——なんで? 何がどうなってんだ?
 二人して、心臓をドキドキいわせながら、向かい合って、抱きしめ合っている。意味がわからないのに、離れたいとは思わない。
「充」
 耳元で響いた声に、びくりと身体が揺れた。
 ——至って、こんな声、だったっけ。
 背中がぞくり、とするような。混乱が収まらないままに、至が畳み掛けてくる。
「俺とこうするのは、嫌か?」
 そわそわするし、落ち着かないけれど、嫌ではないので頭を振った。すると少し身体を起こした至が、充の顔を見下ろすように覗き込んでくる。また心臓が大きな音を立てた。背中に回されていた手が片方離れる気配があり、そっと頭を撫でられる。そうされるのが、久しぶりだ、と思った。心地が良くて、力が抜ける。至が撫でながら、眩しい時にするように眉を寄せた。
「……俺が、今から言うことが、もしキモいと思ったら、その場で俺のこと、突き飛ばしてくれ」
「……何言ってんの? ほんと、今日のおまえ、おかしいよ」
 至の言っていることが、今日はずっとわからなくて、頭を抱えたくなる。それと同じくらい、自分は至の些細な行動にこんなに振り回されるものなのか、と情けない気持ちにもなった。
「そうだな。俺はおかしいのかも」
 そんなことを至が真顔で言ってくるから、いよいよ心細い。けれど、意味不明だと思いはしてもキモいとは思わないし、至から離れるという選択もなかったから、じっと続きを待つ。見たことのないほど真剣な表情で、至が口を開いた。
「俺も、……本当は嫌だったんだ。充に彼女ができるなら、応援して、喜ぶべきだって、頭では思ってた。けど本当は、嫌だった……そんなことしたくなかった。心の底では、お前を、取られたくないと思ってたんだ。ずっと小さい頃から何でも一緒で、それを充も当たり前に思ってくれてるっていうのが俺は嬉しかったんだって、離れようとして気づいた。ずっと俺だけでいて欲しいって、思ってたんだって」
 やっぱり、至の言葉は回りくどくて、言いたいことが分かりそうで分からない。けれど、充はそんなものより、至の目つきのほうが、よほど至の気持ちを伝えている気がしていた。外の明かりを反射して光って、充を、強く見つめている。そこに読み取ったものを、充は確かめたかった。
「なあ」
「なに?」
「おれさ、お前もよーく知ってると思うけど、バカなんだよ。難しいこと、分かんねえの。だから、はっきり言ってくれよ。おれにもわかるように」
 自分で促しておいて、心臓が爆音で打ち鳴らしている。至と自分の間の空気が、ピンと張り詰めるのが分かるようだった。今まで思いもしなかったような何かが、すぐそこに迫っている予感が、する。今から聞くことは、自分と至の関係を変えてしまうものかもしれない。それでも、聞きたかった。
「……いいのか、言っても」
「だから、言わねえと分かんねえって!」
 すう、と至が息を吸った。充もつられるように、息を呑んだ。
「……好きだ。充……お前のことが、好きだ。誰にもやりたくない」
 仄かな灯りしかなくても、至の顔が真っ赤なのが分かった。
 ——う、わあ……。
 自分から聞いたくせに、その瞬間は、反応ができなかった。目を見開いたまま身体が硬直し、口をぱくぱくとしてしまう。顔が、急激に熱くなっていく。けれど、こみ上げる感情は、紛れもなく、嬉しい、だった。
 そうか、と充は不意に思った。そうか、そうだったんだ。
「……っ、やっぱり、キモかった……よな」
 固まったまま口がきけなくなった充に、至が焦ったような顔をする。充は必死に首を横に振った。ようやく形を与えられた思いが、喉元に詰まって、うまく出てこない。
「ちがう、おれ、も……おれもだ。おれも至が、好き」
 掠れた声で、それでもなんとか言葉にした途端、至が目を大きく見開くのが見え、それからがばりともう一度抱きすくめられた。胸がいっぱいになって、息さえうまく吸えない。心臓がずっと大きな音で暴れている。
 ——そうか、これが、好きってことか……。苦しいし、胸が痛くて、泣きたくなって、でも、幸せなんだ。
 不可解だと思っていた何もかもに、納得がいった。寂しいのとも、腹が立つのとも違うそれが、どういう感情なのかずっと分からなくて、苛立っていた。
 好きだから、自分でない誰かを優先されるのが嫌だった。好きだから、一緒にいたかった。好きだから、自分だけを、見ていてほしかった。しかもそれが、お互いにだった、なんて。
 笑い出したい気持ちと泣きたいような気持ちが同時に襲ってきて、ぎゅうぎゅうと抱きつくことしかできない。一度はもう二度とこうして話すことも、触れることも、笑った顔を見ることもできないと思ったのだ。離したくなかった。
「充……顔、上げて」
 なだめるような声に、充はそろそろと顔を上げた。目が合うと、至が困ったような顔で笑う。この顔も見たことがない。今日だけで、至の知らない顔をたくさん見たなと思う。
「お前、なんて顔、してんの……」
「おまえもな」
 たぶん、これが好きな人を見る時の顔なんだな、と、ふわふわとする頭で充は思った。これを知ってるのはおれだけなんだ、と思ったら、またたまらなくなる。泣き笑いの表情で見つめ合って、それから、自然と顔が近づいた。
 うわ、ともう一度、充は心の中で叫んだ。
 ——キス、してる。至と……!
