか瀬戸くんがいた。
「あっ、瀬戸くん」
「やべ……」
クラスメイト達は逃げるように自分の席へ戻っていく。その様子を見て、僕は複雑な気持ちになった。
「ごめんね、騒がしくて」
「お前、あんま変なこと言うな。お前まで避けられるぞ」
瀬戸くんはため息をつきながら自分の席についた。
「俺がヤクザだのなんだの噂されてんのは知ってんだよ。下らねえ。お前は余計な心配すんな」
そう言うと彼は机に突っ伏してしまった。
瀬戸くんは自分が周りからどう思われているのか理解している。そして、それを仕方ないと受け入れてしまっている。
瀬戸くんの家にどんな事情があるのかは知らない。でも、みんなが言うような悪人だとはどうしても思えなかった。
「僕は瀬戸くんのこと友達だと思ってるよ」
瀬戸くんからの反応はない。だけど、聞いてくれていることは分かった。
その日の放課後はまっすぐ寮に帰り、机に向かった。
転校してそろそろ一ヶ月。一週間後には中間テストが控えている。瀬戸くんのお陰もあってだいぶ授業にはついていけるようになったが、転入後初のテストに不安があった。
やっぱり数学は苦手だ。公式を覚えても応用できない。今日授業でやったところだけでも復習しておこうと思い、教科書とノートを開く。
すると、先週瀬戸くんに教えてもらった箇所が目に入った。
『ここはこっちの公式を使え』
瀬戸くんの声を思い出し、頬が緩んだ。
「ん……」
気づいたら眠っていたようだ。時計を見るともうすぐ夕食の時間だった。慌てて体を起こすと、僕の背中にかけられていたものが落ちた。
「あれ、これ……」
それは見覚えのあるシャツだった。
「起きたのか」
ちょうど部屋に入って来た瀬戸くんと目が合う。お風呂に行っていたようだ。
「もしかして、これ瀬戸くんが?」
「ああ……」
瀬戸くんは顔を背けながら言った。
「風邪引かれたら迷惑だからな」
彼の不器用な優しさに思わず笑みがこぼれた。
「ありがとう」
僕がお礼を言うと、瀬戸くんは不機嫌そうな表情をした。
「何笑ってんだよ」
「ううん、なんでもない」
やっぱりみんなが言うような人ではないと思う。それから二人で食堂に行き、一緒に夕食をとった。
夕食の後は一時間ほど自由時間があり、その後は勉強時間になっている。僕は前の学校と授業の進み具合が違っており、少し焦っていた。得意な現代文や古文は何とかなりそうだが、理数系は苦手だ。数学は特に分からないところが多くて苦戦している。
まだ勉強時間の前だが、今日の授業の復習をしようと思い、教科書を開いた。しかしなかなか集中できない。
「うーん……」
ペンをくるくる回し、頭を抱えていると突然声をかけられた。
「おい」
顔を上げると瀬戸くんが立っていた。
「わっ! えっ!?」
突然のことに驚いていると、彼は不機嫌そうに舌打ちをした。
「お前、何やってんの?」
「えっと、勉強だけど……」
「こんな時間にか」
「うん。前の学校と違うから、ついていけなくて」
「ふーん……」
そう言うと瀬戸くんは机の上に置いてある教科書をじっと見据えた。
「どこだよ」
「えっ?」
「どこが分かんねえんだよ」
「あっ、えっと……これ」
分からないところを指差すと、瀬戸くんは僕のペンを手に取り、一つの公式に印をつけてくれた。
「これくらい自分で解けるようになれよ」
「ごめんなさい……」
僕は素直に謝りながらも驚いていた。まさか瀬戸くんが勉強を教えてくれるなんて思っていなかった。そして、このチャンスを逃すまいと思った。ここで少しでも親しくなっておかないと、今後ルームメイトとして関わることすら難しいかもしれない。
「あの、教えてくれてありがとう。助かったよ」
僕がお礼を言うと、瀬戸くんは目を丸くして顔を背けてしまった。
「瀬戸くんって勉強できるんだね」
「お前が馬鹿なだけだろ」
「す、数学が苦手なだけだよ!」
「どうだかな」
その後、勉強時間になると瀬戸くんは自分の机に向かった。そういえば、瀬戸くんは授業中こそ居眠りばかりだが、この時間はいつもちゃんと勉強している気がする。
「瀬戸くんって結構真面目なんだね。実はちゃんと授業聞いてるとか?」
僕が話しかけると、瀬戸くんは面倒くさそうにこちらを振り返った。
「あのなぁ……」
「ご、ごめん。邪魔したよね」
