「…え、お前なんでここにいんの」

「それはこっちのセリフなんだけど?」


 午後七時五十五分。今年はひとりでマンションから花火を見ようかと、ベランダの柵に体を預けた時だった。隣のベランダから聞こえてきた、ここにいるはずのない男の声に、思わず息を呑んだ。


「大翔、あんた彼女は?ラブラブな彼女と花火を見に行くんじゃ…」


 喋ってる途中でハッとした。まさか直前にフラれた?いや、それならまだいいけど、もしかしてここで彼女と見る感じ?もう彼女を親に紹介しましたって?

 なにそれ、地獄。


「…私に自慢してやろうって?悪趣味だわ」

「は?さっきからなにブツブツ言ってんだよ。つかお前こそ彼氏はどうした」

「…え?」

「え?じゃねえよ。最近出来た彼氏と花火見に行くって、お前のカワイイ弟がご丁寧に報告してくれたぞ」

「待って、なにそれ」


 この男、さっきから何言ってんの。私に彼氏?弟が報告?意味が分かんない。


「ねぇ、私彼氏なんか出来てないけど。てか私はあんたに彼女が出来たって弟から聞いて…」

「……やられたな」


 俺も出来てねーよ。そう呟きながら深い溜息を吐いた大翔の横顔を見て、そこで初めて弟に騙されたことに気付いた。

 あの馬鹿男、何でわざわざそんな嘘をついたの。ちなみに当の本人は、先程ちゃっかり“彼女と花火大会に行ってくる”とドヤ顔で家を出ていった。


「お前の弟、生意気過ぎんだろ」

「…すみません」


 眉を寄せる横顔を見て、思わず謝罪の言葉を零す。うん、これは後でお仕置きコースだわ。

 でも、大翔に彼女がいないと分かった瞬間、弟への怒りよりも安堵が勝った。数分前まで生きた心地がしなかったのに、それが一瞬にして消えてしまった。

大翔のたった一言で、私はこんなにも左右されてしまう。私は一体、どれだけこの男に惚れているのだろう。

 もうこれは、今日絶対に気持ちを伝えるしかないと思う。二度と同じ思いをしないためにも。


「…ねぇ大翔」


 残念ながら、浴衣姿で会場に行くことは出来なかったけれど。神様どうか“花火大会で告白したら、成功率高いらしいよ”というジンクスを、ベランダでも有効にしてくれませんか。


「なに」

「…えっと…その…あ、あんたに彼女なんて出来るわけないよね!」

「は?」


 間違えた。完全に余計なこと口走った。変に意識して緊張しちゃった。でも冷静に考えて、今更真面目に告白なんて出来ないんだけど。だってそれが出来てたら、とうの昔にしてたと思うし。

 てことで、今日も絶対無理。“好き”なんて死んでも言えない。


──でも、繋ぎ止めておくことなら出来る…かな。