「そんな……」
 俺はがっくりと肩を落とした。
 伊月は難しい顔つきで腕を組む。
「だったらやっぱり九尾を説得するか……あるいは退治するしかないね、お祖父ちゃん」
「そうじゃな、伊月。まずは九尾の居所を探るのが先決じゃ。ゆうべ一緒にいたという野狐は、今どこにおる。奴から話を聞き出せ」
「野狐なら、ちゃんと連れてきたよ。『ここ』に入ってる」
 傍らに置いてあった通学用のリュックから、伊月は白いカプセルを取り出した。機械にコインを投入してガチャガチャ回すと出てくる、あれだ。
 伊月曰く『あやかし封印カプセル』。カプセルトイの中身を抜き、外側に陰陽師の術を施して作った代物で、力の弱いあやかしを封じ込めておくことができるらしい。
 それを床に置くと、伊月は人差し指と中指を立てて軽く念を送った。たちまちカプセルがパカッと開き、中から煙がもくもくと湧いてくる。
 一緒に、白い狐も飛び出してきた。
「……!」
 俺と伊月と玄以じいちゃんに囲まれた野狐は、その場でわなわなと震えていた。
 すっかり怯えちまってるな。こうやって見ると、子犬とたいして変わらない。
「狐の姿のままじゃ話ができんのぅ。どれ、儂が口をきけるようにしてやろう」
 玄以じいちゃんはふいに片手を上げ、指をパチンと鳴らした。ぽんと音がして、野狐の身体は再び煙に包まれる。
 視界が晴れたとき、そこに立っていたのは小さな男児だった。見たところ五、六歳で、藍色の着物姿だ。Tシャツかなんかを着せれば、そこら辺にいる普通の子供と何ら変わりはない。
 ……頭にぴょこんと、狐の耳が生えていること以外は。
「もしかして、こいつ、野狐なのか」
 俺が男児を指さして問うと、玄以じいちゃんは頷いた。
「そうじゃ。儂が術をかけた。人の姿に変えれば、こやつと話ができる。……おい、野狐。お前さんは、九尾の手下じゃな」
「……うぅぅ、そうだけど、おいら、何も知らないよぉ」
 子供の姿になった野狐は、今にも泣きそうな声を出した。まだ怯えてるみたいだ。
「野狐。ひとまず、分かることだけでいいから話すんじゃ」
 玄以じいちゃんは少し優しい顔で声をかける。伊月も「ここに座りなよ」と言って、座布団を勧めた。
 野狐はようやく身体の震えを止めて、ちょこんと腰を下ろす。
「九尾さまがおいらを手下にしてくれたのは、ほんの少し前のことなんだ。だから、あんまりよく知らない。ゆうべ別れたあと、どこに行ったかも分からないよ」
 野狐はもともと、都内の雑木林で大人しく暮らしていたそうだ。だがそこが切り開かれて住宅地になったため、流れ流れてこのあたりに辿り着いた。
 狸穴は昔からあやかしが集まる場所だ。どうもそういう『気』が漂っているらしくて、他より住みやすいみたいだな。
 ようやく落ち着ける場所を見つけた野狐は、雑木林にいた頃と同じく、人とあまり関わらないように過ごすつもりでいた。
 そこに現れたのが、あいつ――九尾だ。
「腹が減って夜中にうろうろしてたら、九尾さまと会った。九尾さまも、最近このあたりに来たんだって」
 野狐の話を聞いて、玄以じいちゃんが渋い顔になった。
「殺生石が割れて、九尾が解き放たれてしまったんじゃ。まさかこの地にやってくるとは……」
「おいらを見た九尾さまは、夜中もやってる店に入って、中にいた人間を眠らせて、棚から食べ物を取ってきた。それをおいらに渡したあと、言ったんだ。『大人しくしている必要はない』って。『人間どもに、あやかしの力を見せつけてやればいい』って……」
 夜中もやってる店というのは、コンビニのことだろう。九尾の奴、そこで術を使って、商品をまんまとくすねたんだな。
「九尾さまは、おいらを手下にしてくれた。一緒にいたのは月が三回昇る間だけだったけど、隣に立ってるだけでものすごく強いあやかしなんだって分かった。その九尾さまに『お前も力を見せてみろ』って言われて、おいら、なんかその気になっちゃって……。ゆうべ、そこの兄ちゃんが持ってたものを奪ってやろうと思ったんだ」
 野狐がグローブを持ち去ろうとしたせいで、俺は九尾の呪いを受けちまった。
 絶対に許せん……そう思っていた。
 ついさっきまでは。
「ごめんなさい。おいら、悪いことをした。きっと、陰陽師の兄ちゃんに退治されちゃうんだよね……。覚悟はできてるよ。でも、痛くしないで」
 野狐はぎゅっと目を瞑った。小さな身体と頭の上に生えた白い耳が、ぷるぷると震えている。
 うわ……いくらあやかしとはいえ、こんなに小さいのをどうこうするなんて無理だ。それに、野狐は十分反省してるじゃん。
 俺はあわあわしながら、伊月と玄以じいちゃんを見つめた。二人は一瞬目を合わせ、玄以じいちゃんの方が先に口を開く。
「野狐。今後大人しくしているなら、儂らはお前さんを退治したりしないぞ」
「え、ほ、本当かい」
 おそるおそる尋ねた野狐に、伊月も頷いてみせた。
「本当だよ。僕の役目はこの狸穴の地を守ることで、無暗にあやかしを狩るつもりはない。人とあやかしは、共存できると思ってる」
「分かった。おいら、もう悪戯しない! だから……許して」
「幸太郎くん。野狐はこう言ってるけど、君は許す?」
 伊月に聞かれ、俺はすぐさま首を縦に振った。
「もちろん許す! 許すに決まってるじゃん」
「人間の兄ちゃん。ありがと。ほんとにごめんなさい」
 野狐は涙ぐんで、ぺこっとお辞儀した。そのあと、何かに気付いたようにハッと顔を上げる。
「そうだ。おいら、みんなに見せたいものがある」