そもそも、伊月たちのいうあやかしとは、妖怪とか物の怪とか幽霊とか、そういう不思議な存在のことらしい。
 だいたいのあやかしは人間の目に留まらないように大人しくしているが、中には妖術を使って悪さをする奴もいる。陰陽師は、そんなあやかしに対抗する力がある。
「狐の姿をしたあやかしを総称して妖狐(ようこ)と呼ぶんだ。九尾はその妖狐の中で――いや、あやかし全体の中で、最も強大な力を持つ。……幸太郎くんは、古代の中国や日本に現れた九尾の狐の話を知ってる?」
 俺が首を横に振ると、伊月はかいつまんで説明してくれた。
 はるか昔、中国で妲己という美女が王を惑わし、国が乱れた。一方、平安時代の日本では玉藻前という女が宮中に現れ、その美しさで治世が混乱に陥った。
 妲己や玉藻前の正体は、九つの尾を持つ狐……九尾だと言われている。
「ん、九尾って女なのか? ゆうべは男に見えたんだけど」
 俺は屋上で見たイケメンを思い浮かべた。
「男でも女でも、九尾なら自由自在に姿を変えられる。奴の目的は、世の中を乱すことだ。平安時代、玉藻前に化けていたその九尾と対峙したのが陰陽師さ。正体を見破られた九尾は『殺生石』という大きな石に姿を変えた。その石は今の栃木県に飛んでいって、丁重に祀られたんだ。九尾は祈祷の力で動けなくなっていたんだけど……」
 そこまで言うと、伊月は胸ポケットからスマホを取り出して俺に見せた。液晶画面には、真っ二つに割れた岩の写真が写し出されている。
「少し前、その殺生石が割れた。風化が原因と言われている。多分そのせいで、九尾を縛り付けていた力が弱まったんだと思う。石が割れると同時に、あいつは再び世に解き放たれた。……そしてゆうべ、この高校に現れた」
 つまるところ、あのイケメンは最強かつ最凶。どうやら俺は、とんでもない奴に呪いをかけられちまったらしい。
 ――このままでいけば、俺は狐になる……のか?
 絶望感が足元から駆け上がってくる。だが、それが全身に回る前に、伊月が力強い声を発した。
「大丈夫だよ、幸太郎くん。君にかけられた呪いは、僕が必ずなんとかする」
「なんとかって……何か策があるのかよ」
 伊月の大きくて澄んだ瞳を見つめ返しながら、俺はおずおずと問う。
「ゆうべ家に戻ってから、遠くに行っている祖父に連絡を取ってみたんだ」
「おお、そういや、伊月のじいちゃんも陰陽師だったよな。今は修業か何かに行ってるのか? どうやって連絡を取ったんだ。もしかしてあれか。式神!」
 おふくろと見た映画で、陰陽師は式神という使い魔みたいなのを自由自在に使いこなしていた。
 めちゃくちゃカッコよかったな、あれ! 想像すると、一気にワクワクしてくるぜ。
 しかし伊月は、やや前のめりになった俺とは裏腹に、顰め面で肩を落とした。
「いくらなんでも、そんなフィクションみたいなことはしないよ。普通に電話をかけたんだ。僕も祖父もスマートフォンを所有しているからね。……それに、祖父は修業をしにいったんじゃない。仲のいい氏子さんと温泉旅行に出かけただけだ。昨日もかなり楽しんでいたみたいだよ。景色や食べ物の写真をSNSに上げてた」
 スマホやらSNSやら。飛び出した現実的なワードに、俺の中に漠然とあった『カッコイイ陰陽師』のイメージがガラガラと崩れていく。
 そんな俺を、伊月は小馬鹿にしたような目で見つめたあと、ふっと一つ息を吐いて真顔になった。
「とにかく、電話で祖父に幸太郎くんのことを伝えた。すぐ東京に戻ってきてくれるって。……でも結局のところ、呪いを解く方法は二つしかないと言われたよ」
「二つって?」
「一つは、九尾を退治すること。呪いをかけたあやかし自体が滅びれば、その力もなくなる」
「もう一つは?」
「九尾自身に解呪してもらうんだ。残念だけど、九尾に勝てる陰陽師はそうそういないよ。だから、九尾を説得して呪いを解かせる」