レストランに入ったのは、待ち合わせの時刻から四十分近くも過ぎたあとだった。高級感漂うドアを開くと、そこには別世界が広がっていた。異国情緒あふれる椅子とテーブルに、天井からぶら下がる丸みを帯びたシャンデリア。食事をする人や、店内を行き交う人は皆が洒落た服を身に纏っている。またスタッフらのちょっとした言動からも、気品の高さを感じさせられる。

そんな場所に俺はストライプの襟付きシャツをアウターに、その下には白の無地Tシャツを着用し、ボトムはだぼっとしたスラックスに少し厚底の紐靴という、場違いじゃないかと思えるほどの軽装でいる。視線は料理越しにこちら側へ向けられる。恥ずかしさから今すぐにでも飛び出したい気分だった。

スタッフに誘導されるがまま、俺は人目を気にしながら店内を歩いた。そして、そんな俺を見つけた相手は、俺の顔を見るなり笑顔の花をパッと咲かせ、しなやかな動きで手招きをする。案内されたのは店の一番奥側の席だった。

「お疲れ様です、奏さん。遅くなってすいません」
「いいよ、気にしないで。そんなことより、収録お疲れ様」
「ありがとうございます」

目の前に座る奏さんは、淡いイエロー色の半袖トップスに純白のロングスカートを合わせた、場に合った格好をしている。天井から降り注ぐ柔らかな照明によって、薄化粧した顔が映えている。

「どうだった? 初めてのレギュラー番組は」
「そうですね、普段の収録にはだいぶ慣れてきたから大丈夫かなって思ってたんですけど、感触が掴めてないのもあるんですけど、共演者の方のオーラがあり過ぎて、めっちゃ緊張しました」
「そっか」
「それに、紹介される旅先で作られている料理の食リポも求められて。初めてだったから、自分でも何を言ってるんだか訳分からなくなって、結局使えないって言われました。放送では、共演者の方のコメントが使われるみたいです」

思い出しただけで額にじんわりと汗が滲んでくる。

「食リポは難しいよね。私もそうだった。昔はね、俳優なんだから気の利いたコメントしなくちゃ、とか、例えば面白い特技を披露しないと、とか、そういうことで頭がいっぱいだったんだけどね。でも今は何も考えずに収録に臨んでるの。自然体に身を任せてみるのもいいのかなって」
「そうなんですね」
「そのうち慣れるよ。だから頑張って」
「はい」

 店員は会話が終わるのを待っていたのか、ベストなタイミングでメニュー表を運んできた。胸元にはネームプレートが付けられていたが、その苗字を見るのは初めてで、簡単な感じで構成されているのに、なんて読むのか分からない。そんな店員は、とても穏やかな口調で奏さんに何かを伝える。

歴史を感じさせられるメニュー表を開く。そこには耳馴染みのない料理名ばかりが記載されていて、どんな料理かも全く想像がつかない。しかも金額も結構高めで、財布に残る残金のことが心配になる。そんな俺を余所に、奏さんは慣れた手つきでページを捲っていく。

「石井くん、何食べるか決めた?」
「ごめんなさい。俺、こういうのに詳しくなくて。何がどんな料理なのか・・・」
「じゃあ、今何が食べたい気分?」
「肉、ですかね」
「お肉か。じゃあコンフィなんてどう?」

奏さんがメニュー表に載るコンフィーの文字を指差す。爪に塗られたトップコートが照明の当たる角度によって煌めく。

「コンフィ、ですか?」
「低温の油でじっくり煮た料理なんだけどね、ここの鴨のコンフィは特に身がホロホロしてて食べやすいし、美味しいからおすすめ」
「へぇ、美味しそう。じゃあ、俺はそれで」
「分かった。じゃあ、注文しちゃうね」

二人の間に立つ店員に奏が注文する中、凉樹は未だに自分が着ている服装と周りとのギャップに追いつけず、落ち込んでいた。前もって教えてくれていたらこんな思いをしなくて済んだのに。と、誰のことも責められない状況を後悔する。そんな凉樹を見かねた奏は、下から顔を覗き込むようにして、こう話しかけた。「石井くんには、まだこのお店早かったかな?」

奏さんは悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべている。

「すいませんでした。こんな服で、しかも料理名もまともに知らなくて」
「なんで謝るの? 石井くんは悪くないよ」
「いや、でも流石に・・・」
「そもそも今日突然このお店に誘ったのは私なわけだし。料理名を知らなくても仕方ないよ。でも逆に連れてきてあげてよかった。これで一ついいお店知れたでしょ?」

意図するところは全く読めない。ただ俺は今の発言を前向きに捉えることにした。最初はみんな料理名を知らない。何か分からなくて注文する。それを繰り返すうちに料理名を知っていく。そして誰かに教える時が来る。その時が来たら、咲佑をこの店に連れて来よう。デートの帰りにでも。