文化祭の後片付けの翌日は、振替休日で学校は休みだ。しかしいつもなら昼近くまで寝坊する充が、今日は朝早くから起きて、駅へ向かって歩いていた。曇り空で雨がぱらつくと言っていた予報は見事に外れ、スッキリとした秋晴れの青空が広がっている。
階段を登り、デッキに出る。改札前には待ち合わせらしい人たちが、少しずつ間隔をあけて立っている。
「……いた」
まだこちらには気づいていない様子で、柱にもたれて、スマホを見ている。着ている黒いTシャツは、見たことがない。背の高い至によく似合っている。こんなふうに、至の外見や服装をまじまじと見たのは初めてかもしれなかった。王子は言いすぎにしても、そこそこ格好いい部類なのかもしれない、と思う。意識した途端、心臓が音を立てて暴れ始めた。気温のせいだけではない汗がじわりと浮く感覚がする。
「……っ」
家に迎えに行く、と言われたのを、断っていた。なぜそうしたのか自分でもいまひとつ謎だったが、今はっきりと理由が分かった。家族の前でこんな自分を見られたいわけがない。
近づくにつれ、気づいてほしいような、気づかれたくないような変な緊張に襲われる。その時、何かを察知したように、パッと至が顔を上げ、充の姿を認めた途端、照れくさそうな笑みを浮かべた。充は自分の顔が爆発でもしそうに、熱くなったのだけが分かった。
そうして、至と二人、言葉少なに電車に揺られている。
「めっちゃ晴れたな」
「ほんとだな」
それきりまた会話は途絶える。
——なんだ、これ……。
後片付けの時までは、どうってことなかったのだ。だがそれは今思えば周りにクラスの生徒たちがいたのが大きかったのに違いない。
「……暑くなりそうだな。ほら、これ持っとけ」
至がごそごそとボディバッグからペットボトルを出し、充に手渡してくる。
「お、さすが王子」
「……っ」
思わずいつものノリで出た軽口に、至が目に見えて狼狽える。うわあ、と呻きそうになった。ずっとこの調子では先が思いやられそうだ。
「おい、ほんとに大丈夫なのかよ。結構高いだろ、平日って言っても」
最寄り駅を出てゲート前に到着し、行列の最後尾を目指して歩きながら、充が小声で隣に話しかける。今更とは思いつつ、聞かずにいられなかった。隣県の、大きなテーマパークに来ている。振替休日に二人でどこか遊びに行こう、という話になって、ここに決まったまでは良かったが、至がチケット代は自分が出すと言い張ったのだ。
「いいの。俺、先月、結構稼いだから」
「あー、まあそれはそうかもだけど」
思い違いから、充の傍にいてはいけないとバイトを増やしていた至は懐が暖かいということらしい。
「てかさ、かっこつけさせろよ。初、なんだし」
ほんのり目元を染めて、充の方を見ないまま、至がぼそりと言う。
「……っ」
マジか、と充は天を仰ぎたいような気持ちになった。つられたように顔が熱くなって、至の方を見られなくなる。ぎくしゃくとした動きのまま、列が進み、二人はゲートをくぐった。
「あ!」
「何!?」
「……い、いや、あそこ、ほら、地図あるぜ」
「……びっくりさせんなよ」
「あ、ごめん……」
ああ、もう、と充は思う。
——至が初、とか言うから……。
これが、初デートだ、と。充だって、思っていたが、意識しているのは自分だけかもしれないとも思っていたのだ。至の様子がいつもと違うのも、自分がそうだからつられているだけかもしれないと。それが、至も意識していたのだと分かってしまったら、もうどうしていいか分からなかった。ずっと今までクラスの連中に感心されるほどべったりと一緒にいたのに、今更すぎると思いながらも、ぎこちない笑顔しか浮かべることができない。
「……あ」
大きな園内マップを見上げて、今度声を上げたのは充だ。
「どうした?」
「……や、なんでもねえ。一番並ぶやつから、行こうぜ」
「……ショップ?」
「……っ」
歩き出そうと身体を返しかけた充の見ていた先を、至は見逃さなかったようだった。また、顔に熱が集まっていく。
——何か、お揃いの、買いたいなんて、んなの恥ずかしくて言い出せるわけねえし……。
一瞬だけ頭をよぎった思いはなかったことにしたいのに、至がそうさせてくれない。
