蒸し暑さで目覚めた決戦日の朝。時刻は十一時を優に過ぎていた。重い身体を起こし、エアコンの電源を入れ、汗を流すためにシャワーを浴びに行く。周りは仕事をしているというのに、咲佑は呑気に家で過ごすだけ。自分がNATUralezaのメンバーでいる意味があるのか、日を増すごとに迷宮入りしていく。
デビューして丸三年。メンバーは確実に仕事を増やしていた。しかし、いつになっても咲佑にだけは何故か仕事の依頼が来なかった。凉樹は、とあるバラエティ番組に出演して以来、人気に火をつけた。朱鳥は歌うま芸能人が集う番組でその力を発揮し、今でも歌う関連の仕事中心に依頼が舞い込み、その度に、年上女性を中心に人気を博している。夏生は高校を卒業してすぐにドラマのオーディションに合格し、そこから一気に演技の仕事が入った。演技も上手く、そしてモデルのような顔の小ささとそれなりの身長からか、各方面から注目を集めている。桃凛は頭脳派の一面を活かし、有名大学に通いながら、今はクイズ番組で活躍している。そんなメンバーのことを、咲佑はただ何となく凄いという気持ちで眺めていた。いつか色んな番組に出て有名になりたい、なんて夢を持っていたことが、馬鹿馬鹿しく思える。やはり自分は芸能界に向いていないのではないかと思い始めていた。
そう思い始めた原因の一つが、母から掛けられた何気ない一言。その一言を言われたのは、つい一週間前、母と電話で会話をしているときだった。この日は母の機嫌も、そして咲佑の機嫌も悪かったためか、何気ない会話のつもりが、いつしか口喧嘩のような状態に陥ってしまっていた。気まずい空気になったのは、久しぶりだった。決して咲佑は母と仲が悪いわけではない。一か月に一度は必ず一人暮らしの家に来て、数種類の料理を作り置きしてくれる。そんな母に対し、咲佑は感謝してもしきれないぐらいの気持ちでいるが、そのことに関しても、会話の流れで喧嘩になった。
「咲佑、あなた一人じゃご飯作れないから、私が月に一度行ってあげてるのよ?」
「あげてるって、俺が頼んだみたいな言い方じゃん。あのさ、なんか料理できないって決めつけられてるけど、俺、料理しようと思えばできるし。それに今、仕事少ないから暇だし―」
「暇だし…って、ねぇ、咲佑、いつになったら売れるの? あなただけでしょ、売れてないの。お母さん心配なんだけど」
「そう言うなよ。売れる、売れない、その話今関係ないし。ってか俺だって分かってるよ。自分に人気がないことぐらい」
咲佑の母はこのとき、諦めからか大きなため息を吐いた。
「だからあの時言ったでしょ、咲佑に芸能界は向いてないよって」
「どういうところが向いてないって言うんだよ。具体的に教えてくれよ」
「咲佑の人気が出ない一因には、BL好きを公表してることにあると思う。咲佑は顔とかだと人気だと思うんだけど、やっぱり趣味が影響してるんじゃないの? 今からでもいいから、万人受けのいい趣味を見つけなさいよ」
「俺にBL以外の趣味は必要ないから」
「そんなこと言ってるから咲佑は人気が出ないのよ。自分でも分かってるんじゃないの?」
「分かってるよ。でも、人気が出ないから仕方ないだろ。周りが才能ある人間ばっかだったんだよ。だから俺は埋もれてるだけ。いつか芽が出ることを信じて今までやってきた。でも、今はまだ芽が出そうにないだけで―」
「だったら、いっそのこと芸能界辞めて企業に就職しなさいよ。お姉ちゃんは早々に芸能界諦めて、今は真面目に、しかも子育てしながら働いてるのよ? それにお父さんなんて高校から定年まで同じ会社に勤めたのよ? 咲佑にもその背中、見習って欲しいぐらいだわ」
早口でそう言われた刹那、咲佑のスイッチはオフになった。電話する気力もなくなり、「忙しいから」とだけ言って電話を切った。
*
咲佑が芸能界に入ることを薦めてきたのは、母ではなく父だった。母はどちらかと言えば芸能界入りを反対していた。父が薦めてきた理由は、子供に色々な経験をさせてあげたいという思いからだった。その想いに応えるべく、咲佑は芸能界入りを志願した。姉も芸能界に入りたいという夢を持っていたが、なりたい職業を見つけ、その道に進むことを決めた。
