僕には友達が少ない。
 人見知りが激しいとか、コミュニケーションが苦手なわけではない。昔から親の転勤が多く、友達と仲良くなる前に転校してしまうことばかりだったからだ。
 ずっと友達でいようね、なんて約束をしたって、離れてしまえば人間関係を維持するのは難しい。子供心にそれは仕方ないことだと思っていた。
 そして高校に入学して四ヶ月、初めての夏休みを迎えたところでまた転校が決まってしまった。引っ越し先の高校の転入手続きは済んでおり、夏休み明けから通うことになっている。次は寮のあるところを選んだから、転校はこれで最後になるはずだ。
 今度こそ充実した高校生活を送りたい、そう決意した時にはまだ知らなかった。転校先で友達以上に大切な人ができることを。


 転校初日の朝、まず職員室に行くと担任の先生は渋い顔を見せた。
「実は、寮のことで話しておきたいことがあるんだ」
「え、まさか満室なんですか?」
「いや、空いてるんだが……同室者が、ちょっとな」
 この高校の寮は二人部屋だ。ルームメイトがいることは分かっていたけれど、何か問題がある人なのだろうか。
「同じクラスの瀬戸壱馬(せとかずま)と同室でな……少し困った奴というか、何と言うか……。まあ、もし何かあったら相談してくれ」
「はあ……」
 瀬戸壱馬。どんな人なんだろうか。少し不安になりながら自分のクラスへと向かった。


佐倉優弥(さくらゆうや)です。よろしくお願いします」
 ホームルームで先生に紹介され、簡単に挨拶をする。もう何度も繰り返していることだ。
 僕の席は窓際の後ろから二番目。一番後ろには、背の高い男子生徒が座っていた。少し長めの金髪に、両耳に光るピアス。ネクタイは締めておらず、第二ボタンまで開けたワイシャツは裾を出している。
 一言で言うなら、不良っぽい。真面目な生徒が多そうな教室内では一際異質な存在だった。
 見た目だけで判断するのは良くないけれど、正直苦手な雰囲気だ。でも、席が近いなら関わらずにはいられない。初日から色々と不安だな……。

 休み時間になると、クラスメイトたちが僕の周りに集まってきて質問攻めにあった。これもいつものことだ。答えられる範囲で答えていき、質問が途切れたところで後ろを振り返った。
「あの、名前教えてくれる? まだ聞いてなかったよね」
「……」
 彼はこちらを睨むように見つめた後、「瀬戸」と名乗った。名前を聞いただけなのに怖い……。
 そこで僕は今朝の話を思い出した。ルームメイトの名前も確か瀬戸だったはずだ。
「もしかして、瀬戸壱馬くん?」
 彼は僕を睨んだままこくりと頷く。やっぱり彼がそうなんだ。ますます関わらずにはいられないということだ。
「僕、寮も同室なんだ。よろしくね」
 そう言って手を差し出すが、彼は眉間に皺を寄せたまま僕の手に鋭い視線を向けるだけだった。予想はしていたけれど、いきなりこんな態度を取られると困ってしまう。
 ふと気づくと、先ほどまで僕を取り囲んでいたクラスメイトたちは自分の席へ戻っていた。
「あれ……みんなどうしちゃったのかな?」
「さあな」
 瀬戸くんはぶっきらぼうに答える。あまり人と関わるタイプではなさそうだ。この見た目だし、怖がられているのかもしれない。でもせっかく同室なのだから、少しでも仲良くなりたいと思った。
「ねえ、瀬戸くんは何が好き? 休みの日には何してるの? 僕は読書が好きで……」
「うるせえよ」
「えっ……」
「うるせえって言っただろうが! 話しかけんな!」
 突然怒鳴られ、つい固まってしまった。そんな様子にも構わず、彼は立ち上がり教室を出て行ってしまう。残された僕は呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。


