あれから、どれくらいの月日が経っただろう?
 オレはひさしぶりに、というかプライベートでは初めてになる、木崎さんとの昼食の予定をとりつけていた。
 しかし待てど暮らせどやってこない。
 さすがにもう限界だとオレが席を立とうとしたとき。
 彼女はあくび交じりでようやく姿を現した。
「やあ、遅いぞ、カッキー」
「それはこっちのセリフです」
 上下紺のジャージにボサボサの赤い髪。電子タバコ片手に現れた木崎さんは、入店早々全席禁煙を告げられて萎れていた。
「ちぇ」
 しかたなしといった様子で席についた木崎ざんは、オレのパフェからシガレットクッキーをとって口にくわえた。
「相変わらず散らかった人ですね」
「誉め言葉として受け取っとくよ」
 それで、と。
 さんざっぱら遅刻しておきながら木崎さんは自分本位で話を進める。
「ぶち壊した結婚式の後処理は終わったのかい?」
「まあ、だいたいは」
「どれくらい怒られた?」
「それが、子供のオレがやったことは全部なかったことになってて」
 歳を喰われてオレの存在が一度なかったことになったように。歳喰いの呪いが解けて水泡に帰した子供のオレは、まるでそんな人間なんて最初いなかったかのように世界に処理されていた。
 まあ、それでも何人かは“なぜか”オレが歳を喰われていたことを覚えているんだけど。
「ふーん」
 パリッとクッキーをかじって木崎さんは言う。
「なら、私がきた意味がないじゃないか。苦労話の十や二十きける流れかと思ってたのに」
「それはご愁傷様でした」
 オレが木崎さんと話したかったのはそんなことではなかった。
 木崎さんも雑談は端折りたいようだし、オレは単刀直入に尋ねてみる。
「木崎さんも、歳を喰われたんですか?」
「どうして?」
「だって、妙なんですよ」
 騒動が一段落してから、オレは歳喰いの魔女についてネットで検索をかけてみた。
 どんなに常軌を逸した存在でも、あるいは常軌を逸した存在だからこそ、その力と実績について書かれた記事くらいは見つけられるはずだった。
 ところが、歳喰いの魔女についてのニュースは、ちょっとありえないくらいにヒットしなかった。
 噂程度でもあるのなら、さすがに「0件」というのはおかしな話だ。
「オレが魔女についてデカイ声で語ったこともみんな覚えてないんです」
「へえ」
「覚えているのは、オレが歳を喰われてもずっとオレを忘れることができずにいたユキと、魔女に歳を与えられた浩太だけでした」
「なんと」
「で、思ったんです。オレに電話をくれたときにはもう、木崎さんは全部知ってたんじゃないかって」
「全部って?」
「歳を喰われた人間が魔女について話すと水泡に変わってしまうってルールが、ウソを吐かずに相手を騙す方便なんだって」
 魔女はたしかに言った。
 歳喰いの事実について話せば、身体が水泡に変わってしまうと。
 しかし“水泡に変わったあと”のことについては話していなかった。
 てっきりオレは、水泡になるということはこの命ごと無に帰するいうことだと思い込んでいたけれど、実際は歳喰いの呪いが解けて元の自分にもどるだけだった。
「魔女について知るのと、その力について知るのは、基本的に同じことです。だから魔女のうわさを流すような人は、魔女と一緒になってだれかを騙しているようなものだと」
「カッキー、そんなに頭良かったっけ?」
「……浩太の入れ知恵も、すこしは」
「ほへえ。仲直りしたんだ」
「いや、まったく」
 式場での件があってから。というか、それよりずっと以前から。
 浩太は一貫してオレのことがきらいで。オレもあいつのことはバッチリきらいだ。
 ただ、あの日オレに殴られてやり返せなかったのが相当悔しかったのか、浩太はあれから導き出した推論を実行してすぐに子供にもどった。そして子供だからこそある自由時間を存分に利用して、ちょっと怖いくらいに学びに精を出しているようで。暇を見つけてはわざとユキのまえでオレに話しかけ、その知識と機転でオレをこけにしようとしてくる。
「今日もこれから決闘なんですよ」
「殺し合うの?」
「ええ。一応、ゲームの中で」
「やっぱり仲いいんじゃない?」
「ちがいますよ。あいつが家にくることをユキが許すから。追い払うためにオレが相手してやらないといけないんです」
「二人って今、同棲してんの?」
「してないから、いろいろあるんですよ」
 とりあえず、オレが大学をちゃんと卒業するまでは。いろんなことを一時保留にすることでオレもユキも合意した。ついでに浩太も。