慌てて謝ったが、瀬戸くんは何も言わなかった。もしかしたら怒ったのかと思い、恐る恐る彼の方を見ると、瀬戸くんは机に向かいながら口を開いた。
「授業はつまんねえだろ。大体、教科書読めば分かるのにわざわざ説明聞く必要ねえよ」
「そ、そうかな……?」
大抵の人は教科書だけでなく、先生の解説を合わせて理解していくものだと思う。そもそもこの高校は偏差値が低くはないのだけど、もしかして僕が思っている以上に彼は頭がいいんだろうか。
「瀬戸くん、何の教科が好きなの?」
「……」
瀬戸くんは何も答えず、僕の顔をじっと見つめてきた。
「あ、あの……?」
戸惑っていると、瀬戸くんはゆっくりと口を開いた。
「お前、俺が怖くねえの?」
「えっ?」
「俺のこと他の奴らから聞いただろ。入学早々上級生と喧嘩して停学食らってるって」
「それはちょっとびっくりしたし、最初は怖いかもって思ってたけど……でも今は、ただ怖いだけの人じゃないと思ってるよ」
「……変な奴」
それだけ言うと瀬戸くんは机の方へ向き直った。僕はその様子を見て、胸を撫で下ろした。
良かった、嫌われてるわけじゃなさそうだ。
翌日の体育はバスケだった。二人組を作り、パスとシュートの練習をするよう指示されたが、僕はこれが苦手だった。こういう時はすでにみんな組む相手が決まっている。僕は一人取り残されて余ってしまうのだ。
今日もそうなるかと思ったのだが、今回は違った。
「おい、早く来いよ」
振り向くと、すでに準備万端といった様子の瀬戸くんがいた。
「えっ!? 僕でいいの?」
まさか声をかけてもらえるとは思っていなかった。驚いていると、瀬戸くんは眉間に皺を寄せた。
「嫌なら別に……」
「ち、違うよ! ありがとう!」
慌てて瀬戸くんの隣に行くと、ボールを手渡してくれた。
「お前どうせ余ってんだろ」
「あ、あはは……」
図星だがストレートな言い方に苦笑してしまった。
「俺あんま上手くねえぞ」
「大丈夫!」
いざ始めてみると、瀬戸くんの動きには無駄がなかった。フォームがきれいで、足も速い。
「すごいね、瀬戸くん上手い!」
思わず感心すると、瀬戸くんは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに無愛想な表情に戻った。
「お前は下手くそだな」
「あはは、そうだよね……」
確かに僕は運動神経があまり良くない方だが、そこまではっきり言われると傷つく。少し落ち込んでいると、ふと視線を感じた。瀬戸くんが僕の顔を見つめている。
「えっと……?」
戸惑っていると、彼は目を逸らして言った。
「お前、もうちょい頑張ればいけんじゃねえの」
「えっ、本当? ありがとう!」
励ましてもらえたのが嬉しかった。
その後も何度か繰り返しているうちに、あっという間に授業が終わってしまった。
「あー楽しかった! 瀬戸くんのおかげですごく上手くなった気がするよ」
「大袈裟だな」
瀬戸くんは呆れたように呟いたが、その口元はかすかに緩んでいたように見えた。
それからは少しずつ会話も増えていった。話しかけるのはいつも僕からだったけれど、最初は全く話してくれなかったことを考えると大きな進歩だと思う。
「瀬戸くん、また数学で分からないところがあって……ここなんだけど」
「あぁ? またかよ。ここはこうして……」
「なるほど! さすがだね」
「いちいちうるせえ」
相変わらず、ぶっきらぼうな態度は変わらないけれど。
「瀬戸くんって面倒見いいよね」
「お前の馬鹿がうつったら困るからな」
「ひどい!」
そんなことを言いつつも、彼は僕の勉強に付き合ってくれているし、分からない問題があれば丁寧に説明してくれる。やはり根は優しい人なのだと思う。
「瀬戸くんって昔から勉強できたの? 何かコツとかある?」
「だから、教科書読めば分かるっつっただろ」
「じゃあ元々頭の出来が違うのかな……実はご両親がすごく頭が良くて、その遺伝だったりして」
「それは……」
瀬戸くんは歯切れの悪い返事をして口を閉じてしまった。
「瀬戸くんの家族ってどんな人?」
何の気なしに訊いた途端、瀬戸くんの表情が強張った。
「あ……ごめん! 言いたくなければいいから!」
訊かれたくないことだったんだろうか。僕が慌ててそう言うと、瀬戸くんは机に出した教科書も片付けず、ベッドに寝転んでしまった。
「寝る」
「えっ、まだ九時半だけど」
