「次、ピアノの伴奏者、誰かピアノ弾ける人いませんか?」
中野さんがさっきよりもほんのわずかに明るめの声で教室に問いかけた時、千枝が「涼音、ピアノやってよ~」と少し離れた席から私の方をみた。
「私!?」
まさか自分の名があがるとは思っていなくて、確かめるように自分を指さす。
すると千枝は「うん、だってピアノ弾けるじゃん」とあっけらかんと言い放った。
「絶対に無理!」
激しく首を左右に振る。
「どうしてー? この前も駅に置いてあるピアノで弾いてくれたじゃん」
「あれは千枝が『どうしても』って言ったからでしょ!」
「泉本さん、どうですか?」
首を傾げる中野さんに「本当に弾けないです」と立ち上がりながら、真っ直ぐ彼女を見つめて答える。
「えー、涼音、ピアノ上手じゃん」
「千枝!」
「もし弾けるのなら、やってくれるととても助かるんだけど……」
期待が込められた眼差しを拒むように、もう一度私は首を左右に振る。
「私より適任者がいるはずです。ほら、えっと、あ、狭山くん! 去年伴奏していたよね!?」
「えっ……」
名指しされた彼は、こっそりと読んでいたであろう手元の文庫本から私に視線をうつした。
目が合った後、俯くと、彼は弱々しく首を振った。それはもう、「巻き込まないでくれ」と言いたそうに。
……さすがにここまで迷惑そうな顔をされると、頼めない。引き受けたくない気持ちは十分すぎるほどわかるし。
「それなら、他に、うーん、」
伴奏経験者を探そうと教室をぐるぐる見渡していると、「泉本」と陶山に呼びかけられる。
「もういいじゃん。一緒にやろうぜ」
「ええ、陶山……」
陶山だって嫌々引き受けたんだから、陶山だけは私の味方してほしかったのに。
「他にピアノ弾ける奴いなさそうだしさ。一緒にやろうぜ」
「いや、私、そもそももうピアノのレッスン受けてないの。素人が演奏するわけにはいかないでしょ?」
「弾けるんだから素人ではないじゃん。それに昔はピアノ習ってたんだろ? 腐れ縁同士、一緒に頑張ろうぜ」
「では、ピアノは泉本さん、お願いします」
中野さんは私と陶山のやりとりに自然に入ってくると、満面の笑みを私にみせる。
「ええ、そんなあ……」
困るんだけど、と呟いた声は、次は自分に向けられた拍手の音でかき消された。