 二人の将来について話すのは、だからそれからのことだ。
「なんていうか、カッキー。ちょっと変わったね」
「そうですか?」
「うん。前はもっとろくでもない質だったのに。今はそう悪くない感じになってる」
「質が悪くないから、事も悪くない?」
「そう」
「流れ論者め」
 でもまあたしかに、あの一件でオレもちょっとはマシに成長できたかもしれない。というか、できていないと困る。もう人生に絶望するのはこりごりだ。
「オレの話はそんな感じです。で、どうなんですか? 木崎さん」
「なんだっけ?」
「歳喰いのことですよ」
「ああ。喰われたよ。大学二年のとき」
 驚くほどあっさりと木崎さんは白状した。
「急に正直ですね」
「そういう流れだから」
「二年って、木崎さんがサークルやめたときですね」
「ああ。ちょっといろいろあってね」
「いろいろって?」
「まあ、結果だけ言うなら、私も水泡に帰したクチだ」
「木崎さんは、歳を喰われるのと、与えられるの、どっちを願ったんですか?」
「さあ?」
 木崎さんは惚けた顔をするばかりで答えを明かそうとしなかった。
 おそらくそのナゾがここで明かされることはないのだろう。
 木崎さん的に言うなら“そういう流れ”ではないから。
「話は終わりかい?」
 いつのまにかオレのパフェをたいらげていた木崎さんが席を立つ。
 オレはレシートを突き出して、木崎さんに尋ねた。
「木崎さんは、未だに魔女とコンタクトがとれるんですか?」
 オレが木崎さんに会っていちばんききたかったのはそのことだった。
 あの日を最後に、オレは魔女に会えなくなってしまった。
 以前たしかにあったはずの魔女の屋敷を訪ねるとそこは空き地になっていて。付近に住む人たちにきいてみても心当たりはないとのことで。オレがくだらない冗談を言っているのだろうとまともにとり合ってはもらえなかった。
 べつに、特別会いたいわけじゃない。
 むしろ会えばまたよからぬ呪いをかけられて。あいつのヒマつぶしにうまく使われてしまいそうな気がする。
 とはいえ、まあ、一応。
 経過報告もかねて、ちょっと顔を突き合わせて紅茶を飲んでやるくらいはやぶさかでもなかった。
「なるほどね」
 と、木崎さんは懐に隠し持っていた財布を取り出す。
 てっきり会計を済ませてくれるのかと思ったら、木崎さんが取り出したのは紙幣ではなく一枚の名刺だった。
 そこには二十三桁の電話番号が書かれていた。
「これは?」
「魔女の電話番号」
「かけたら話せるんですか?」
「供物を捧げたらね」
「供物?」
「人生の自爆スイッチを押したがってるようなやつ」
「……」
「いやー、やっと解放された。私もあの魔女にうっかりしてやられてね。一発ぶん殴ってやりたくてコンタクトをとろうとしたら渡されたんだ。私に魔女の存在を教えてくれたやつから。いわく、その名刺自体が歳喰いに類する力を持っているらしい。次の供物……まあ、生贄だ。魔女のヒマつぶし相手っていう。この名刺を渡されたやつは、それをあっせんする義務を負い、そいつが水泡に帰すまでこれを捨てられない呪いにかかる」
「…………」
 オレは渡された名刺を投げ捨てる。
 名刺は勝手に小さな紙飛行機になってオレの手元へともどってきた。
 破り捨てても元通り。喉の奥まで飲み込んでみてもズボンの裾から落ちてきた。
「ネズミ講じゃねえか!」
「魔女以外は儲からないけどね」
「持ってると、どうなるんですか?」
「持っていた日数分だけ、年金の受給年齢が引き上げられる」
「歳喰い関係ねえ!」
「それを手放せる条件が“魔女との再会を望む被害者に便りを渡すこと”らしい。そういうことだから、カッキーも年金がほしいならとっととだれかにソレ、押しつけるんだね」
「……木崎さん、一応、確認しておきたいんですけど……」
「ああ。そのとおり。私がわざわざカッキーの近況を念入りに調べ上げたうえで心配して電話をかけてあげるほどストーカー気質なわけないだろ」
 木崎さんは呪いから解放されたうれしさでウキウキしていた。
 今日はいつもより度数のキツイ酒を煽るらしい。
 もしかしたら、魔女が木崎さんに似ているのではなく、木崎さんが魔女に似るしかなかったのかもしれないと思った。
「そいじゃねー」
 木崎さんはしっかりとレシートをオレに突き返して帰っていった。
 オレは呆然としながら、大学で知り合った中でいちばん簡単に騙せそうな後輩に電話をかけた。

「なあ、おまえ、歳喰いの魔女って知ってるか?」

               ―――――FIN――――