 知識は当然ある。だが実践は正真正銘、初めてだった。
 ——お、思ったより柔らかい……!
 感動に半ば呆然とする充の唇に、温かいものが、ふに、ふに、と角度を変えて押し付けられ、ちゅ、と音を立てて離れていく。
「嫌じゃない、か?」
 ぼうっとした頭に聞こえてきた声に、ようやく我に返った。まったく嫌ではない。むしろ、離れていった唇に名残惜しささえ感じていたから、充はふるふると首を横に振った。
「……、すげえ……」
 至が片手で口を押さえて、呻くように言う。
「?」
「……いや、ほんとなんだよな、これ、と思って……現実、だよな。俺の夢じゃないよな?」
「……現実じゃないと、おれも困る」
 思ったままを言えば、至がまたサッと目元を赤くして、酸欠にでもなったみたいに深呼吸をしている。
「……けど、ほんと、よかった」
 ようやく少し落ち着いたのか、至がしみじみと言う。
「何が?」
「や、正直、俺、さっきは考えるより先に走り出してて……充と結城さんが向かい合ってるの見たら、もう頭が真っ白でさ。今思えばまあまあなことしたなって……。充が結城さんをどう思ってるかもわからないのに……結果オーライだから良かったけど、後先考えないにもほどがあったよなと」
「確かに……まあ、お前らしくないなと思ったし、お前のこと王子とか騎士とか呼んでる奴らが見たらびっくりするだろうなとは思った」
 けど、それだけ必死だったってことだよな、とは言わずに、充はむずむずするような喜びを噛み締める。
「王子ねえ……まあお前の王子なら喜んでなるけど」
「恥ずかしいこと言うなよ……おれ姫じゃねえし」
「知ってる。充も誰より格好良くてかわいい王子だから大丈夫」
「おまえな……」
 恥ずかしさと色んな感情で、おかしくなりそうだった。呆れたくなるのは、自分にもだ。そんなことを言われて、バカじゃねえの、と言いたいのに、嬉しいと思ってしまっている。顔が真っ赤なのも、分かっていた。もちろん、至もだ。
 たぶん、お互い浮かれている。だって、これって奇跡みたいなものだ、と思う。ずっと一緒で、互いにこれからも一緒にいたいと思っている。それが当たり前じゃないのは、今の充にはよく分かっていた。
「でも、これでよかったんだなって、おれも思う」
「何が?」
「んー、なんていうかさ。おれは至に彼女ができたと思って、じゃあおれはどうしたらいいのってずっと思ってたわけ。彼女ができたらおまえは彼女を最優先するだろうし、それがおまえだから、そこを変えろっていうのはなんか違う。けど、じゃあおれはどうなるって、急に至と会わない生活になって、このままになるのも嫌だって、そう思ってた。どっちもなんとかする方法ってないのかなって、おれなりに悩んでたんだよ」
「お前が……」
「その、いつの間に大きくなって、みたいな親戚の子見る目はやめろ。……けどさ、今、ああ、これでいいんだって。これで俺の悩み全部解決するじゃん、って思った」
 急に、すとんと落ちてきたようだったのだ。至には至らしくいてほしくて、でも自分の傍からいなくなってしまうのも嫌だ、と思っていた。それが、至が傍にいたいのも、優先したいのも自分なら、何の問題もない。いきなり霧が晴れたような心地だった。
「ああ……そういうことか。……これでいい……俺は、これが、いい、かな」
 が、を強調して、至が目を細める。それがまた何とも言えず、くすぐったい。
「うん、おれも。おれもこれが、いい」
 こつりと額を合わせて、くすくすと笑い合う。
 ——なんか、好きって、すごいな。
 今なら、どんなものにも立ち向かえるし、何でもできそうな気がした。羽根でも生えて、飛んでいきそうだ。
 気づいてみたら、いままで思ってもみなかったのが不思議なくらい、自然なことだった。誰より傍にいたくて、傍にいてほしくて、ずっと一緒がいい。それが、好きだってことなのだ、と。それは、授業で習うような、歴史上のどんな偉い人の発見した法則より、すごいことに思えた。