「……それでもいいです」
「泉本さん」
「それでもいいんです。私はやっぱり、あちらの世界へ行きたい」
私の言葉に、なぜか鈴木さんは苦しげな表情を浮かべた。それから強い口調で「よく考えてください」と続ける。
「あちらの世界へ移り住むことが、何を意味するかわかっていますか。こちらでの生活や交友関係を捨てるだけじゃない。自分の両親と会えなくなることがどれほど辛いか、きちんと考えましたか」
二度と、会えない。
明るくてお茶目なお母さんと、口数は多くないけれど温厚で寛容なお父さん。
二人に、二度と、会えない。
この一ヶ月間、二人はどんな生活を送っていたのだろう。二人の間にはきっと子どもがいないことになっていて、その生活はどのようなものだったのだろう。
幸せな時間を過ごせていたのだろうか。変わらず明るく食卓を囲んでいたのだろうか。
「あちらの世界へ行ってしばらくの間はとても楽しいと思います。人生をやり直せたような気持ちになり、前向きに生きられるでしょう。でも、ふとした瞬間ー…例えば、移住して数年が経ち、誰かと結ばれて家庭を持ったとしましょう。子どもを授かって自分が親になり、自分の両親のことを思い出しても、両親が今も元気で生きているのか、どんな生活をしているのか、知ることができないんですよ。もう二度と会えない。記憶だけが残っている。相手を気にするだけで何もできない。それがどれほど辛いことなのか、想像してください。そしてしっかり考えて決断をしてください」
鈴木さんの語りに気圧される。これほど真剣な鈴木さんを今まで見たことがなかった。
「衝動的に決断をするのは絶対に良くない。しっかり考えて、答えを出してください。今衝動的にした決断は、絶対に後から後悔と迷いをつれてきます。それは想像以上に苦しい。あの時に正した決断が正しかったのか、生きている限り、永遠に考え続けなければいけないのですから」
「……『会いに来る』って」
消えそうな声で放つ。こんな時にでも、それともこんな時だからだろうか。彼の優しい笑みが頭いっぱいに浮かぶ。大丈夫だよ、苦しい時は一緒にいるよ、そう言ってくれた、彼の笑顔が蘇る。
「『会いに来る』って言ってくれたんです。『絶対に会いに来るから』って……約束してくれたんです。私は彼がしてくれた約束を、どうしても信じたい」
せめて同じ世界にいたい。
本当は、『行かないで』と言いたかった。『そばにいて』と言いたかった。
それを言えなかったのは、そもそも私自身がその未来を叶えられるかどうかが不確かだったから。もし私があちらの世界へ残れなかった時、戻ることができなかった時、私の勝手で彼の人生を狂わせてしまう。だから叫びたかった言葉をグッと堪えた。
「彼と会えないことを、自分の”未来”にしたくないんです……」
胸が張り裂けそうなほど恋しい。
どうしても会いたい。会うのを諦めることなんてできない。
じわりと鈴木さんの顔が滲む。目の奥が熱い。