「俺は疲れてんだよ。静かにしろ」
「う、うん……。おやすみなさい」
僕は自分の机に戻り、復習を再開した。瀬戸くんはこちらに背を向けたまま動かない。
家族のことは訊いちゃダメだったんだ……。気をつけよう。
「佐倉、瀬戸と一緒にいて大丈夫なのか?」
ある日の昼休み、佐伯くんから声をかけられた。瀬戸くんはまだ教室に戻っていない。
「あいつに脅されたり殴られたりしてないか?」
「そんなことされてないよ!」
「でもあいついつも怒ってるし」
「そうでもないけど……」
そこでふと、家族の話をした時のことを思い出した。
「あ、そういえば、家族のこと訊いたらちょっと怒らせちゃったみたい」
「あいつ怒らせてよく生きてたな」
「だから何もされてないってば」
「そういえば、家が金持ちらしいって噂は聞いたような……」
そんな話をしていると周りのクラスメイト達も会話に混ざってきた。
「あいつの家、ヤクザかなんかじゃねえの」
「金の力で裏口入学とか?」
「ありえるなぁ」
「あいつ頭いいらしいけど、テスト問題盗んでるだけなんじゃね?」
笑いながら話すクラスメイト達に僕は困惑していた。
「ねえ、そんな言い方しなくても……」
「えー、だってあいつならやってそうじゃん」
「佐倉も気をつけろよ」
「……」
クラスメイト達は瀬戸くんの根も葉もない噂話で盛り上がっている。胸の中にもやもやとした感情が渦巻いていく。
瀬戸くんのことを知らないくせに勝手なことばかり言っていることが許せなかった。僕は友達の悪口を聞いて黙っていられるほど大人じゃない。
「瀬戸くんのこと、悪く言わないで」
僕が反論すると、みんなは意外そうな顔をした。
「え、何で?」
「だって、友達なんだ」
「友達って……あんな奴と?」
「うん」
僕の言葉を聞いて、クラスメイト達は困り顔になった。
「やめとけよ。あいつはヤバいって」
「そうだよ。それにあいつ、誰ともつるむつもりなんかないし」
「でも、優しいところもあるよ。いつも僕に勉強教えてくれるし、この前の体育の時だって……」
「おい、お前らうるせえぞ」
突然声がしたので振り返ると、そこにはいつの間にか瀬戸くんがいた。
「あっ、瀬戸くん」
「やべ……」
クラスメイト達は逃げるように自分の席へ戻っていく。その様子を見て、僕は複雑な気持ちになった。
「ごめんね、騒がしくて」
「お前、あんま変なこと言うな。お前まで避けられるぞ」
瀬戸くんはため息をつきながら自分の席についた。
「俺がヤクザだのなんだの噂されてんのは知ってんだよ。下らねえ。お前は余計な心配すんな」
そう言うと彼は机に突っ伏してしまった。
瀬戸くんは自分が周りからどう思われているのか理解している。そして、それを仕方ないと受け入れてしまっている。
瀬戸くんの家にどんな事情があるのかは知らない。でも、みんなが言うような悪人だとはどうしても思えなかった。
「僕は瀬戸くんのこと友達だと思ってるよ」
瀬戸くんからの反応はない。だけど、聞いてくれていることは分かった。
その日の放課後はまっすぐ寮に帰り、机に向かった。
転校してそろそろ一ヶ月。一週間後には中間テストが控えている。瀬戸くんのお陰もあってだいぶ授業にはついていけるようになったが、転入後初のテストに不安があった。
やっぱり数学は苦手だ。公式を覚えても応用できない。今日授業でやったところだけでも復習しておこうと思い、教科書とノートを開く。
すると、先週瀬戸くんに教えてもらった箇所が目に入った。
『ここはこっちの公式を使え』
瀬戸くんの声を思い出し、頬が緩んだ。
「ん……」
気づいたら眠っていたようだ。時計を見るともうすぐ夕食の時間だった。慌てて体を起こすと、僕の背中にかけられていたものが落ちた。
「あれ、これ……」
それは見覚えのあるシャツだった。
「起きたのか」
ちょうど部屋に入って来た瀬戸くんと目が合う。お風呂に行っていたようだ。
「もしかして、これ瀬戸くんが?」
「ああ……」
瀬戸くんは顔を背けながら言った。
「風邪引かれたら迷惑だからな」
彼の不器用な優しさに思わず笑みがこぼれた。
「ありがとう」
僕がお礼を言うと、瀬戸くんは不機嫌そうな表情をした。
「何笑ってんだよ」
「ううん、なんでもない」
やっぱりみんなが言うような人ではないと思う。それから二人で食堂に行き、一緒に夕食をとった。