凉樹が帰り際に声を掛けたのか、凉樹が出て行って数分後に看護師と医師が病室に入って来て、俺が運ばれたときの状態や治療内容の説明を受けた。
「あとね、熱中症にもなりかけてたよ」
「え」
「芝生の上で三十分強も仰向けになってたんだからね。仕方ないと言えば終わっちゃうけど」
「…、ですよね」
俺は笑うしかなかった。
「でもね、こうして治療を受けて生きていられるのは、米村さん自身が、生きたいという欲を持っていたからなんですよ」
命の危機に晒しておいて、結局生きる欲を捨てられなかった。俺はどこまでいっても馬鹿だな。
熱中症の症状はほとんど軽く、刺された傷もそこまで深くなく、暴行を受けた痕も重傷ではないということで、治療と経過観察のために一週間の入院が要請された。
医師と看護師はともに病室を出て行った。再び空間は一人のものになる。静寂に包まれた世界で、俺は自分の身体を確認した。腕と足首には包帯が巻かれた箇所があり、顔や肘、膝とかには絆創膏が貼られていた。スマホの内カメラで見た自分の顔は酷く、とても見ていられない。ここにきて初めて知った今の自分の状態。暴力を受けたこと、刺されたことを信じていなかったわけじゃないが、あの一連の出来事は夢なんかじゃなかったことを、思い知らされた。
それから一週間、俺は暴行を受けた部位の治療と刺された傷跡の治療を受けた。入院期間中に病室に来たのは刑事だけ。その間、暴行をしてきた相手の顔や服装、身長などの特徴を訊いてきたり、どういう感じで暴行を受けたり、脇腹を刺されたのか、という説明が求められ、俺は憶えている限りの情報を話した。しかし、情報が足りなかったのか、入院期間中は一度も犯人が見つかったとの知らせは無かった。
退院してからも咲佑にはまったく仕事の依頼が来なかった。地元でロケした例の番組は、咲佑が暴力事件に巻き込まれたことなど知る由もなく流された。しかも、咲佑が入院して治療を受けている間に。暴力事件の犯人は一週間が過ぎても未だ捕まっておらず、警察が捜査しているらしいが現状がどうなっているのか分からない。咲佑は事件のことを忘れることにした。時間が経つにつれて思い出されていく記憶と風化していく事件の真相とともに生きるために。でも、ひとつだけ思い出せないことがあった。それは目覚める直前の、左頬に何か柔らかいものが触れた感触。あれは一体何だったのか。こちらも迷宮入りしそうだ。
事件のことが報道されたその日に、姉から電話がかかってきた。あれだけ家族と離れると決意していたのに、気付いたときにはスマホを耳に当てていた。
「もしもし?」
「咲佑、テレビで知ったけど、あんた大丈夫なわけ?」
「うん。大丈夫」
「気を付けなさいよ。あと、お母さんもお父さんも心配してたから、あとで電話一本でいいから入れなさいよ」
「分かった。ごめん、忙しいから切るよ」
「ちょっと―」
嘘ついて電話を切った。それと同時に画面に表示された五件のメッセージ。元メンバーと元マネージャーからの連絡だった。
事件から十五日が経った七月二十日。警察から犯人が逮捕されたとの一報を受けた。二人のうち、一人は黙秘を続け、もう一人は「米村咲佑のことが気に入らないから暴行した」という気儘な発言をしていると聞かされた。夕方のニュースでもこのことが報じられ、またも元メンバーや元マネージャーなどから連絡がきた。事件は解決したが、刺された傷跡はまだ痛む。窓には大粒の水滴が付着していく。グレーの雲が空全体を覆っていた。
「あとね、熱中症にもなりかけてたよ」
「え」
「芝生の上で三十分強も仰向けになってたんだからね。仕方ないと言えば終わっちゃうけど」
「…、ですよね」
俺は笑うしかなかった。
「でもね、こうして治療を受けて生きていられるのは、米村さん自身が、生きたいという欲を持っていたからなんですよ」
命の危機に晒しておいて、結局生きる欲を捨てられなかった。俺はどこまでいっても馬鹿だな。
熱中症の症状はほとんど軽く、刺された傷もそこまで深くなく、暴行を受けた痕も重傷ではないということで、治療と経過観察のために一週間の入院が要請された。
医師と看護師はともに病室を出て行った。再び空間は一人のものになる。静寂に包まれた世界で、俺は自分の身体を確認した。腕と足首には包帯が巻かれた箇所があり、顔や肘、膝とかには絆創膏が貼られていた。スマホの内カメラで見た自分の顔は酷く、とても見ていられない。ここにきて初めて知った今の自分の状態。暴力を受けたこと、刺されたことを信じていなかったわけじゃないが、あの一連の出来事は夢なんかじゃなかったことを、思い知らされた。
それから一週間、俺は暴行を受けた部位の治療と刺された傷跡の治療を受けた。入院期間中に病室に来たのは刑事だけ。その間、暴行をしてきた相手の顔や服装、身長などの特徴を訊いてきたり、どういう感じで暴行を受けたり、脇腹を刺されたのか、という説明が求められ、俺は憶えている限りの情報を話した。しかし、情報が足りなかったのか、入院期間中は一度も犯人が見つかったとの知らせは無かった。
退院してからも咲佑にはまったく仕事の依頼が来なかった。地元でロケした例の番組は、咲佑が暴力事件に巻き込まれたことなど知る由もなく流された。しかも、咲佑が入院して治療を受けている間に。暴力事件の犯人は一週間が過ぎても未だ捕まっておらず、警察が捜査しているらしいが現状がどうなっているのか分からない。咲佑は事件のことを忘れることにした。時間が経つにつれて思い出されていく記憶と風化していく事件の真相とともに生きるために。でも、ひとつだけ思い出せないことがあった。それは目覚める直前の、左頬に何か柔らかいものが触れた感触。あれは一体何だったのか。こちらも迷宮入りしそうだ。
事件のことが報道されたその日に、姉から電話がかかってきた。あれだけ家族と離れると決意していたのに、気付いたときにはスマホを耳に当てていた。
「もしもし?」
「咲佑、テレビで知ったけど、あんた大丈夫なわけ?」
「うん。大丈夫」
「気を付けなさいよ。あと、お母さんもお父さんも心配してたから、あとで電話一本でいいから入れなさいよ」
「分かった。ごめん、忙しいから切るよ」
「ちょっと―」
嘘ついて電話を切った。それと同時に画面に表示された五件のメッセージ。元メンバーと元マネージャーからの連絡だった。
事件から十五日が経った七月二十日。警察から犯人が逮捕されたとの一報を受けた。二人のうち、一人は黙秘を続け、もう一人は「米村咲佑のことが気に入らないから暴行した」という気儘な発言をしていると聞かされた。夕方のニュースでもこのことが報じられ、またも元メンバーや元マネージャーなどから連絡がきた。事件は解決したが、刺された傷跡はまだ痛む。窓には大粒の水滴が付着していく。グレーの雲が空全体を覆っていた。