芸能界入りについて家族四人で話し合いをする際、姉は常に中立的な立場にいて、時には父の意見に耳を傾け、時に母の思いに寄り添っていた。そうは言っても、咲佑が自由に発する意見には興味を示そうとしなかった。当時は、年頃の男の子の発言としかとらえていなかったらしい。咲佑の芸能界入りが決まった時、姉は結局母の見方をした。咲佑の話も、父親の話もろくに聞かず、常に母親だけの話を聞いていた。立場的に一人になる母のことを見ていられなかったのだろうが、咲佑は少しだけ寂しい思いをしていた。
それから時が経ち、今となっては、姉はNATUralezaの虜になっている。しかし、母の思いは十年経っても全く揺らぐことはなかった。何度か姉に誘われる形でNATUralezaが出演するイベントに足を運んでくれたものの、それでも母の、咲佑に抱く想いは変わらなかった。芸能界に対してマイナスのイメージしか持っておらず、アップデートして、プラスにしようとはしなかった。そんな母のことを、咲佑もどう相手してあげればいいのか、どんな会話を交わせばいいのか、困っていた。
実家を出て四年。お正月とお盆以外は実家に帰ることはなかった。それは実家に寄り付きたくないという思いで埋め尽くされていたからでもあり、月に一度顔を見せに来る母親と、別に会う必要もないと思っていたからでもあった。寄り付きたくなかったのには理由もある。実家に帰り、その辺を散策しようものなら、必ずと言っていいほど同級生と出会う。その度にNATUralezaの話題になる。そして、BL好きであることを弄られる。毎回こういった流れになるのが嫌で、自然と帰る気も失せていった。
母の言う通り、いっそうのこと芸能界から身を引いて、地元ではないどこかの企業に就職して、結婚したほうがマシなんじゃないかと考えるようになっていた。が、その結婚相手が見つからない。そもそも咲佑は結婚どころか、女性に興味が無かった。興味があるのは、男性との同性婚。そういう、自分自身の恋愛観に関することは、今まで家族の誰にも相談してこなかった。でも、そのことを今日初めて、メンバーにだけ打ち明ける。間違えなく決戦日になるだろう、そう咲佑は思っている。
伝えない幸せもあるのかもしれない。けど、絶対に後悔だけはしたくない。その思いが咲佑の脚を引っ張っていた。
デビューして丸三年。メンバーは確実に仕事を増やしていた。しかし、いつになっても咲佑にだけは何故か仕事の依頼が来なかった。凉樹は、とあるバラエティ番組に出演して以来、人気に火をつけた。朱鳥は歌うま芸能人が集う番組でその力を発揮し、今でも歌う関連の仕事中心に依頼が舞い込み、その度に、年上女性を中心に人気を博している。夏生は高校を卒業してすぐにドラマのオーディションに合格し、そこから一気に演技の仕事が入った。演技も上手く、そしてモデルのような顔の小ささとそれなりの身長からか、各方面から注目を集めている。桃凛は頭脳派の一面を活かし、有名大学に通いながら、今はクイズ番組で活躍している。そんなメンバーのことを、咲佑はただ何となく凄いという気持ちで眺めていた。いつか色んな番組に出て有名になりたい、なんて夢を持っていたことが、馬鹿馬鹿しく思える。やはり自分は芸能界に向いていないのではないかと思い始めていた。
そう思い始めた原因の一つが、母から掛けられた何気ない一言。その一言を言われたのは、つい一週間前、母と電話で会話をしているときだった。この日は母の機嫌も、そして咲佑の機嫌も悪かったためか、何気ない会話のつもりが、いつしか口喧嘩のような状態に陥ってしまっていた。気まずい空気になったのは、久しぶりだった。決して咲佑は母と仲が悪いわけではない。一か月に一度は必ず一人暮らしの家に来て、数種類の料理を作り置きしてくれる。そんな母に対し、咲佑は感謝してもしきれないぐらいの気持ちでいるが、そのことに関しても、会話の流れで喧嘩になった。
「咲佑、あなた一人じゃご飯作れないから、私が月に一度行ってあげてるのよ?」
「あげてるって、俺が頼んだみたいな言い方じゃん。あのさ、なんか料理できないって決めつけられてるけど、俺、料理しようと思えばできるし。それに今、仕事少ないから暇だし―」
「暇だし…って、ねぇ、咲佑、いつになったら売れるの? あなただけでしょ、売れてないの。お母さん心配なんだけど」
