二十時を過ぎた頃、イベントは無事に終了した。五人は鳴りやまない拍手の中、ステージの裏でハイタッチを交わす。会場に退場のアナウンスが流れるのを聞きながら楽屋へ戻る。その足取りは軽やかで、咲佑は明日からの不安を胸に、四人は明日から始まる新たな道を歩むための希望を胸に、衣装を脱いでいく。滴る汗は塩辛かった。

 帰宅の支度を終えた五人は正木の運転する車に乗り込み、イベントの打ち上げと、五人のNATUralezaに幕を下ろすための打ち上げを兼ねて、緋廻に向かった。明日を迎えるまで残り三時間。一歩ずつ着実に、咲佑の、五人のNATUralezaの物語が終わりを迎えようとしている。最高のエンドロールを迎えるために。その思いで、咲佑は胸に手を当てた。

 緋廻近くの路上に止められた車を降りた五人。マネージャーである正木も誘ったが、あっけなく断られた。「彼女と美味しい手料理が待ってるから」と。でも、その言葉の中には、最後ぐらい五人だけで過ごせ、というメッセージが込められているのだろうと、五人はそう感じていた。

 徒歩で向かうこと二分。暖簾が降ろされ、明かりも灯っていない緋廻がぽつんと、寂れた感じで建っていた。もう営業が終わったのかもしれないと思いつつ、凉樹が扉を開ける。やはり店内には人っ子一人いなかった。

「もしかして、今日って休みだったんじゃ・・・」

恐る恐る尋ねる夏生。それに対し、朱鳥が「だったら鍵ぐらいかかってるだろ」と、瞬時に答える。

「何かあったとか、そんなことは無いですよね」

どこか自分に言い聞かせるように言う桃凛。口調から心配しているようだった。

「とりあえず店長呼んでみるか」

そう凉樹が言った途端、店内の明かりが一斉に灯る。まるで停電から復旧した住宅街のように。

「えっ!」

明かりが点いたことにより、店内の様子が一気に視覚、聴覚、嗅覚を通じて脳に伝わる。店内の壁にはカラフルな装飾品が貼ってあり、テーブルには盛大な料理が並べられ、店内に流れている曲はNATUralezaのデビュー曲、という普段の居酒屋緋廻ではない、パーティー会場と化した居酒屋緋廻がそこにあった。

「咲佑、凉樹、朱鳥、夏生、桃凛、卒業おめでとう!」

揃えられた声のあとにバラバラな音を奏でるクラッカー。店の奥から飛び出してきた店長と奥さんの優子さん、そしてカウンター席の下から飛び出てきた従業員の小林さん。三人の手には小さなクラッカーが握られていた。

「ありがとうございます」

五人はあまりのことに驚きを隠せず、嬉しいはずなのにそれが上手く体現できない。

「ごめんな、驚かせるかたちになって」
「ホントですよ。暖簾もかかってないし、店の明かりも消されてるから、今日休みだったっけ? って焦りましたよ」

冗談っぽく笑って見せる凉樹。桃凛は嬉しさの感情が今頃現われたのか、目には涙を浮かべていた。

「悪かったな。でも、こうしたいって言ってきたの優子なんだ」
「えっ、優子さんが?」
「そうよ。五人のこと驚かせようって思ってね。それで小林ちゃんも巻き込んじゃったの。でも少しやり過ぎたかしら」
「そんなことないですよ。まあ、驚きましたけどね」
「ふふっ。サプライズ成功ね」

お茶目な優子さんのことを店長は優しい目で見ていた。

「そうだ。料理作りたてだから温かいうちに食べちゃって」
「ありがとうございます」
「うわぁ、美味しそう!」

料理に目を輝かせる五人。その横では女性二人が話していた。

「小林ちゃん、後片付けは私たちでやっておくから、今日はもう上がっていいわよ」
「でもまだ営業時間中じゃ」
「いいのいいの。私の我儘聞いてくれて、こうして準備手伝ってくれたんだから」
「分かりました。じゃあ、お先に上がらせてもらいます」
「うん」

エプロンを外しながら咲佑に話しかけた小林。

「米村さん。今日までお疲れ様でした。私、これからも皆さんの活躍楽しみにしてます」
「ありがとうね。時間あるときにまたお邪魔させてもらうから」
「はい!」

 五人は軽く会釈し、小林にお礼を伝えた。その小林は頭をぺこぺこと下げながら店外へ出て行く。ショートボブの髪からは微かに甘い香りがしていた。

「今日までよく頑張ったな。お疲れさん」
「ありがとうございます」
「ドリンクは店からのサービスだ。遠慮なく飲んでくれよ」
「えっ、いいんですか?」
「それぐらいしかお祝いできないから」
「全然っ! 逆にありがたいですよ。お言葉に甘えさせていただきますね」
「はいよ」

 五人は座席に腰かけ、NATUralezaの曲を聴きながら、手を顔の前で合わせる。

「いただきます」
「いただきます!」

目の前に置かれた店長特製の料理を食べ始める。そんな料理はいつもよりも温もりを感じられた。咲佑は思った。店長と優子さん、二人の愛情が詰まっているからだろう、と。

 店に来て一時間。五人は用意された料理をすべて平らげた。二人は五人が美味しそうに料理を食べ進める様子を、目を細くして見つめていた。

「全部食べてくれてありがとな」
「お腹空いてたので、ペロリですよ」
「店長、優子さん、いつもより美味しかったです」
「そうか? ならよかった」

満更でもなさそうな顔の店長。その服の袖を引っ張る優子さん。

「あなた、向こうで片付けしないと。明日の仕込みもあるでしょ?」
「ん? いや仕込みは特に…」
「いいから、ちょっと」
「お? あ、あぁ」
「私たちは一旦席外すけど、みんな、ゆっくり楽しんでってね」
「すいません。ありがとうございます」

無理やり腕を引っ張られ、なんで連れていかれたのか分からないといった表情で去っていく。優子さんが気を利かせて五人だけの空間を作ってくれたのだろう。五人は申し訳なく思ったが、その気持ちは最後に伝えればいいと思って、今はお礼以外、特に何も言わなかった。

 五人だけになったその刹那、店内には別れを惜しむ空気が流れ始めた。時間が迫っているのもあるのだろうが、今まで仲良くしていた友達が違う学校に進学していくみたいな、永遠の別れでもないのに寂しくなる、あの何とも言えない空気が。別れを切り出すのは自分からだろう。そう思ったときには、咲佑は自分の思いを口にしていた。

「みんな。今日まで俺の一個人的なことで苦しくさせて申し訳なかった」
「咲佑くん…」
「最後に、俺からみんなに、伝えたいことがある。今はもう耐える必要はない。泣きたいなら泣いてもいいから」

泣きたいなら泣いていい。この言葉は、何事も上手くいかず苦しんでいた時代、咲佑自身が凉樹からかけられた言葉だった。