 その日は午前中のホームルームだけで学校が終わった。明日からは通常の授業が始まるそうだ。
 僕は荷物の整理をするためまっすぐ寮に帰った。
 恐る恐る部屋のドアを開けるが、瀬戸くんの姿はなかった。とりあえず安心して中に入る。今日は荷解きをしなくてはいけないのだ。
 部屋にはベッドや机、収納が左右にそれぞれ備え付けられている。瀬戸くんは入り口から向かって右側を使用していた。思ったよりも整頓されている。万が一煙草臭かったりお酒の缶が捨ててあったりしたらどうしようかと思ったけれど、さすがにそこまで悪いことはしていないようだった。
 左側の机の上に教科書やノートを出し、クローゼットの中に服をしまう。一通り片付け終わったところで瀬戸くんが帰ってきた。
 瀬戸くんは僕の顔を見るなり舌打ちをした。
「そうか、今日からここに住むのか……」
「えっと……うん、これからよろしく」
 一応笑顔を作ってみるが、彼の表情に変化はない。そのまま無言で机に鞄を置き、すぐにまたドアの方へ向かっていく。
「またどこか行くの?」
「……風呂」
 会話を打ち切るようにドアが閉まった。
「お風呂……」
 この寮には共用の大浴場がある。まだ夕食前だが、混む前に入るということだろう。
 僕は彼がいないうちに残りの荷物を片付け、簡単に掃除を済ませた。散らかしたままでいると文句を言われそうだ。


 しばらくすると瀬戸くんが戻ってきたが、また無言で出ていってしまった。そういえばそろそろ夕食の時間だ。食堂に行ったんだろうか。
 僕も片付けと掃除でお腹が空いていたので食堂に向かうと、すでに多くの生徒が集まっていた。
 食事のトレーを受け取り、食堂内を見回して空いている席を探す。すると奥の方に一人で食事をとっている瀬戸くんを見つけた。彼の周囲だけ誰も座っていない。
 僕は意を決して彼に近づいた。
「あの、一緒に食べてもいい?」
「……勝手にしろ」
 瀬戸くんはそれだけ言うと黙々と食事を続けた。他の生徒たちの視線を感じる。やはり近寄りがたいと思われているようだ。
「いただきます」
 瀬戸くんの様子を伺いながら食べ始める。彼は相変わらずこちらに見向きもしない。
「あ、おいしい」
 思わず呟くと、瀬戸くんがちらりとこちらを見た気がした。
「……」
「……」
 会話がない。気まずい沈黙が続く。
 先に食べ終わった瀬戸くんは席を立ち、食器を持って返却口へ向かった。僕も急いで完食し、それを追いかける。
「よかったら部屋で話さない? ほら、まだお互いのことよく知らないしさ」
「話すことなんてない」
 瀬戸くんは一言で切り捨てた。
「でも……」
「うるせえ」
 瀬戸くんは冷たい目で僕を一睨みし、そのまま去っていった。
 結局その日はそれ以上話しかけることはできず、消灯時間まで会話はなかった。


 翌朝も瀬戸くんは無言で、挨拶も無視されてしまった。仲良くするのは諦めた方がいいのかな? でもこれから卒業まで二年以上、正当な理由がない限り寮の部屋が変わることはない。それならなるべく穏便な関係を築きたい。
 授業が始まると、彼は早速居眠りを始めた。先生に注意されても全く動じず、逆に先生の方が困っているようだった。
 昼休みになると、瀬戸くんは一人教室を出ていった。僕は前の席の佐伯くんに誘われ、学食で昼食をとっていた。
「佐伯くん、瀬戸くんってどんな人?」
「見たまんまだよ。あいつ、入学式の日に上級生と喧嘩騒ぎ起こして停学になってるんだよ。それ以来ずっとあんな感じ」
「そうなんだ……」
「佐倉、あいつと同室なんだろ。大丈夫か?」
「あはは……なんとか仲良くなれたらいいんだけどね」
「無理だと思うけどなぁ……。俺の部屋、隣の隣だから何かあったら逃げてこいよ」
 瀬戸くんが教室に戻ってきたのは午後の授業が始まる直前だった。彼は無言のまま僕の横を通り過ぎ、自分の机に向かっていく。その後も放課後まで話しかけることはできなかった。