家を出て三十分。渋滞に巻き込まれることなく、順調に会社へ到着した。車を降りて社内に入り、受付の女性に声をかけ、社長室を目指す。道中、同じ会社に所属する年下のタレントやアーティスト数名とすれ違ったが、俺に挨拶しないどころか、視線も合わせなかった。先輩にあたる人へは俺から挨拶したが、返事は聞こえなかった。
社長室に来るのは、脱退したいことと、同性愛者であることを伝えに行ったあのとき以来。五人で行ったときとはまた違う独特の緊張感が、身体を縛り付けていく。エレベーターを降りると、すぐそこに社長秘書の向田さんが背筋を伸ばした状態で立っていた。
「お待ちしておりましたよ、米村さん」
「向田さん、こんにちは。社長いらっしゃいます?」
「はい。中で米村さんのことを、首を長くしてお待ちだと思いますよ」
「なら急がないとですね。ありがとうございます」
向田さんが社長室の扉をノックし、俺が到着したことを伝える。そして笑顔で「私はここで失礼します」と言って去っていった。
「十三時に約束をしていた米村咲佑です」
「はいはい。まぁ中入って」
「失礼します」
モデルのようなポージングをしながら、鏡越しに俺のことを見てきた。頭にはお洒落な眼鏡が乗っている。
「お久しぶりです、社長」
「久しぶりだな。あのとき以来だもんね」
「はい。脱退後に挨拶もせずに、すいませんでした」
「問題ありませんよ。そんなことより、事件の話を聞かせてもらってもいいかい?」
社長は俺が巻き込まれた傷害事件に興味があるのか、前のめりな姿勢になっていた。俺は答えられる範囲の内容を伝え、社長はその度に同情しながら相づちを打つ。社長の優しさを、身をもって感じられた瞬間だった。
「本当、ご迷惑をおかけしました」
「あー、いいのいいの。まぁ物騒な世の中になってるんだから、気を付けるんだよ」
「ありがとうございます」
俺の肩に社長の手が乗る。社長からは爽やかなソープ系の香りがした。
「話は変わるんだが、昨日電話で言ってたことなんだが、咲佑にプラスになる仕事がある。聞くか?」
「はい。聞かせてください」
「分かった。まぁソファに座って。じっくり話そうじゃないか」
社長の目は、俺に対して何か言いたげな感じだった。
「じゃあ、まずは仕事の話から」
まずは、といいうのは違う話もあるのかと疑問に感じつつも、俺は社長から仕事に関する話を聞いた。話を進めていく中で、社長は俺よりもなぜか嬉しそうな表情を浮かべていた。この数十分の間で、俺は社長の色んな一面を垣間見ることができたような気がして、なんだか得した気分だった。
社長のお喋り癖が炸裂し、仕事のことだけでなく、趣味や家族のこと、自慢話など様々聞かされたが、俺は愛想よくして過ごした。社長の話は短くてオチもちゃんとあるから良いが、終わりそうで終わらない校長の話を聞き続けている感覚だった。
まだ続きそうだった話も、向田さんが入って来て、「社長、そろそろ」という一声で終わりを迎えた。
「こんなに時間が経っていたとはな」
「そうですね」
「じゃあ、最後に俺から一つ、言わせてもらおうかな」
「はい」
「咲佑くん、これからは仕事のことを俺じゃなくて、マネージャー君に頼むんだよ? 今回はまぁ、事件のこともあったし、脱退してからのことも知りたかったから会ったけどね」
窓の外では、太陽がまだ燦燦と輝いている。その下を滑空していくカラスたち。大きく羽を広げていた。
「そうですよね。すいません。貴重なお時間をとっていただいて、ありがとうございます」
「うん。でもまぁ、実際のところ俺は咲佑のことが気になってる。マネージャー君に相談しづらい仕事があれば、いつでも話を聞くからな。社長からタレントに仕事を紹介するとか、こちら側から仕事を獲って来ることは異例だが、咲佑のためならやってあげてもいいと思ってるんだ。どうだね?」
目の前にあるコーヒーカップに手を伸ばす社長。俺は俯き考える。和田のことが頼れないわけでもないし、かといって社長がこう言ってくれるのなら、その話にのるべきなのかもしれない。悩みに悩んだ挙句、俺は曖昧な聞き返しをしてしまった。
「社長、また俺に会ってくれるんですか?」