「……なんか、お揃いの、買うか?」
「……」
「じゃあそこから行こうぜ」
「おれ、なんも言ってない」
「顔に全部書いてあるよ。俺をなめんなよ、充歴何年だと思ってる」
「……充歴って、おまえ……そういう恥ずいことを言うのやめろよ……」
「……いいだろ、そのくらい。今までだって思ってたけど、言わなかっただけだ」
至の言い方に、怒らせたのかと焦って充が顔を上げるのと、至の手が充の手首を掴むのが、同時だった。
「……!」
——至の手、あっつ……。
見上げた至の顔は怒っているようにも見えなくはなかったけれど、こすったように赤くなった目元を見ればそうではないのは明らかだ。
「う」
「……? なんか言ったか?」
「や……なんでも……」
「……充、顔真っ赤……」
「おまえがな! ……ってか、手」
「あ、……」
「ちゃんと、……その、つなぎ、たい」
語尾は蚊の鳴くような小ささになった。園内に流れる音楽にかき消されて、至に聞こえなかったかもしれない。それなら、何でもない、と言うつもりで、充はごまかすように笑おうとした。けれど、至は立ち止まった。手首から離れていった手が、充の手をしっかりと握りなおす。
「……俺、今日で死ぬかも」
「死なれたらおれ困る」
「……あー、もう!」
「……なに、やってんだろうな、おれら……」
「いやそれな……」
なんだかだんだん、おかしくなってきて、とうとう堪えきれない笑いが噴き出した。
「あー、腹痛え」
「でもなんか俺らっぽいよな」
「たしかに」
「で、あっちだっけ、ショップ」
「……うん」
ひとしきり笑ったら、今までの緊張が一気に緩んだ気がした。ようやく、いつもの自分たちになった気がする。
手を繋いだまま、歩き出す。園内は人で混み合っていて、誰も充たちには目を留める様子がない。友達や家族にはきっと話せる日が来ても、まだまだ好意的な目線ばかりではないと分かっている。それでも、至の傍にいないことなんて、考えられない。
「お会計は……」
「一緒で」
レジで、充はすかさず至の横から口を出した。ほうっておくと全部自分が出すと言いかねない。格好つけたいのは自分もだ、という意思表示を兼ねて至を肘で押しのけ、支払いをして、袋を受け取る。
「今、つける?」
「むしろ今じゃなかったらいつつけんの」
「たしかに」
ショップが面している広場の隅で、ごそごそと袋から今買ったばかりのものを出す。
「じゃあ、いくよ」
肩をくっつけるように頭を寄せ合い、至がスマホをかざす。カシャン、と軽いシャッター音がした。
「……」
「なに」
「いや……さすがにどうなんかなって……。男二人で、うさみみカチューシャ」
「……我に返るのは帰ってからにしようぜ、せめて」
今撮った画像を覗き込み、そこに写る自分たちのアホっぽさに我ながら顔がひきつった充だった。浮かれている以外の何物でもない。けれど、それが、どうしようもなく嬉しい。
「送った」
「ありがと」
「……来年も、来ようぜ」
「ここに?」
「うん。なんか、同じところに来たら、積み重なってく感じがするじゃん」
「……」
「どうした」
充はそれには答えずに、写真をとるために離れていた至の手を取る。
「顔に、書いてあるんだろ。全部」
「……うん」
何気なく言われた言葉に、行動に、いちいち胸が締め付けられるような感じがして、それをうまく言葉にできない。だから、伝われ、という思いを込めて、手を強く握った。至が困ったように眉を下げて、ため息をつく。
「……なんだよ」
「いやー……」
何かをぐっと堪えるような顔をして、至が身をかがめる。
「今、めちゃくちゃお前にキスしたい」
「!!」
耳元で囁かれた言葉に、今日で一番、顔が弾けるかと思うほど血が上った瞬間だった。
「い、行くぞ!」
どこへかも分からないまま、とにかくこの場にひとときもじっとしていられない。叫び出したいほどの何かに突き動かされるように、充は至の手を引いて、走り出した。
走りながらまた笑って、まるで小さい頃のように並んで息を切らしながら、駆けていく。繋いでいる手の鮮やかな熱さを、きっと、忘れないだろう。青空を見上げて、充は思う。どんなことがあっても、その手を離さなければ、大丈夫だ。
