「朝見幸太郎くん、落ち着いてくれ。僕がなんとかする」
 心が崩壊する寸前、力強い声で現実に引き戻された。傍にいた倉橋伊月が、引き締まった表情で俺を見つめている。
「なんとかするって……どうやって」
「僕が、君にかけられた呪いを弱める。ただ、あくまで応急処置、だけど」
「そんなことができるのか?! なら、やってくれ!」
 そういえば、こいつは陰陽師だとか言ってたな。かなり胡散臭いけど、どうにかしてくれるならそれでいい。応急処置だろうが何だろうが、今は縋るしかない。
「なぁ、倉橋伊月。なんとかしてくれ。頼む!」
「分かった。分かったから焦らないでくれ、朝見幸太郎くん。……それから、僕のことは伊月と呼んでくれていいよ。いちいちフルネームだと、長いだろう」
「なら、伊月も俺のこと、幸太郎って呼べよな。……で、俺は何をしたらいい。どうやったら、この耳と尻尾が引っ込むんだ」
「幸太郎くんは、何もしなくていい。ただ、身体の力を抜いてくれ」
「……こうか?」
 俺は言われるまま、両手をだらりと下げた。目を瞑った方が力がより抜ける気がして、瞼も閉じる。
 しばらくそうしていると、ふいに俺の背中に二本の腕が回った。そのまま、じわじわと力が籠められていく。
 ……ん?
 俺、今、思いっきり抱き締められてねぇ?
「お、おい、伊月!」
 慌てて閉じていた瞼を開いた瞬間、耳元で囁かれた。
「ごめん、幸太郎くん。じっとしてて。僕の『気』を君に注入しているんだ。こうすれば、呪いの力が抑えられるから」
「お、おう……わ、分かった」
 俺は再び目を瞑った。
 背中に回る腕の感触で、どれだけ強く抱きしめられているか把握できる。ピタリと合わさった胸板から、伊月の温もりが伝わってくる。
 なんだか妙に心地がよかった。許されるなら、このまま眠ってしまいたくなる……。
「幸太郎くん。耳と尻尾、引っ込んだよ」
 しばらくして、身体が解放された。
 俺は咄嗟に頭の上に手をやった。さっきまで生えていた三角の物体は、跡形もなく消えている。もちろん、チノパンの中ももたついてない。
「おお! すげぇじゃん! 助かったぜ伊月」
 安堵のあまり、俺は小躍りしそうな勢いだった。だが伊月はふるふると(かぶり)を振って、神妙な顔をする。
「いや、たいしたことないよ。これはあくまで応急処置だ。効果は長続きしない。……陰陽師の仕事に幸太郎くんを巻き込んだせいでこんなことになって、ごめん」
「そんな。謝るなよ。俺が勝手に伊月たちを追いかけたんだ」
 俺は、頭を下げようとする伊月を止めた。こいつは全然悪くない。制止を振り切って無茶をしたのは俺だ。
 伊月は肩を竦ませて、ぽつぽつと話し出した。
「僕の力はここまでだけど、先代の陰陽師……僕の祖父なら完全解呪の方法を知っているかもしれない。ただ、祖父は今、ちょっと遠くに行ってるんだ。対応策が見つかる前に、十中八九、応急処置の効果が切れる」
「効き目が切れたらどうするんだ?」
 俺が首を傾げると、伊月はふっと溜息を吐いた。
「もう一度応急処置をして凌ぐしかない。僕の気を入れ直すんだよ。――さっきみたいなやり方で」
「……えっ?」
 校舎の周りを囲む豊かな樹々の向こうに、東京タワーと六本木ヒルズが聳えている。
 大都会のオアシスみたいなこの場所で、俺はただ、奇妙な格好をしたクラスメイトを呆然と見つめるしかなかった。