コーヒーを口に含んだ社長は、喋らないで微笑みながら頷く。優しくされるのは嬉しい。でもきっと社長に恋愛感情を抱くことはないな。この先も。
社長室に来るのは、脱退したいことと、同性愛者であることを伝えに行ったあのとき以来。五人で行ったときとはまた違う独特の緊張感が、身体を縛り付けていく。エレベーターを降りると、すぐそこに社長秘書の向田さんが背筋を伸ばした状態で立っていた。
「お待ちしておりましたよ、米村さん」
「向田さん、こんにちは。社長いらっしゃいます?」
「はい。中で米村さんのことを、首を長くしてお待ちだと思いますよ」
「なら急がないとですね。ありがとうございます」
向田さんが社長室の扉をノックし、俺が到着したことを伝える。そして笑顔で「私はここで失礼します」と言って去っていった。
「十三時に約束をしていた米村咲佑です」
「はいはい。まぁ中入って」
「失礼します」
モデルのようなポージングをしながら、鏡越しに俺のことを見てきた。頭にはお洒落な眼鏡が乗っている。
「お久しぶりです、社長」
「久しぶりだな。あのとき以来だもんね」
「はい。脱退後に挨拶もせずに、すいませんでした」
「問題ありませんよ。そんなことより、事件の話を聞かせてもらってもいいかい?」
社長は俺が巻き込まれた傷害事件に興味があるのか、前のめりな姿勢になっていた。俺は答えられる範囲の内容を伝え、社長はその度に同情しながら相づちを打つ。社長の優しさを、身をもって感じられた瞬間だった。
「本当、ご迷惑をおかけしました」
「あー、いいのいいの。まぁ物騒な世の中になってるんだから、気を付けるんだよ」
「ありがとうございます」
俺の肩に社長の手が乗る。社長からは爽やかなソープ系の香りがした。
「話は変わるんだが、昨日電話で言ってたことなんだが、咲佑にプラスになる仕事がある。聞くか?」
「はい。聞かせてください」
「分かった。まぁソファに座って。じっくり話そうじゃないか」
社長の目は、俺に対して何か言いたげな感じだった。
「じゃあ、まずは仕事の話から」
まずは、といいうのは違う話もあるのかと疑問に感じつつも、俺は社長から仕事に関する話を聞いた。話を進めていく中で、社長は俺よりもなぜか嬉しそうな表情を浮かべていた。この数十分の間で、俺は社長の色んな一面を垣間見ることができたような気がして、なんだか得した気分だった。
社長のお喋り癖が炸裂し、仕事のことだけでなく、趣味や家族のこと、自慢話など様々聞かされたが、俺は愛想よくして過ごした。社長の話は短くてオチもちゃんとあるから良いが、終わりそうで終わらない校長の話を聞き続けている感覚だった。
まだ続きそうだった話も、向田さんが入って来て、「社長、そろそろ」という一声で終わりを迎えた。
「こんなに時間が経っていたとはな」
「そうですね」
「じゃあ、最後に俺から一つ、言わせてもらおうかな」
「はい」
「咲佑くん、これからは仕事のことを俺じゃなくて、マネージャー君に頼むんだよ? 今回はまぁ、事件のこともあったし、脱退してからのことも知りたかったから会ったけどね」
窓の外では、太陽がまだ燦燦と輝いている。その下を滑空していくカラスたち。大きく羽を広げていた。
「そうですよね。すいません。貴重なお時間をとっていただいて、ありがとうございます」
「うん。でもまぁ、実際のところ俺は咲佑のことが気になってる。マネージャー君に相談しづらい仕事があれば、いつでも話を聞くからな。社長からタレントに仕事を紹介するとか、こちら側から仕事を獲って来ることは異例だが、咲佑のためならやってあげてもいいと思ってるんだ。どうだね?」
目の前にあるコーヒーカップに手を伸ばす社長。俺は俯き考える。和田のことが頼れないわけでもないし、かといって社長がこう言ってくれるのなら、その話にのるべきなのかもしれない。悩みに悩んだ挙句、俺は曖昧な聞き返しをしてしまった。
「社長、また俺に会ってくれるんですか?」
コーヒーを口に含んだ社長は、喋らないで微笑みながら頷く。優しくされるのは嬉しい。でもきっと社長に恋愛感情を抱くことはないな。この先も。