ずっと、ずっと、いつまでも、隣で。
階段を登り、デッキに出る。改札前には待ち合わせらしい人たちが、少しずつ間隔をあけて立っている。
「……いた」
まだこちらには気づいていない様子で、柱にもたれて、スマホを見ている。着ている黒いTシャツは、見たことがない。背の高い至によく似合っている。こんなふうに、至の外見や服装をまじまじと見たのは初めてかもしれなかった。王子は言いすぎにしても、そこそこ格好いい部類なのかもしれない、と思う。意識した途端、心臓が音を立てて暴れ始めた。気温のせいだけではない汗がじわりと浮く感覚がする。
「……っ」
家に迎えに行く、と言われたのを、断っていた。なぜそうしたのか自分でもいまひとつ謎だったが、今はっきりと理由が分かった。家族の前でこんな自分を見られたいわけがない。
近づくにつれ、気づいてほしいような、気づかれたくないような変な緊張に襲われる。その時、何かを察知したように、パッと至が顔を上げ、充の姿を認めた途端、照れくさそうな笑みを浮かべた。充は自分の顔が爆発でもしそうに、熱くなったのだけが分かった。
そうして、至と二人、言葉少なに電車に揺られている。
「めっちゃ晴れたな」
「ほんとだな」
それきりまた会話は途絶える。
——なんだ、これ……。
後片付けの時までは、どうってことなかったのだ。だがそれは今思えば周りにクラスの生徒たちがいたのが大きかったのに違いない。
「……暑くなりそうだな。ほら、これ持っとけ」
至がごそごそとボディバッグからペットボトルを出し、充に手渡してくる。
「お、さすが王子」
「……っ」
思わずいつものノリで出た軽口に、至が目に見えて狼狽える。うわあ、と呻きそうになった。ずっとこの調子では先が思いやられそうだ。
「おい、ほんとに大丈夫なのかよ。結構高いだろ、平日って言っても」
最寄り駅を出てゲート前に到着し、行列の最後尾を目指して歩きながら、充が小声で隣に話しかける。今更とは思いつつ、聞かずにいられなかった。隣県の、大きなテーマパークに来ている。振替休日に二人でどこか遊びに行こう、という話になって、ここに決まったまでは良かったが、至がチケット代は自分が出すと言い張ったのだ。
「いいの。俺、先月、結構稼いだから」
「あー、まあそれはそうかもだけど」
思い違いから、充の傍にいてはいけないとバイトを増やしていた至は懐が暖かいということらしい。
「てかさ、かっこつけさせろよ。初、なんだし」
ほんのり目元を染めて、充の方を見ないまま、至がぼそりと言う。
「……っ」
マジか、と充は天を仰ぎたいような気持ちになった。つられたように顔が熱くなって、至の方を見られなくなる。ぎくしゃくとした動きのまま、列が進み、二人はゲートをくぐった。
「あ!」
「何!?」
「……い、いや、あそこ、ほら、地図あるぜ」
「……びっくりさせんなよ」
「あ、ごめん……」
ああ、もう、と充は思う。
——至が初、とか言うから……。
これが、初デートだ、と。充だって、思っていたが、意識しているのは自分だけかもしれないとも思っていたのだ。至の様子がいつもと違うのも、自分がそうだからつられているだけかもしれないと。それが、至も意識していたのだと分かってしまったら、もうどうしていいか分からなかった。ずっと今までクラスの連中に感心されるほどべったりと一緒にいたのに、今更すぎると思いながらも、ぎこちない笑顔しか浮かべることができない。
「……あ」
大きな園内マップを見上げて、今度声を上げたのは充だ。
「どうした?」
「……や、なんでもねえ。一番並ぶやつから、行こうぜ」
「……ショップ?」
「……っ」
歩き出そうと身体を返しかけた充の見ていた先を、至は見逃さなかったようだった。また、顔に熱が集まっていく。
——何か、お揃いの、買いたいなんて、んなの恥ずかしくて言い出せるわけねえし……。
一瞬だけ頭をよぎった思いはなかったことにしたいのに、至がそうさせてくれない。
「……なんか、お揃いの、買うか?」
「……」
「じゃあそこから行こうぜ」
