高校に入って間もない頃、普通科にとんでもなく可愛い女子生徒がいると忽ち噂になった。それが、律子だ。

当時図書委員だった律子を一目見たいがために図書室に通った男子生徒はきっと数が知れないと思う。

かく言う俺も最初はその中のひとりに過ぎなかった。


花が咲いたような愛らしい笑顔を向けられた時にはもう恋に落ちていて、その細い指に触れた時には多分もう、愛していた。



「拓《たく》くん、あのね」


小さな手が俺の服をきゅっと掴む。

次に口にされる言葉がなんとなく分かってしまって、律子を抱き締める腕にいっそう力が篭った。



「赤ちゃん、できたよ」


なんとなく、律子の最近の様子を見てそうじゃないかとは思っていた。けれど実際にその言葉を聞くと、ずしりと心臓に重く伸し掛る何かを感じた。

嬉しくないわけが無い。

でも、三十五歳になった俺は、その報せを聞いて、手放しで喜べなくなってしまった。


約三年前にも、律子から同じ言葉を聞いた。

なかなか子宝に恵まれなかった俺たちにとって、それは数年の治療を経て、三回目の体外受精でようやく手に入れた小さな命だった。

当時の俺は、分かりやすく浮ついていたと思う。年甲斐もなくはしゃぎ、騒ぎ立てては、新しい命の誕生を心底 楽しみに待っていた。



「今すぐ病院まで来てください」


律子のかかりつけの産婦人科からそんな電話が掛かってきたのは、お腹の子供が安定期と呼ばれる五ヶ月を迎えた直後だった。





《《%color:#d6d6d6|男の子かな、女の子かな、拓くんはどっちだと思う?うーん分かんねえけど、もし男の子だったら一緒にキャッチボールしてえな。え、拓くん、サッカー部だったのにキャッチボールできるの?》》
《《%color:#d6d6d6|できるできる、ヨユー。ふふ、それは見てみたいなあ。もし女の子だったら、きっとこれでもかってくらい甘やかして、律子に怒られそう。うん、私も、そんな気がする。》》




律子と交わした言葉達が、まるで走馬灯のように頭の中を流れていく。まだ見ぬ我が子を想像しては待ち遠しくてたまらない気持ちを抱えながら過ぎていった一日一日が、スローモーションのように脳裏を駆け巡る。

地に足がついていないような状態のまま、病室のドアを開ける。

その先、白いベッドに横たわっていた律子は、俺を見て力なく笑った。


「拓くん、ごめんね」