「そう言うなよ。売れる、売れない、その話今関係ないし。ってか俺だって分かってるよ。自分に人気がないことぐらい」
咲佑の母はこのとき、諦めからか大きなため息を吐いた。
「だからあの時言ったでしょ、咲佑に芸能界は向いてないよって」
「どういうところが向いてないって言うんだよ。具体的に教えてくれよ」
「咲佑の人気が出ない一因には、BL好きを公表してることにあると思う。咲佑は顔とかだと人気だと思うんだけど、やっぱり趣味が影響してるんじゃないの? 今からでもいいから、万人受けのいい趣味を見つけなさいよ」
「俺にBL以外の趣味は必要ないから」
「そんなこと言ってるから咲佑は人気が出ないのよ。自分でも分かってるんじゃないの?」
「分かってるよ。でも、人気が出ないから仕方ないだろ。周りが才能ある人間ばっかだったんだよ。だから俺は埋もれてるだけ。いつか芽が出ることを信じて今までやってきた。でも、今はまだ芽が出そうにないだけで―」
「だったら、いっそのこと芸能界辞めて企業に就職しなさいよ。お姉ちゃんは早々に芸能界諦めて、今は真面目に、しかも子育てしながら働いてるのよ? それにお父さんなんて高校から定年まで同じ会社に勤めたのよ? 咲佑にもその背中、見習って欲しいぐらいだわ」
早口でそう言われた刹那、咲佑のスイッチはオフになった。電話する気力もなくなり、「忙しいから」とだけ言って電話を切った。
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咲佑が芸能界に入ることを薦めてきたのは、母ではなく父だった。母はどちらかと言えば芸能界入りを反対していた。父が薦めてきた理由は、子供に色々な経験をさせてあげたいという思いからだった。その想いに応えるべく、咲佑は芸能界入りを志願した。姉も芸能界に入りたいという夢を持っていたが、なりたい職業を見つけ、その道に進むことを決めた。
芸能界入りについて家族四人で話し合いをする際、姉は常に中立的な立場にいて、時には父の意見に耳を傾け、時に母の思いに寄り添っていた。そうは言っても、咲佑が自由に発する意見には興味を示そうとしなかった。当時は、年頃の男の子の発言としかとらえていなかったらしい。咲佑の芸能界入りが決まった時、姉は結局母の見方をした。咲佑の話も、父親の話もろくに聞かず、常に母親だけの話を聞いていた。立場的に一人になる母のことを見ていられなかったのだろうが、咲佑は少しだけ寂しい思いをしていた。
それから時が経ち、今となっては、姉はNATUralezaの虜になっている。しかし、母の思いは十年経っても全く揺らぐことはなかった。何度か姉に誘われる形でNATUralezaが出演するイベントに足を運んでくれたものの、それでも母の、咲佑に抱く想いは変わらなかった。芸能界に対してマイナスのイメージしか持っておらず、アップデートして、プラスにしようとはしなかった。そんな母のことを、咲佑もどう相手してあげればいいのか、どんな会話を交わせばいいのか、困っていた。
実家を出て四年。お正月とお盆以外は実家に帰ることはなかった。それは実家に寄り付きたくないという思いで埋め尽くされていたからでもあり、月に一度顔を見せに来る母親と、別に会う必要もないと思っていたからでもあった。寄り付きたくなかったのには理由もある。実家に帰り、その辺を散策しようものなら、必ずと言っていいほど同級生と出会う。その度にNATUralezaの話題になる。そして、BL好きであることを弄られる。毎回こういった流れになるのが嫌で、自然と帰る気も失せていった。
母の言う通り、いっそうのこと芸能界から身を引いて、地元ではないどこかの企業に就職して、結婚したほうがマシなんじゃないかと考えるようになっていた。が、その結婚相手が見つからない。そもそも咲佑は結婚どころか、女性に興味が無かった。興味があるのは、男性との同性婚。そういう、自分自身の恋愛観に関することは、今まで家族の誰にも相談してこなかった。でも、そのことを今日初めて、メンバーにだけ打ち明ける。間違えなく決戦日になるだろう、そう咲佑は思っている。
伝えない幸せもあるのかもしれない。けど、絶対に後悔だけはしたくない。その思いが咲佑の脚を引っ張っていた。