「おれ、なんも言ってない」
「顔に全部書いてあるよ。俺をなめんなよ、充歴何年だと思ってる」
「……充歴って、おまえ……そういう恥ずいことを言うのやめろよ……」
「……いいだろ、そのくらい。今までだって思ってたけど、言わなかっただけだ」
至の言い方に、怒らせたのかと焦って充が顔を上げるのと、至の手が充の手首を掴むのが、同時だった。
「……!」
——至の手、あっつ……。
見上げた至の顔は怒っているようにも見えなくはなかったけれど、こすったように赤くなった目元を見ればそうではないのは明らかだ。
「う」
「……? なんか言ったか?」
「や……なんでも……」
「……充、顔真っ赤……」
「おまえがな! ……ってか、手」
「あ、……」
「ちゃんと、……その、つなぎ、たい」
語尾は蚊の鳴くような小ささになった。園内に流れる音楽にかき消されて、至に聞こえなかったかもしれない。それなら、何でもない、と言うつもりで、充はごまかすように笑おうとした。けれど、至は立ち止まった。手首から離れていった手が、充の手をしっかりと握りなおす。
「……俺、今日で死ぬかも」
「死なれたらおれ困る」
「……あー、もう!」
「……なに、やってんだろうな、おれら……」
「いやそれな……」
なんだかだんだん、おかしくなってきて、とうとう堪えきれない笑いが噴き出した。
「あー、腹痛え」
「でもなんか俺らっぽいよな」
「たしかに」
「で、あっちだっけ、ショップ」
「……うん」
ひとしきり笑ったら、今までの緊張が一気に緩んだ気がした。ようやく、いつもの自分たちになった気がする。
手を繋いだまま、歩き出す。園内は人で混み合っていて、誰も充たちには目を留める様子がない。友達や家族にはきっと話せる日が来ても、まだまだ好意的な目線ばかりではないと分かっている。それでも、至の傍にいないことなんて、考えられない。
「お会計は……」
「一緒で」
レジで、充はすかさず至の横から口を出した。ほうっておくと全部自分が出すと言いかねない。格好つけたいのは自分もだ、という意思表示を兼ねて至を肘で押しのけ、支払いをして、袋を受け取る。
「今、つける?」
「むしろ今じゃなかったらいつつけんの」
「たしかに」
ショップが面している広場の隅で、ごそごそと袋から今買ったばかりのものを出す。
「じゃあ、いくよ」
肩をくっつけるように頭を寄せ合い、至がスマホをかざす。カシャン、と軽いシャッター音がした。
「……」
「なに」
「いや……さすがにどうなんかなって……。男二人で、うさみみカチューシャ」
「……我に返るのは帰ってからにしようぜ、せめて」
今撮った画像を覗き込み、そこに写る自分たちのアホっぽさに我ながら顔がひきつった充だった。浮かれている以外の何物でもない。けれど、それが、どうしようもなく嬉しい。
「送った」
「ありがと」
「……来年も、来ようぜ」
「ここに?」
「うん。なんか、同じところに来たら、積み重なってく感じがするじゃん」
「……」
「どうした」
充はそれには答えずに、写真をとるために離れていた至の手を取る。
「顔に、書いてあるんだろ。全部」
「……うん」
何気なく言われた言葉に、行動に、いちいち胸が締め付けられるような感じがして、それをうまく言葉にできない。だから、伝われ、という思いを込めて、手を強く握った。至が困ったように眉を下げて、ため息をつく。
「……なんだよ」
「いやー……」
何かをぐっと堪えるような顔をして、至が身をかがめる。
「今、めちゃくちゃお前にキスしたい」
「!!」
耳元で囁かれた言葉に、今日で一番、顔が弾けるかと思うほど血が上った瞬間だった。
「い、行くぞ!」
どこへかも分からないまま、とにかくこの場にひとときもじっとしていられない。叫び出したいほどの何かに突き動かされるように、充は至の手を引いて、走り出した。
走りながらまた笑って、まるで小さい頃のように並んで息を切らしながら、駆けていく。繋いでいる手の鮮やかな熱さを、きっと、忘れないだろう。青空を見上げて、充は思う。どんなことがあっても、その手を離さなければ、大丈夫だ。
ずっと、ずっと、いつまでも、隣で。