この春の佳き日に、 ――私はもう、決めたのだ。



「朔《さく》、これD2卓」

「はい」

「愛想よく持って行けよ」 

「はいはい」

「はい、は一回」

 子供のような叱られ方に眉間に皺がぎゅっと寄る。カウンターの鉄板で作られた豚玉を提供用の大きなコテで持ち上げようとした時だった。


「――朔さん」

「うわ!?」

 動きを阻止するかのように、隣から顔を覗き込まれて大きな声が漏れた。肩がすくみ上がって、慌てて距離を離す間にも既に心臓が大きく鳴っている。

「急になんですか…危ない」

 カウンター席に座る男は、頬杖をついて反省の色無くこちらに笑いかける。傷みを知らない黒髪はアップバングにセットされ、襟足はすっきりと整う。切れ上がった三白眼に真っ直ぐ伸びた鼻梁を視界におさめると風貌について浮かぶ感想は「綺麗」が最もしっくりくる。骨張った手が、目の前の鉄板を徐に指差した。


「僕の鉄板の上、何も食べる物がありません」


 ゆったりと唇に笑みを乗せる男は、それが心からのものか相変わらず掴みにくい。落ち着き払った声で告げられて「知らんがな」と感想が口から出て行くのをなんとか留めた。

「だ、だから…?」

 躊躇いがちに問いかけると、今度は眉を顰めて盛大な溜息を落とされる。

「「次何かご用意しましょうか」でしょ。朔さん接客ゼロ点ですね」

「あーはいはいごめんなさい。ご注文は」

 店員として粗雑な態度になった自覚はあるにしろ、この男に関してはもう良い。私がエプロンのポケットから伝票を取り出す間もクスクスと笑っている失礼な客だ。

「春キャベツの梅おかか和えをください」

「…鉄板焼き料理じゃないし」

「だってほら、おすすめされたので」

 男は、今度はメニュー表の裏を指差して愉悦の溶けた表情でこちらを見る。

「勝手に読まないでください」

「いや、掲載しといて何言ってるんですか。ツンデレ?」

「普通、誰もそんなところ読みません」

「僕はいつも楽しみにしてますよ」

「…店長、オーダー入りました」

 男が真っ直ぐに伝えてくれる言葉から逃げるように、今度こそちゃんと豚玉を持ってその場を立ち去った。