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「鈴木さん、また”訳あり”をスカウトしたって本当ですか?」
1日の仕事を終えてデスクに戻ると、同じチームにいる男性社員が、パソコンから顔をあげた。
入社2年目の若手の彼は、「課長から聞いたんですけど」と付け加えた。
「”訳あり”って。体験に参加してくれそうな人に声をかけただけだよ」
「でも今日スカウトした彼女、”訳あり”じゃないですか」
彼の言いたいことはわかったから、それ以上は何も言わないでおく。
「まあまあ、いいじゃん」
どこからかやって来た課長は、労いの言葉と共に、机の上にコーヒーを置いてくれた。
決して高くはない、そして味も洗練されていないコーヒー。
入社したての頃は、正直好きな味ではなかった。
でも20年近く飲み続けると、美味しいかどうかは別にして、味と香りに心が安らぐ。
「俺も営業に出ていた時は、きみが言う”訳あり”のような人にいっぱい声をかけたよ。やっぱりさ、急に『もう一つある別の世界に行ってみませんか?』って問いかけても、普通の精神状態の人は断るでしょ。何かから逃げたい人とか、生きるのが疲れてしまった人とか、マイナスな感情でいっぱいの人の方が受諾率は高かったりするんだよね~」
「……私は、そういう理由で声をかけている訳じゃないですけど」
静かに、けれどキッパリとした声に、入社2年目の男性社員は気まずそうな顔をした。
一方で課長は「わかってるよ~」と穏やかに流す。
「いずれにせよ、今月もスカウト数のノルマは一番で突破だね。後は、被験者たちのフォロー、よろしく」
背中を叩く課長に、「はい」と返事をする。
「それにしても、鈴木さん、ちょっと変わってますね」
若手社員は、先ほど自分に感じた気まずさを忘れたのか、失礼ともとれる言葉を放つ。
彼の性格上、この言葉に悪意がないことはわかっているけれど、まあ、だからといって、気分を害さないわけではない。
マイナスな感情を抑えながら「何が」と尋ねると、彼は写真立てを指差した。
「普通、お子さんの写真とか、家族の写真を置きませんか? 両親の写真を置いている人、きっと鈴木さんだけですよ」
「そう?」
「はい、絶対そうです」
彼がどうしてそれほど自信満々に”絶対”と言い切れるのかがわからなかったけれど、確かに言われてみれば両親の写真を飾っている人は少ないかもしれない。
「そうか、そうかもな」と返すと「でしょう?」と彼は大きく頷く。
「どうしてご両親の写真なんですか? すごく尊敬しているとか?」
「……初心を忘れないためかな」
「初心?」
首をかしげた彼に、
「ほら、もういいだろ。一昨日お願いした資料、できた?」
「あ、すみません、今最終チェックしているので、終わり次第すぐに送ります!」
彼はもう一度「すみません!」と大きな声で謝ると、自分の座席へ戻っていく。
机の上に置いた両親の写真を数秒間見つめた後、今日のスカウトに関する報告書を作成するために、机の引き出しからパソコンを取り出した。
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